脳だけが旅をする

そういえばと思って本屋に行った話をもう書いたっけ? 書いていてもいいか。また書きます。書いてなかったらはじめまして。

中国出張に備えて探してみたのだが、本屋の旅行ガイドブックのコーナーには中国のものがない。びっくりする。北京とか上海とか書かれた本が昔はあったような気がするのだが一切ない。あるのは台北とか香港ばかりだ。アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアはいっぱいあるのだけれど。札幌の本屋がたまたまそうなのかと思ったが、こないだ出張のときに訪れた大垣書店京都本店でもほぼなかったので、東京とかは調べてないけどたぶん全国的にそうなのではないかという気がする。札幌と京都だけ調べて日本を語るなと言われそうだが、どちらも「自分のところが都会だと思っている田舎」という意味で、日本の精神を十分に代表しているのでサンプリングとしては適切だろう。その都会ヅラした田舎の民にとって、中国は観光の目的として成立していないということか。そんなわけはない、あれだけでかい国だぞ、歴史がある国だぞ、と思ったのだけれど、少しネットを調べると、本当にそういう、「もはや中国は観光しづらい国である」という文言がポンポン出てくる。というか本だけでなくネットにも観光情報があまりない。さすがにYouTubeを探すといくつか出てくる。タイとかマレーシアとかベトナムあたりの情報を調べるときに目にするYouTuberが中国版の動画もたしかに出している。しかし……内容があまり多くない。ほかの国ほどの熱量が感じられない。

風潮ほど当てにならないものもない。口コミは転売と似ている。時代の空気に悪ノリしてどんどん「やりたいほうだい」化している。情報の真偽や質が軽視され、言葉や画像の力でどれだけ拡散されるかのほうに価値観が移ってしまっている。本末転倒、というか、本消失・末肥大だ。ただ、中国情報に関しては、少なくとも日本国内においては拡散されようという感覚がまったく感じられない。情報の総数が少なく、周りのほかの国と比べて違和感が大きい。中国の観光のメインターゲットは中国人なのだろう。日本からの観光客に何も期待していないのだろう。しかし、それにしても、だ。

本がほしい。口コミではなく取材と執筆と編集を乗り越えた書籍で読みたい。でも、ない。あるいは、旅行ガイドブックをつくる企業のほうが、中国での取材になんらかの困難を感じて、うまく本を作れていないということもあるのかもしれないし、いまどき旅行書籍というもの自体があまり流行っていないのかもしれない。

2週間くらいいろいろと調べて考えてみた。そして、考えれば考えるほど、今の中国という国に対する倒錯的な魅力が立ち上がってくる。私はもはや微笑んでいる。

昨今のウェブ4.0とでもいうべき環境によって、バックパッカー的旅、行き当たりばったり的旅情みたいなものがかなり困難となった。旅でなくて日常生活にもそういう雰囲気はすごくある。ホテルはもちろんだが飲食店にしても、当日の予約というものがとにかく難しくなっている。たとえば、「適度に混んでいるラーメン屋」を思い浮かべてほしい。いくつかあるとは思う。しかし、「観光客が行きやすい場所にある、適度に混んでいるラーメン屋」というのを私はなかなか思い浮かべることができない。ましてや居酒屋ともなると、当日その場でぱっといい店に行くというのがどこの地域でも難しい。この現象は、結局、みんなが事前に検索するようになったからじゃないかな、ということを思う。どんな細かい地域にも、必ず見せ場というものがあって、失敗しない旅程みたいなもののモデルがあって、マストのなんちゃらみたいなものがあって(ヨットかよ)、それらを事前に検索せずに旅に出ることがなくなった。みんな、そういう生活に慣れた。

しかし中国では事前の下調べが通用しない。今回私が訪れる重慶の情報はネットの個人ブログだよりだ。体験ベースで網羅性は皆無。重慶ではラブホテルに泊まればいいよって言われてもそこまでどうやって移動するの? 予約しなくていいの? 言葉通じないんじゃないの? 上級者が初級者向けに何かを教えることの難しさを知りたければ「重慶 観光」で検索するといいだろう。40を越えてからというもの、この程度のインプットでどこかを訪れるということ自体、極めて珍しい。それが楽しい。ワクワクする。「私だって下調べせずにいきなり旅行に行くことはあるよ」みたいな人もいるだろう。でもそれは、スマホが使えてインターネットが使えて電子マネーが使える、片言の英語が通じていざとなったらクレジットカードが使える場所だからこそ、できることなのではないか。沢木耕太郎の深夜特急を今できる人間がどれだけいるというのだろうか。まして、自国民純度100%のオーバーツーリズムでぱんぱんにふくらんだ未知の都市に、人民元20000円分とドコモの国際ローミングひとつでつっこんでいく状況、どことなくケン・リュウのSFを彷彿とさせる、身震いする。脳だけで旅ができない場所に行く。ははあこの年でなあ。