地方出張の朝

倶知安厚生病院への出張もこれで最後。今後、おそらく仕事のご縁をいただいたとしても、CPCのたぐいならばオンラインが中心となるだろう。あるいは……何年かに一度、講演等で現地に呼ばれることもあるかもしれない。しかし次の職場でもこれだけの移動の手間をかけられるかどうかは正直わからない。これまでが十分におおらかであり、たまたま許されていただけだ。次は無理ではないかと思う。これまでいい体験をさせてもらったし、これまで誰かにいい体験を与えることができていればよいが、と思い、願う。

倶知安に来るたびに紹介されるホテル第一会館は絶妙におんぼろだ。狭い客室の天井には爆音を発するエアコンが、送風口を思い切り壁に向けたかたちで据え付けられており、なんらかの経年劣化に伴うと思われる振動によってかえって部屋の温度を高めているのではないかと懸念される。しかしそれでも室内はかろうじて涼しくなっていた。床はふるびたカーペットで業務用の掃除機でむりやりきれいにしている。冷蔵庫はもちろんHaierだがそこまで古くはなくてむしろがんばっている。給湯器の金具もきれいできちんと取り替えてはいるのだろう。ウォシュレットだってついているのだから日本とはすごい国だなと思う。つまりいやがるような部屋ではないのだ。そのニュアンスを込めての絶妙なおんぼろ加減、愛すべき古宿である。

倶知安市内にはほかに、山に近いところにいくつものリゾートホテルが建っている。スキーシーズンである12月から3月は一泊10万超えは当たり前。下手すると一泊20万。しかもそのいくつかは5連泊以上でないとそもそも受け付けてくれないという。価格的にも使用目的からも日本人には手が届かない。ただし、東京や京都の高級宿と違うのは、夏は良心的な価格、1~2万円程度までがっつりディスカウントするということだ。スキーがないと魅力もないと言わんばかりである。そういった宿に、夏のうちに泊まっておくというのもひとつの手ですよ、いい宿ですよ、と事務方には提案された。しかし、私はなんだかんだで最後の倶知安出張を第一会館で済ませてしまった、その理由はよくわからないが、反骨精神というよりも郷愁に近いものだったのかなと思う。

出張でくるたびに羊蹄山が見えるか見えないかで小さな占いの気分となる。今回はあまり見えなかった。


ここ何年も、出張先で泊まった宿は公開しないようにしていた。理由は単純でストーカーがやってくるからで、「聖地巡礼」とか言いながら私の泊まった宿の入口の写真を撮って病院に送りつけてこられて以来、宿を学会や研究会の会場からなるべく離し、かつ同じ宿には二度泊まらない、学会の会期中も移動ルートを毎日変えるなどの工夫を余儀なくされた。しかし私はおそらくもう第一会館に泊まることはないので今回は公開してよいだろう。世話になった。とりわけ思い入れがあるというわけでもないのだが、なんというか、この宿のことは長く覚えていそうだなと思う。

朝飯会場に行くと、すでにテーブルには宿泊客の数だけの御膳がオープンな状態で配置してあって、「ご飯の置いてある場所ならどこでも座っていいです」という今となっては斬新なスタイルだ。白米と味噌汁はセルフサービスになっていて、自分でよそってテーブルに運ぶ、そこにはすでに配置済みの、3×2の松花堂弁当風のおかずがあって、脂のよく乗った鮭の切り身と明太子といんげん、ところてん、おくらの入ったあえもの、卵どうふ、ひじきの入ったあえものなどがちょんちょんと入っており私くらいの年齢にはじつにちょうどいい量である。白米のそばには納豆や海苔もあったので足りない人はそうやって腹を満たせばよい。コーヒーやお茶のたぐいが見当たらなかったがおそらくどこかにはあったのだろう。私は窓際の座席で7時に朝食とする。すでに幾人かの人々が泊まっていた、おそらく全員が日本人で、その半分くらいは近くで土木・建設に従事しているであろうがたいのいい男たちであったが、女性客、老人なども宿泊しており、火曜日にしてはけっこう使われているのだなと感心をする。誰かのLINEが小さく鳴る。私と同じ着信音なのでつい自分のスマホも確認してしまう。まだ10分も経っていない。朝食を取り終えたら自分の車で札幌に向かう。今日はこのまま出勤する。倶知安厚生病院への出張はこれで最後。おそらく最後だがなんとかまた理由をつけてここに来ることがあるだろうかと思いつつ、ラジコでバナナマンのバナナムーンゴールドを流しながら私は札幌へ向かった。