やな夜話やわ~

学生の書いた診断だということは薄々わかっていた。ポリープなど4件をチェックした私はさほど手を入れることもなく、それらの診断を確定させて電子カルテに送信した。夢はそこからスタートした。現実とは異なる独特の時間経過を体感した直後に私はふたたびポリープの病理診断を再開する。屋久杉のようにそびえ立つポリープの茎にみずから取り付いて、切り立った裾野を歩いていくと、足元の下、氷に閉ざされた湖の深部に古代の町が沈んでいるように、浸潤する腺癌がうようよと忍び寄っているのが見える。私は青くなって走り出す。まちがえた。まちがえた。診断をまちがえた。良性病変ではない! 癌は無情にもあきらかな細胞異型をもってポリープを切り崩しにかかっていた。断端が気になる。チキンレースのように盲端に向かって駆け出した私ははたして、断端部にも癌が露出していることを眼前に猛烈な量の汗をかく。大変だ。良悪の診断だけでなく、断端まで判定ミスしているとは……。深達度だってもちろん間違えている。脈管因子だってもちろん間違えている。ぷはぁと顕微鏡から目を離すと、大学の若いスタッフたちが私を取り巻いて、「まさか、誤診ではないんですよね?」「先生が、そんな単純なミスをするとは思えません、やはり学生のせいでしょうか?」「誰かが、先生の書かれた診断を勝手に書き換えたのかもしれませんよ」と、こちらの目を見ずにフォローをしはじめる。私は観念したいのだが心が観念する方向に向かってくれない。内奥にある獰猛な鬼のような部分が「ここで過ちを認めればお前のこれまでの仕事も生き方もすべて腰から折れて倒れる」とささやいて私は自らの過ちを認めることができない。夢はこうして終わり私は体を起こさないままに今のことをあらためて振り返る。夢は急速に質量を失い形相がとびちるように具体性を失っていくがそれを根性で捕まえてなんとか記憶にとどめようとする。私は4例の診断すべてを間違っていたのだが今こうして覚えていられたのはそのうちの1例だけだ。そして、私はいつの時点で、自分の診断が間違っていると認識したのか、感触を思い出すとおそらく、「学生から診断を受け取った瞬間にもう自分はこれを誤診するのだろうとなかば確信していた」のだろうと結論する。私はいつも、心のどこかで、今日、明日、私が診断する病理プレパラートの、私が執筆する病理診断は、おそらく間違っているのだという断定にも似た恐怖を抱えているのかもしれなくて、それが夢として現れたのであろう。あるいは、逆かもしれない、このような夢を見ることで、私は自らに「診断とは怖いことなのだときちんと認識しなさい」と、クギをさすようなことを自らなしているのかもしれない。後者のほうがありうると思った。後者のほうがあさましい私の心根をより丁寧に言い表しているのかもしれないと思った。体を起こして口をゆすぎにいく。明かりを付けないキッチンで、イナズマイレブンのプラカップに、水を注いでうがいをする。冷蔵庫をあけてお茶を取り出す。なかった。野菜室に入れてあるトマトジュースを飲もうと腰をかがめる。引き出したトレイの上にポリープのようなブロッコリーがたったひとつ鎌首をもたげるようにこちらを見ていて私は腰を抜かしてしまった。