外は明るいのにずっと雪が降り続いている。窓の外の木にはこんもりと雪が積もっており、まるでクリスマスツリーのかざりのようだ。や、うん、逆だ。本来は、外に生えている木の雪を模してクリスマスツリーをかざっているわけで、「わぁ、クリスマスツリーみたいだな」というのは本末が転倒している。でも私はよく、こういうひっくり返った感想を何に対しても持つ。「まるでノンアルビールみたいな味のビールだな」。「まるでクックドゥみたいな味の麻婆豆腐だな」。出先で何かを食うときについ口から出がち。転倒はこれからもしていきたい。それは倒立みたいで楽しいではないか。マチュの初登場シーンを思い出してほしい。倒立からはじめるのがはやり。ガンダムジークアクスを見ていない人にはこのブログを読むことを推奨しません。病理診断報告書文体で言うと、推奨されません。
PCの壁紙が毎日くるくる変わる。腹立たしい通知ばかりよこしがちなMicrosoft Bingのアプリなので、ユーザーも警戒しているらしく、以前にここでそういうアプリを使っていると書いたところ、「危なくないですか? 情報を抜かれたら……」と言われたけれど、抜かれて困る情報を入れてあるPCでインターネットにアクセスすること全般が危険なのであり、私はそのへんさすがに対策をしているので、その点は大丈夫で、まあ、強いて言えば、インターネットで知り合った友人たちとの記念写真などが流出すると、それは私はともかくその友人たちにとってはデメリットだろうなと、思わなくもないので、Microsoft Bingはいいかげんにするように。ともあれ、壁紙の話。今日は雪山がこれみよがしに表示されている。きれいな写真だ。しかし、真冬のさなかに雪山の風景を出されても「寒そうだからやめてくれ」としか思わない。南の島希望。南の島キボンヌ。キボンヌってあれ、なんなんだ。なんだったんだ。語源。検索。えっ、金沢イボンヌが由来なの? 2000年のことなの? そんなに昔じゃないじゃん! インターネット黎明期からあるのかと思ってた。ついこの間じゃん。いや、2000年ってのは、四半世紀前ですよ。うそぉ! だから何? みたいな会話をひとりで続けている。ミレニアムから四半世紀。だから何なのとしか言いようがない。マジで。そりゃあ、時間くらい経つだろう。
逆張りばかりしたいわけではないのだけれどどうにも気になるのでいちおう書いておく。「えっ、今年ももう6分の1が終わったの?」「わあ、今年ももう半分終わってしまった!」「信じたくないことだが、今日で今年の3/4が終了しました」のようなポストをたまに見かける。意味はわかる。気持ちがわからない。人の心がわからない悲しきモンスターくらいわからない。「えっ、こ、こ、こんなにがんばっていろいろやりくりしているのに、まだ6分の1しか終わってないの!?」みたいな感想のほうが私の中ではいつも強い。「ま、まだ半分なのかよ!」「信じたくないことだが、今日が終わってもまだ今年は1/4も残っている」。ほぼ毎回この逆張りリアクションになっている。かつて、ドラえもんに「時門」というひみつ道具があった。これは田んぼの横にある水門みたいな形をしていて、ガレージのシャッター部分みたいなものの上に手でひねる蛇口がついていて、それをキコキコ回すとシャッターがある程度閉まる。その閉まり具合に応じて時間のながれがちょろちょろと遅くなる、という代物だ。のび太がこれをめいっぱい閉めたあと、世界ではさまざまな人々が大変な目にあい、しずちゃんはピアノのレッスンがいつまでも終わらないし、ドラえもんは言われた時間だけ草むしりをするはずがなかなか時間が過ぎないので庭のすみずみまで完璧な草むしりをしてぶっ倒れる(最後に縁側に沈んだドラえもんが「一本のこらず むしったぞ。」と言うシーンは地味だが屈指の名シーンだ)。これを思い出す。みんながタイムラインで「えっもう1年終わったの? 早いねー」などと盛り上がっているとき、私はどうも、私だけの時門がいつも閉じているのではないかと不安になる。あなたがたの言う、たかだが2か月、せいぜい半年、あっという間の1年というのを、私は本当に、何年も、何十年も、苦行をずっと繰り返してそれでも成長できないでいる、だめな世界線のネテロのような気持ちで過ごしている。たしかに祈る時間は増えた。