出勤してからジャンプを一通り読み終わってまだ7時前だ、のそのそとPCを開く。意味のある新着メールは3件だけ。昨日の夜中にあらかた返信し終わっていたから余裕がある。ただ、3件はいずれもぱっとは返事しにくいメールだ。眉根に重量を感じる。
ひとつは連続出張のアレンジについて。土曜日にある県ではたらき、日曜日にその隣の県ではたらくのだが、宿泊はどちらにしますかと尋ねられた。どっちでもかまわないのだが日曜日の仕事の時間帯がまだわからない。日曜日の午前中からスタンバイしたほうがいいなら早めに現地入りして前泊したほうがいいだろうし、日曜日の午後でいいなら土曜日は最初の県でそのまま宿泊したほうが楽だ。さあどうするか。情報が足りないので答えられない。直近にもうひとつ、県またぎの仕事があり、そちらは土曜日の開催者が「うちの懇親会に出るように!」とあらかじめ申し渡してくださったので、迷うことなく宿泊地も決定済みである。いっそ今度のメールの相手も強めに「うちの県に泊まってください!」と言ってくれたほうが楽だったのにな、と考えなくもない。
ひとつは大学の講義について。毎年担当しているいくつかの講義のうち、ここ数年あらたに担当することになった、年1回の教養講義を、今年もやってもらっていいか、という連絡である。ただし先方の教授は私がもうすぐ異動することも知っているのであまり無理せずというメッセージになっている。これもすぐには答えられない。異動先のボスやスタッフと相談してみないと、これまでのように半ば自由に飛び回るわけにはいかないようにも思う。
最後のひとつは学会の企画の相談だ。私が座長をすることを前提として企画を立てたのだけれどどう思うか、これですすめてよいか、と、「共同座長の偉い方」から送られてきた。もちろんやぶさかではない。ただ、この学会では私は座長というより発表者に回ったほうが格調的にはちょうどいい気もする。本当は、ほかの演者が決まるまであまり私の立ち位置を確定しないほうがいいのにな、という気もしないでもない。すぐに返事してしまえばいいのだがワンクッション置くべきかもしれないということをじわりと考える。
「展開をスッススッスとすすめるような返事」というのはラノベ的だと思う。二つ返事とか、打てば響くとか、気風の良い一言、みたいなものは現実には思ったより使い勝手が悪い。ずっとデスクにいればメールが着信した瞬間にそれを読んで5分もしないで返事をすることも可能ではあるし、わりとそうしているのだけれど、案件によっては、「こちらでそれなりに時間を使って吟味したこと」を、返答までにかけた時間を提示することで相手にも伝えないとコミュニケーションが成り立たないということもある。そして、なににでも即答するというのは現代においてはAIらしさを感じる。爆速で返事を返せば返すほど、こいつAIみたいだなと思われて、その程度の信用度まで下がってしまうということもあるように思う。
倍速再生とかタイムパフォーマンスの類がなぜこんなにも中年を不快にするのかという話とも関係しているようにも思う。
思うと入力するところを打ち間違えてオムと表示された。「omu」の入力は、即座にカタカナに変換され、もう一度ためしてみるとGoogle変換が備えているほかの変換候補としてはHOMME、雄武、嚴、御む、雄む、であった。最初のはフランス語である。次のは「おうむ」であり北海道にそういう地名がある。三つ目の「嚴」がわからなかったのだが検索すると韓国の姓で「嚴(おむ)」というのがあるようだ。へえ、なるほど。ざっと調べ終わって、やはり、「omu」の変換として真っ先に出るのがカタカナのオムなのはまあわかる、さすがGoogleといったところである。オムレツからの変奏でオムライスとかオムカレーとかオムハヤシといった「オム物」があり、日本人が「omu」と言ったらまず頭に思い浮かぶのはタマゴの黄色だ。だからomuと入れたらまずはオムとカタカナにすべきだ。選択のための吟味から判断までを即座に終えて提示された結論だけをケンケンパで跳躍しながら私は文章を書く。
メールがもう一通届く。某学会の事務を担当しているスタッフからだ。要件は学会にあまり関係がない、週末に私が要件に対して返事したのにさらに返事した内容なのでもう本来の要件が含まれていない。友人がSwitch2に当選してその開封の儀につきあったという内容、そして、自分はまだSwitch2が当たってないので週末にセールで買ったサンブレイクをやるという内容が書かれていた。本筋に関係ないどころか筋がないメールで私は思わず頬を緩める。眉根をほどいて返事しようかと思ったがまあこれはブログにこうして書けば1週間以上遅れて彼女がこれを見るだろう、それで返事としては十分だろうということを考えた。私はそのうち彼女が以前に勧めたゼノブレイドクロスをやることになる。