スパムメールの着信音で目が覚めた。スマホのメアドは迷惑メール対策を強めにかけているから、それを貫通してくるなんてわりと珍しいなと思うし、ならばいかにもホンモノっぽいメールなのかというと、一目でわかるくらいにスパムメールなので困ったものである。このアドレスが公式なわけないだろう。「なわけないだろう」に対する機械判断、9割9分正しいが、たまに漏れてくる1分の失敗に私は目くじらをたてる。たてた目くじらを寝かしつける。まだ眠い。
「よくできているもの」が増えたなと思う。半端な製品というものを見なくなった。祭りの露店の景品にあったパチモンのガンダムみたいな代物が昔はどの業界にもあった。形あるものだけの話ではない。音楽、料理、旅行会社のパッケージ、「これで金取るのか」というものの数々、急速に駆逐されている。それに慣れて、私は世界にどんどん厳しくなっていく。たまに漏れ出てくる失敗にかなり強い怒りを浴びせるようになっている。
中国出張の準備のために本を探したがない、という話の続きになるが、「本なんて今どき別にどうでもいいじゃん、YouTubeにいくらでも解説動画が落ちてるよ」というので、いくつか見てみた。しかし、YouTuberのしゃべりや動画の編集が素人くさくて見ていられない。声に張りがない。画角が落ち着かない。照明がおかしい。字幕がへん。いつもは巨大YouTuberとか在京テレビ局の番組ばかり見ているからアラが目立つ。
しかし、それにしても、私はいつからこんなに「素人らしさを残したコンテンツ」に厳しくなったのかと、時間差でぎょっとする。これはもしや、昔から私が、下品な大人のふるまいナンバーワンと認定してきた、「うまいものしか食ってない私にこんなものを食わせるつもりかムーブ」と大差ないのではなかろうか。共感力が衰えている。過程を想像する力が摩耗している。人の作ったものに文句を言いたくてしょうがない気質を若さと体力で抑え込んでいたのが、加齢とともに制御できなくなったということなのかもしれない。
目が肥える、などという言葉もある。だらしないし、はしたない。経験の蓄積によってぶくぶくと目を太らせて、他者の評価軸を先鋭化させていくなんて、いやな成熟以外の何ものでもなくてがっかりする。しかしこの自己卑下の連鎖のきっかけが早朝のよくできたスパムメールなのだからなお一層がっかりする。眠りを妨げられた中年のうらみはあさましい。いやな大人になったものだ。大人とはもう少し、思慮深く寛容で鷹揚で含蓄の深い生き物ではなかったか。これもまた、「完璧な人間信仰」なのかもしれないが。