金先生と挨拶。この方は1990年代の終わりに日本に来て、私がかつて所属していた大学院に何年かいてたくさんの病理解剖を担当した。日本語ぺらぺらだ。私は大学院生のころ、金先生といっしょにいくつかの剖検に入った。うちひとつはとある難病の症例で、20年以上経つがいまだによく覚えている。長年寝たきりだった患者なのだが見た目の雰囲気が普通の病人という感じではなく、異様に内臓脂肪がついていてお腹の中は脂肪まみれであった。今にして思うと治療に必要な薬の副作用だったのかもしれない(というかたぶんそうである)のだが、当時はなんて不思議な病気なんだろうとびっくりしたし、そんな驚き方をしているくらいだから私がまだぜんぜん病理学のことをわかっていない修業時代だったのだなということに間接的に思い至る。ちなみに私は基本的に、症例とか人間のことをまるで覚えない。海馬の先が崖になっていて長期記憶がぜんぶ海の藻屑になっていく。しかしその解剖のことはなぜか印象的でよく覚えているし、そのとき金先生の手技が大変丁寧だったこともセットで覚えている。
金先生はその後中国に戻り、現在は某医学系大学の、病理の主任医師・教授である。施設のプロフィールを見ると日本での経験症例数などが公式Bioに載せられており、中国の人びとにとって日本で解剖をやったことがあるというのがある種のステータスにはなるのだろうなということを思った。日本で500例くらいはやられているということなので驚く。数年いらっしゃったとはいえそんなにやっていたのか。昔は今より解剖が多かったにしても。
そんな金先生は私の発表や症例検討の通訳をしてくださる。現在、日本から多くの病理医が中国の学会を訪れるが、その多くと関わられており、ご自身の仕事(消化器や婦人科などの病理学)のかたわらで中国全土を飛び回りながら病理学関連の日本語通訳を担当されている。通訳のスピードは「プロ野球のヒーローインタビューくらい」なので非常にすばらしいし、病理や内視鏡の専門用語を言ってもほぼ理解してくださって、仮にわからないことがあってもその場で日本語で質問をしてくださって、すぐに内容を理解して通訳を進める。私が今から逆方向の(病理の解説を中国語でしゃべってもらってそれを瞬時に日本語にする)仕事をできるようになるとは絶対に思えない。頭が上がらない。
旧交を温めているうちに会が始まり発表が進んでいく。演者の中国語はまったくわからないし、翻訳アプリを使っても学会会場ほどでかいと音がうまく拾えないので使えない(ちなみにドコモの国際ローミングは中国国内でも普通にGoogleなどのアプリを用いることができる)。でも、プレゼンが漢字だと、なんとなく言いたいことがわかる。冒頭、クローン病の治療戦略に関する話、少なくともプレゼンに書いてある内容は9割以上理解できたのではないかと思う。このようなことはモンゴル出張のときには経験できなかった。おもしろい。急速に楽しくなっていく。この出張、得るものが多そうだなと期待が膨らむ。積み重ねてきた寝不足が心配だったのだが神経が興奮して覚醒レベルが上がっていくのが自分でよくわかる。
私の出番は9時45分からだ。講演を行う。タイトルは「来自组织病理的反馈:使用病理诊断更详细地阅读内镜」、すなわち「病理組織診断からのフィードバック:病理診断を用いたより詳細な内視鏡読影」というもので、もともと私が日本語で考えていたタイトルはもう忘れてしまったのだけれどかなりいい感じで翻訳してもらっている。担当は45分間。ただし通訳を考慮して20分相当のスライドを作った。金先生への感謝を述べつつ粛々と講演をすすめる。果たして、このレベルの内容で中国の医師は喜んでくれるのだろうか。
旅については事前にほとんど準備をしなかったのだが講演についてはかなりきっちりと相談をした。現地企業の担当者に、学会上層部へのヒアリングをしてもらい、ここ最近の日本人病理医の講演内容、そのレベル、そして聴衆の反応みたいなものを何度かにわけて細かくたずねた。最初は「どんなものでもいい。日本の病理医の発表はどれも勉強になります」みたいな反応であった現地担当の口調がメールを重ねるごとに細かいニュアンスを帯びるようになり、まとめると、「近頃の中国の内視鏡医・病理医はものすごく勉強をしているので、もうちょっと高度な内容でもいい」というものだった。言葉の壁を乗り越えながらの解釈なので間違っているかもしれないけれど、私はこのやりとりから、少なくとも中国の内視鏡医や病理医に向けて話をするならば、上から講演をするどころか、胸を借りるつもりで全力でぶつかっていかなければだめだと思った。そして、教科書的な、順を追った講演をするのではなく、現時点で私が一番本気でしゃべれそうな内容を、あまり構造化されていない状態の、エネルギーの塊のようなものにしてしゃべってみようと決めた。
45分間で提示する内容は「症例を2つ」だけ。日本国内でこれをやったら、「症例検討に毛の生えた程度の講演なんかしやがって」と怒られる可能性もある。しかし本来、私の一番のストロングポイントは、「一例でどこまで語れるか」にあるし、逆にいったらそこで一点突破していくしかないと思った。
過去に、中国で複数回、モンゴル、シンガポール、ミャンマー、香港で、(モンゴル以外はオンラインで)私は講演をしている。それらはすべて多かれ少なかれ構造化した内容であった。これらはいずれも、短い映画を一本作るような気持ちで作った。映画だから序盤、中盤、終盤の流れがあるし、ネタとかオチとかもところどころに潜ませる必要もあって、リズムも計算しておくのだ。しかし、今回、中国の聴衆が現地で私に求める内容は、「それよりもうちょっと高度な内容でもいい」のだなということが伝わってきた。そこで私は映画をやめて講談にすることにしたのだ。物語の一巻をすべて語るのではなく、「ここぞ!」という場面を細部までゴリゴリに描いて、非常に狭い一場面だけを語り尽くすスタイルだ。いいところで「続きはまたのお楽しみ」となれば言うことはない。