脳だけが旅をする

学会から帰ってメールに返事をしているうちに朝が来た。ふと旅行の予定でも立てようかと旅行会社のホームページを見る。とくに行きたいところがあるわけではない。旅行をしたいという強い欲望が自分の中にあるわけではない。「不定期でもいいからたまに旅行にでかける自分でいたい」という、うっすらとした自己形成欲がある。「旅行にすらいかない中年としてまわりから残念そうに見られる」のを回避するための旅行計画である。ハワイに行きたいとかヨーロッパに行きたいといった目的がないままにホームページにたどりついている。そしてもちろんおそろしいことに当然のように、ホームページをつくる側のほうもそういうのをきちんと見通して、「どこに行きたいか自分でもわかっていないなら私があなたの欲望をきちんと作ってあげますよ」という顔をして待っていてくれている。

国内ですか? 海外ですか? わからない。

国内だったらどこですか? 今は指定しない。

ではホームページの中をお好きに見て回ってください? そうする。

トップに表示されるバナーの数々。その時期、そのタイミングで、企業がうまくパック形式に抑えることができた航空券とホテルのセット、「どこに行きたいわけではないがどこかに行きたい」と思える人間が思わずクリックをしてしまうような、字面の訴求力と絵力の強さを兼ね備えたサムネ。なるほど私は台北に行きたかったのか、モンゴルに行きたかったのか、イタリアに行きたかったのか。これまで自分の中になかったはずの欲望に似た、心の軸性を一方向に向ける牽引力を強く感じ取る。

これが商売ということなのだろう。欲望をつくるところから担当してくれる。導かれる。欲望のない人間はカモ。正確には、「欲望がないと周りに思われたくない自分がかっこわるいな」と思っている、私のような人間がカモ。

それを知っている私達は、「今度はシンガポールに行きたいな」「オーストラリアはもう行ったから次はニューカレドニアあたりを攻めてみたい」「アメリカの西海岸だけで10日過ごしたい」といったように、自分のなかには順を追って組み立てられた「人に見せられるほどに構造化された欲望」があるのだと、しばしば吹聴する。防御規制なのだ。カモられないための。できれば、カモる側に回るための。「どこに行きたいかもわからずに、旅行会社のいいなりに、みずからの欲望を他人によってかたちづくられてしまう弱者」でありたくない。だから自分発の欲望を喧伝して回る。

そういうカモの暮らす星だ。



だれもがみな思い思いに欲望しているように見えて、それらはいずれも五十歩百歩で、じつは相当、思われ思われに欲望させられている。他人の欲を生きる。他人の欲であるというネタバレを喰らわないために私達は途中でソーシャルネットワークを遮断して、自分のタイミングで自分の欲を練り上げるという幻想を泳ぐ。そういうやりとりを高速でぶん回すなかから絞り出された果汁を売って生活している人々の捨てた絞りカスをさらに蒸留して作った酒で人生の痛みをまぎらわせている人々の。旅。