クッキングシートを使ってシャケを焼いたら脂がいいかんじでまわりのキノコとなじんで絶妙にうまい料理になった。ピーマンの種もろくにとってなくてかろうじてヘタを外しただけ。ブナシメジだって洗ってやしなくて石づきを切り落としただけ。シャケに至っては味付けゼロだ。それでうまいのだから笑ってしまう。食後にはお茶など入れてみた。明日は梨を切ろう。週末には妻に料理の練習をしてほしいと伝えて約束をした。新生活で考えることが多い。メールアドレスも変わった。顕微鏡も変わるのだ。デュアルモニタもどう配置したものか、まだ出勤していないから、私の車の中にはアームのつながったモニタがそのまま積んである。
気忙しい。夜もぜんぜん眠れないのだ。興奮している。ああ、お茶を飲んだからじゃないのか?
本を並べ替えたりCDを並べ替えたりもする。レコードプレイヤーを買い直す気にはならなくて、Zの「御壁」はさすがに部屋の単なる模様になってしまっているけれど、今朝はひさびさにSmooth Aceをかけてみた。大学院時代に持っていたCDの多くは紛失したがなぜかこれは残っていた。そういえば高校の同級生で青山に行った男がLOVE PSYCHEDELICOの一年後輩だと言っていたなと急に思い出す。彼はあやしい医学にはまり、そういうのにどう対処していいかわからなかったころの私は不機嫌になってそれっきり没交渉になってしまった。SNSではそつなく人をこなしていけるのに、なぜこうも、リアルだとうまくいかないのだろう。
壊れていたCDが直っていた。昔、これをかけたら必ずこの箇所で音が飛ぶ、その飛び方ばかりが記憶に残っていたあの曲が、なんのひっかかりもないまま……と思ったら昔とはちがうところでやっぱり音が飛んだ。おもわずキータッチする手をとめてニンマリとする。
さあこれからの話をしよう。
まず私は勉強をしようと思う。それも猛烈にだ。極く集中してこれまで診断してこなかった臓器についてもしっかり人並み以上に会話ができるようになりたい。診断くらいならなんとかできる、目指すは臨床医とまともに治療の話ができるくらいまで練り上げることだ。次に、新たに胆膵領域の勉強会に二つ出ることになった。これは縁がつながったとしかいいようがない。本来18年前からやっていてもよかったのだがつながるのにそれだけの時間を要したとも言える。ようやくたどりつけた、という気もする。そして消化管病理の世界、そろそろ大きい仕事に取り掛かろう。人を集め、その真ん中で存分に踊るべきである。遅いくらいだ。しかしまだ定年まで17年ある。私はちょうど、今年、折り返しだ。ならば遠慮はいらないし尻込みしている場合でもない。そういうことをきっちりやりつつ、病理学全体を包括する原稿をいい感じで温めてきた、これをあと1年で書き終わろう。今の新しい生活はこの原稿を確実にふしぎな方向に引っ張っていく。自分の指から想像もつかない文章が出てくる瞬間をじりじり待っていた。これは、おそらく、書けるなという予感がある。ついでに新しい教科書にも着手する。これも縁あって声をかけてもらった。教育的な本というのは自分が学ぶために書くものだ、少なくとも、今の私にとっては。
よし、これからの話は十分だろう。いよいよ過去にこだわることに戻ろう。
高野雀のマンガ『13月のゆうれい』が不思議だった。余韻が長い。もはや私の息子・娘であってもおかしくない……というと言い過ぎだが、息子・娘の先輩、くらいの年齢の男女がそれぞれ微妙な恋愛をする、みたいな話で、読み始め、私は一切感情移入できないだろうなとぼんやり予想していたのだがさにあらず、なんと、移入はしないが囲繞をするのである。十重二十重に取り囲んで大事に守ろうとするのだ。なんておもしろい読書なんだ! そんなことがあるとはなあ。親目線、とまとめてしまうとニュアンスがちょっとずれる。どちらかというとオタク言うところの「壁目線」なのだろうが、しかし、登場人物たちをハラハラと包み込んで大事にしてやりたいと感じている自分の心の動き方に、ああそうか、今の私は、もしかすると機嫌がいいのだな、と思った。ちなみにまだ退職金が入っていない。