旅立ちの前の

猛烈な日々を通り過ぎた。肌も胃もノドも腰もずたぼろだ。しかし通り抜けた。これで、ここから2週間、「凪」に入る。出張はあと1つ、乗る飛行機はあと2回、毎日ウェブで会合があるけれど、研究会はあと4つあるけれど、でも、もう、準備は全部終わっているし、今の職場でこれ以上私が新しい仕事をはじめたところで、残る人たちに引き継がなければいけない分あまり大きなことはできない。だからもう終わったのだ。荷物は預け終わり、保安検査も滞りなく終わり、呼ばれるがままに機内に入って、席を探し、座り、カバンの中からイヤホンを取り出して座り、シートベルトをし、いよいよ離陸の最終準備。Prepare for departure。機長の声が響く。心の中のCAたちが配置につく。飛び去るのだ。感慨が湧いてくる。私が出禁にした製薬会社の営業も、再来週からはまたこの検査室に入ってこられるようになるし、私が長年使っていたメールアドレスも、再来週からはメーラーデーモンによって管理されることになるし、今私の目の前にあるアナログ顕微鏡も、これからはバイトの医師によってたまに電源を入れられる程度のものになる。



ワンピースを1巻から読み返すと大変なことになるのでとりあえず61巻から読み返している。新世界に入っていくシーンの画力は今読み返すと非常にすばらしい。荒れ狂う海に笑顔で飛び込んでいく姿を見て、まさかの47歳男性がこれほど「癒やされる」のだから、マンガというのはおそるべき力を持っている。活力が出るとか奮い立つとかではなく「癒やされる」。人間、優しい言葉をかけられたり、期待されたり、見返りを渡されたりすればそれでいいというものではなくて、なんとも、びっくりする角度から満たされることがあるものだ。心にどういうカギが刺さるとどんな扉が開くかなんてのは、およそ予測のできない部分がある。ちかごろは、すでに買い揃えているマンガをいちから読み直す時間がわりとある、これがだいぶいいようだ。心が潤っているのがわかる。

私はもともと、小さいころから、字の本はめったに再読しないのだけれどマンガは何度も何度も読み返す習慣があった。それがここ最近めっきりと再読しない生活になっていたのだが職場をやめるタイミングで再びいろいろ読み返すようになり、それが思いのほか彩りになってくれている。昔やったゲームをやり直してみたらどうだろう、みたいなことも考えた。ただゲームをやり直すほどの時間はなさそうだ。あと2週間で次の嵐がやってくる。



マットレスを買った。もっと高いのにしたらよかったかなと思わなくもない。しかし、元来、畳の上にふとんで寝るのが一番性に合っている。だったらそんなに高いマットレスなんて買う必要もないだろう。

たった3行の、この程度の判断すら、もう何年もしていなかったような気がする。非線形の因果のことばかり考え続けて、「ああだから、こう」みたいなプリミティブなうなずきかたを、長いこと避けてきた。なにかむつかしいことをかんがえよう、これからのぼくは。MOTHER2。まさに40代の私とはそういうものだった。どせいさんが鼻で笑う。鼻が大きいからきっと大笑いになる。



5分後にオンラインで座談会に出る。自己紹介というのをしなければならないらしい。困ったことだ。どこから何を紹介すれば適切なのかがよくわからない。傷んだノドを気にして口の中にさきほどのど飴を放り込んでしまったがまだ溶けていない、そうだ、コロコロ鳴らしていれば、私という人間のありようが少しは重層的に伝わることだろう。座談会のテーマとして掲げられているもの。「最前線」「現場」「すれ違い」「支援」「育成」「継承」「AI」「印象に残ったもの」。どのキーワードに軸足を置いて話すべきか迷う。体験以外になにか、体幹がぐらついたときにとっさにつかめるものはないか、それがたとえば「失敗」であり「後悔」であると私らしいなと思うのだが、そういった言葉が一切提示されていない企画書を読むと、なるほど今回も私は嵐の中に飛び込んでいくようなつもりで働くしかないのだなとあきらめ半分、ほほえみ半分。