フォロワー欄がキャピキャピしているので通称やらしいインスタと呼ばれている私のインスタグラムアカウントは、大学や専門学校などで直接教えたことのある学生ばかりがフォローしていて、現在、フォロワーの平均年齢は20歳くらいだ。この時期、卒業式があり、卒業証書やら袴やらBe real.の集合写真やら卒業旅行のTDSやら温泉やらがストーリーに次々あがってくるので、たまにインスタを立ち上げていいねいいねと付けていく。本当にいいじゃないかと思う。楽しんでほしい。それだけがんばってきたのだから。
ずいぶん前のことだが、「先生、いつもいいねしてくれてありがとう」と言われて少し驚いた。いいねごときにありがとうをいただいてもいいのだろうかと少し身構えてしまったくらいである。教え子が楽しそうな写真を載せていたら片っ端からいいねを付けるのは当然のことではなかったらしい。「片っ端からいいねを付ける」という見境ないムーブをうれしいと言ってもらえたからよかったけれど、逆に、「このおっさん何のせてもいいねつけるからちょっとやらしいな」とか思われている場面もあるのだろうと思う。
考えてみれば、私も、インスタ以外のアカウントでは自分がそうとういいねと思ったもの以外にいいねは付けない。何かをポストするたびにいいねを付けてくれるフォロワーのことはありがたいというよりもちょっと気持ち悪いなという気持ちで見ることが多い。ネットストーカーにうんざりして仕事もやめようとしている私の感覚が世間からずれているのはともかくとして、学生たちのインスタにおけるいいねの価値も、私が考えるよりも重く特別なものなのかもしれず、軽率にいいね押しまくって悪かったなあと思うし、でも、私の目から見ると学生たちの生活はほんとうにすばらしくいいねに満ち溢れているようにも思うのだ。
昨今、私と同年代くらいの中年たちが、「SNS世代はいいねの数をかせぐために大事なものを見落としている」みたいなことをめちゃくちゃ言う。そろそろ飽きてほしいが今でも本当にあちこちでよく見る。しかし、私たちの世代にとってのいいねと、若者たちのいいねとの距離感はけっこう違うように思う。いいねを稼ごうとしているノイジーマイノリティばかり見て若者を知った気になってもだめなのだろう。実際の若者たちはもっとずっとしっかりしているし、私たちとはぜんぜん違うところを締めて思いも寄らないところを緩めていて、つまりはどちらかがどちらかの上位互換という関係性ではなく端的にまったく違う生き物なんだよなと思う。
フォロー欄が医師医師しているので通称きたねぇ花火だと言われている私のスレッズアカウントは、医療従事者が毎日ぐちばかり言っているので昨今の医療業界における細かい不満が可視化されていてある意味役に立つのだけれどまったく気持ちよさは感じない。TLを見ていると自然と眉の間にしわがよってくる。よくもまあこんなに毎日政治、社会、患者、同僚、自分に対する不満があるものだなと感心する。しかしスレッズに限らずSNSというものは、多かれ少なかれ、ユーザーいち個人の心の中にあるノイジーかつ些末な不満の部分を拡大する力を持っており、ひとりひとりにとってのノイジーマイノリティ成分が飛び出してきておゆうぎを行う学芸会的な側面がある。したがってスレッズを見て医者ってだめだなと思ったり、スレッズを見て医者ってうるせえなと思ったり、スレッズを見て医者ってすぐ人と比較するなと思ったりするのはおろかなことだ。だめでうるさくて比較が好きな人ばかりがスレッズをやっている、と認識するのも違う。より正確に言うと、人間の、だめでうるさくて比較ばかりする部分だけが浮かび上がってきて組み上がっている場所がスレッズだということだ。