私のような病理医が、医療者向けに講演をするといったとき、お薬屋さんの企画には乗りづらい。治療の話をしないからだ。「いずれ治療につなげるための診断」の話ではあるのだけれど、「具体的にどの薬をどれくらい使ったら患者がどうやってよくなるか」みたいな話は一切しない。マスの患者を数字に置き換えた話をぜんぜんしない。なにより私自身が外来で薬の処方を書いていない。だから、お薬屋さんからすると私は顧客とは認識されていない。
そのため、私にしゃべらせたい人たちは、しばしばスポンサー探しに難重する。今度、札幌の市原を呼んで講演会をやりたいんですけれども……。「市原? 病理医? そのお話は弊社の製品となにか関係がありますか?」とまではさすがに言わないけれど、「なるほど承知しました。社内の稟議にかけますね。……すみません、来年度の予算編成がもう終了しており、今回はご希望に添えませんでした。しかし次回以降の講演会の演者候補として登録させていただきます」みたいな紆余曲折で削ったあとに実はまっすぐ断る返事でにべもなく切られて終わり。お薬屋さんのバックアップがない勉強会は、もちろん金がかかるし手間もかかる。会場レンタル費用、オンライン配信費用、会の告知の手間、会場の準備の手間、源泉徴収を済ませた講演料をどのように用意するか、遠方からの招聘に際し交通・宿泊をどのように手配するか……。有志で寄付を募る。医師が車を運転して空港まで迎えに行く。そういった大量の気配りの末に、ひとりの病理医が呼ばれる。とんでもないことだ。ありえないことだ。交通費も講演料も早め早めの連絡。プレゼンのバックアップについても、共同開催する研究会の内容のシェアも、何もかもが一連の心配り、同窓会(LV. 100)の幹事をやるようなものである。しんどい。
それほどの恩のある人たちに呼ばれるのだ。そんな朝なのだ。そんな朝に、私はまっすぐ空港に行かずにいつものように出勤して、メールに返事をしたり書類のまとめなおしをしたりして、あげくにネクタイを忘れただとかおみやげをまだ買ってないだとか、どう考えても心得違いなのである。私はどうもこういうとき、自分のポンコツさ、それは近ごろの世の中ではしばしば「生きづらさ」みたいに変換されて、「バリアは社会のほうにあるのです」とかフォローされて、むしろ優しさの対象となっていたりもするようだけれど、そういうポジティブな意味ではなくて、これは掛け値なしに自分の欠陥だと思う、そういう自分のダメさ加減を、つくづく思い知る。
ぺらぺらと指ばかりよく回るけれどしっとりと気を配ることが苦手だし、訓練しなければいけないとわかっているのにこの年になってもまだ改善の見込みがない。罪の一種であろう。あるいはその前にあった自分では気づいていない罪に対する罰の一貫なのかもしれない。
八方に気を配りながら、かつ、「人間はふつう、そこまでいろいろと気づくことはできない」ということをきちんと引き受けている人というのがたまにいる。たまにしかいないが確実にいると思う。実生活でもこれまでおそらくたくさん出会っているし、オンラインでも数人、該当する方がいる。その一部はとても繊細な物語をつむぐ達人で、ふつう、創作者というとなんとなく、自分の創作するもの以外には無頓着なタイプを想像するし、それこそ手塚治虫なんて私生活はボロボロなんでしょ、みたいに思っていたのだけれど、現在ばりばり現役の、国民的な漫画の作者の中に、この人の気配り力というか気を感じ取るアンテナの感度はどうなってんだ、そのアンテナが接続している計器の精度はどうなってんだと舌を巻く方がいる。そういう方々の仕事と遊びとを遠巻きに拝見していると、ああ、いい仕事をされている方がこれほど人にもやさしいとなると、私はこの先どれだけいい仕事をしようとしてもそれが日頃の行動の免罪符にはならないんだよなあと、絶望的な気分に満たされる。ていうかいい仕事だけでも異常にむずかしいのにその上、人にやさしくするなんて。逆か。逆なのかもしれないな。