集中準備

集中の底にたどりつく前に次の集中を求められる感じで、ドプラのAモードみたいにどくんどくん浅瀬で上下していて、仕事という仕事からいまいち達成感がにじみ出てこない。ひとつひとつは求められるクオリティには達していると思うのだが、プラスアルファの、期待を超えるような何かがなかなか出てこない。8割方完成した後抄録の原稿を、読み直してもまるでAIが書いたかのようで、印象が平面的でざらつきがなく、おどろきもなく、この文章を読んだ誰かが読んでよかったと思えるレベルに達していない。必要なことはすべて書いてある。箇条書きなら全項目を埋めている。でも、それだけだ。集計で楽をするために自由記載をやめたアンケートに答えているような感じ。よくない傾向だと思う。だから少し、さぼる必要がある。本当は今がもっとも、自分のできる最高の仕事に対しての「さぼり」になっているのだ、だから、一番やってはいけないさぼりを回避するために、それ以外のたくさんのデューティを、さぼる。それが必要なのだと思う。

連載を終わらせる。研究会の依頼を断る。長年の付き合いで引き受けた病理解説の仕事。先輩を楽にするために請け負った仕事。あれもこれも、異動を理由に断っていく。中学校時代の同級生に誘われてはじめたゴルフをやめる。TLの評判だけで見に行ってみてもいいかなと思っていた映画を見に行くのをやめる。さぼっていく。着々と。ブリンカーを装着して横をみられないようにする。シャドーロールを装着して下をみられないようにする。集中するしかない状況をつくりだす。そうでもしないと、私はもう、浅いよろこびにひたっているうちに人生を通り過ぎてしまうだろう。



ジークアクスの放送が終わった翌日にTLを眺めてみた。アフタヌーンの話をしている人が誰もいなかった。しかしそれはアフタヌーンにとっては運が悪かったなと思う、なにせ、今回のアフタヌーンはとてもよかった。ここ数回で一番よかったフラジャイルはもちろんのこと、ブルーピリオド、スキップとローファー、ワンダンスなど、多くのマンガがある種の頂点を迎えていて、今月号はなんだかすごくあたりの号だった。

いい作品はみな、作者の過剰な集中によってつくられている。始終がちがちに緊張しているわけではないが、必ずどこかに「異常な密度のなにものか」が存在していて、うわっこれどうやって作ったんだよ、と人に思わせる。アフタヌーンの今月号にはそういう類の作品が多かった。すごい話だよなと思う。

働き方を常時改革していては絶対に達成できないなにものかがある。人の人らしい暮らしからは生まれ出ることのないなにものか。ワーカホリックという言葉、1970年代前半に産まれたそうだが、いまだにそんな古い言葉で人の働き方をしばったり揶揄したりしているということに疑問を持つべきなのだろう。猛烈に働かないで人の心を動かすものができてくるわけがない。私は今、とにかくそういう気持ちでいっぱいだ。そして、だから、始終気が散って集中しきれないでいる自分に、少しがっかりしている。アニメも見てマンガも見てSNSでもやってそれで聴衆に感動してもらえるような学術講演を作れるわけがないのだ。ガンダムも終わったからそろそろ私はきちんと集中できる部屋に戻らなければいけない。まあ、ここまできたら、ラザロの最終回とアポカリプスホテルの最終回を見てからにするのだが……。