やるやるかれらのアナグラム

ちょっとふしぎな学術講演依頼があった。

推薦者のコメント:

「学術的な内容うんぬんよりも、『研究発表と違って、講演ではこういうふうにしゃべるといいのか!』と聴衆に思ってもらうことを重視してください。」

なるほど。むずかしい。いっそ、ゴリゴリに学術的な内容をみんなに教えてやってくれと言われるほうが数段ラクである。むしろ、私にラクをさせないために縛りを課してきたと考えてもいいかもしれない。

私の講演が、一般的な意味で正しく力があるとはあまり思っていない。でも、こういうときにむだに謙遜すると推薦者の目利きの力まで一緒に下げてしまうので、自分の心が気持ちよくなるからといっていつまでも謙遜ばかりしているわけにもいかない。

私の話をおもしろいと思ってくださっている人が何人かいるならば(それが推薦者自身であるとは限らないのがポイント)、その誰かの期待に応えられるよう、こちらとしても微力を尽くすべきである。




世にある「ハウツー」的動画やブログのたぐいは、講演を成功させるコツとして、以下のようなことを書いてある。

メッセージを明確に! あまりしゃべりすぎないで! プレゼンの文字を減らしましょう! お役所のポンチ絵スタイルではだめだよ! フォントは大きく! 滑舌ははっきり! 大きな声で! 読み上げるのではなく語りかけるように! 時間を守って!

これらは、たしかに、学術講演をする上でもふつうに大事なことではあるのだが、ふつうに大事なことでしかない。

ふつうでしかない。

ふつうだ。

ふつうでいいのか?

はっきり言って、これらをただ守っているだけの講演なんて、私はもはや聞きたくない。ウェビナーだったら開始2分でPCから目を話してスイカゲームに興じる。つまらないからだ。講演ラストのテイクホームメッセージだけさっさと表示しろよと思ってしまう。


そんなふつうの講演を見てどうするというのだ。


●メッセージが複雑で何を言っているかよくわからないけれどなぜか惹きつけられる

●内容が盛りだくさんすぎて覚えきれないけれど充実感がはんぱない

●プレゼンのデザインはうまくないのだがそれを熱量が上回っている

●時間を超過したことに演者はもちろん聴衆も気づいていない


こういう講演こそが至高だ(※ただ、次の出番の人に迷惑がかかるから時間は守れよとは思う)。

演者が講演料に目がくらみ、言われたままのお題を適当にこなして及第点に仕上げたふつうのウェビナーなんぞ、今やYouTubeあたりを探せばいくらでも落ちている。学会やウェブ研究会などの場でわざわざ聞いても役には立たない。TikTokに毛の生えた程度の講演に時間を費やすのは学生までだ。


そんなんじゃだめだ。


こ、こ、こりゃあ圧倒的だ、これだけのことをしゃべるのにどれだけの努力を費やしてきたんだ、どれだけの経験を注ぎ込んで来たんだ、この講師やっべぇな……! と、聴衆を引かせるのがデフォルト。そこからさらに、「大量のメッセージの中からコアとなる部分がが浮き上がってくる」という二段構えの構成になっていることがのぞましい。ここまでやれてようやく真の及第点だ。


小学生でもわかることを大人に向けてしゃべってどうする。

ふだん講演を聞き慣れていない人でも飽きずに聞けるように楽しく和気あいあいと工夫をこらして美しくかわいいプレゼンを作ってどうする。

「小学生でもわかる」と冠しておきつつ、小学生はおろか大学生でもぜんぜんわからないくらいの学問の深みをバッチバチに披露してなんぼだ。

聴衆の精神が無数の思考実験に十重二十重に取り囲まれて次々に斬りかかられるくらいの学問の正念場をゴッリゴリに提供してなんぼだ。



「学術的な内容うんぬんよりも、『研究発表と違って、講演ではこういうふうにしゃべるといいのか!』と聴衆に思ってもらうことを重視してください。」

うーむ。

よし。

目指すところは、「講演ではこういうふうにしゃべるといいのか……いや、できるかーい!」と聴衆にたくさんつっこんでもらうことだ。

というか、それくらいの圧倒的な力量を見せつけられないならば、講演なんかそもそも、引き受けてはいけないのである。

それは私が講演をこれまでたくさんやってきたから、というわけではない。

たとえば若者がはじめて人前で講演を頼まれた場合にも、聴衆を納得させ、講演を聞いてよかったと思わせるだけの「猛烈な物量」を用意しなければいけない。それは若手とベテランとで変わるところがない。なんの贔屓も忖度も存在しない。

講演を作るというのはそういうことだ。

どこまでも深く深く思考の奥底に潜り込んで、徹夜もいとわず、過労上等で、それまでの経験のすべてをぶち込むのはもちろん、プレゼン作製過程でさらに経験が何倍にも界王拳させられるくらいの作り込みが必要なのだ。

どうせ、そこまでやったとしても、聞いた人からは「なんだかごちゃごちゃしてわかりにくかった」と言われる。それは当たり前だ。がっくりくる。「でも、熱意は伝わったよ!」と最後にひとこと褒めてもらえたとしたら……そこでようやく、講演を頼まれる人間としての第一歩が刻まれる。

講演だぞ。人様の前でえらそうに話そうってんだ。講演なめんな。よぉし、つくるぞ! やるかやられるかだ!