点群解析

上下左右前後から壁が迫ってくるものすごい圧迫感の夢から目覚めて最初に思ったのは「壁同士の接触をどう解消していたのか」という物理的な疑問だった。キュービックな部屋そのものが内部に向かって均一に縮小していたということだろうか。そんな構造が自然界にあり得るか。私がブラックホールでも無い限りそういう物理現象は起こらないのではないかと思う。

こんな夢を見たのもひとえに昨晩3次元病理学の話をさんざんしたからだ。点群化した3次元形態の解析は病理形態学の行く末を変えそうだと感じた。そして、今からその現場で私がなんらかの貢献をするとしたら、それはどのような系であり得るのか、考え、悩み、目を落ち窪ませ、今朝、日の昇る前から、高速道路を私はひたすら移動していた。

ひげの剃り跡を撫でる。

サービスエリアでコーヒーを買った。ポッドキャストが一段落したタイミングでYouTubeに切り替え、「米粒写経の映画談話室」を流しながら車道本線に復帰した。映画談話室では画面に映る情報も捨てがたく(映画のパンフレットの画像など)、ときには居島一平さんが顔芸をしたりするので、本当はじっくり画面を見ながら聞きたいところなのだけれど、今の私は日常的に、仕事以外で15分以上モニタを眺める気持ちの余裕がない。じっくり腰を落ち着けて動画など見ていると、この時間で一通でもメールを返せたではないかと不安のほうが膨らんできてしまう。だからここのところ、動画コンテンツはラジオとして流し聞きできるものしか視聴していないし、そういう意味では高速道路のお供にぴったりだ。助手席の上にスマホを置いてbluetoothで音声をカーステレオから流しながらの運転。ディカプリオの新作映画に対するネットの感想の中に、ディカプリオのことを「イケてるおじいさん」と評している若者がいたという話を聞いて笑ったし、ときのながれだなあとしみじみしたあたりで、ジャンクションが見えてきて、オートクルーズオードをオフにして速度を落とし、ETCレーンに侵入。その刹那、動画の音が一瞬後退して代わりにピコンとアプリのアラートが鳴った。

まだ日も登ったばかりだ。Gmailだろうか、こんな時間に? 胸騒ぎとともに一瞬スマホに目をやって、すぐにまた正面に顔を戻す。網膜の残像を後方視的に解析する。そこには不穏な二文字が浮かび上がった。

欠航

と読めた、ように思った。そんなばかな、ここまでけっこうな距離をドライブしてきてようやくあと少しで空港に着くんだぞ。しかし車はもう速度をあげてしまっている、さすがにスマホを手に取る気がしない。とにかく次のサービスエリアだ、と思うがタイミング悪くなかなかサービスエリアが出てこない。やむなくいったん高速を降りる。そこまでしなくても、と思いつつも、「もし本当に飛行機が欠航だったら、1分でも早くアクセスしないと次の便がそうそうに埋まってしまう」というおそれのほうが強かった。一般道に出る。間が悪くカチカチ停められそうな道ではない。しばらく走ってコンビニ。駐車場にすべりこむ。トラックの運転手がハンドルに足を放り出しているのが見えた。スマホを開く。間違いなく欠航している。ただちに代替便を探る。全便満席だ。ANAもJALも。抜け落ちなく一切のすきまなく満席であった。これはおそらく、早ければ間に合ったというものでもなくて、本日はそもそもタイミング的にそういう日なのだ。私の昨晩からの努力、「翌日の運転に備えて懇親会でもお酒は控えめにする、なるべく早く寝る、朝は4時すぎに起きる」といった一連の準備行動はぐるりとそっくり返って裏になった。脱力して指がしびれた。本日これから訪れるはずだった研究会の幹事役に電話をかける。早朝だがもう今連絡しておかないとどうにもならない。急遽Zoom URLを発行してもらう。最初からオンラインでやればよかったのではないかという話だが、今日は、できれば現地で虫垂と炎症の話を死ぬほど深堀りしたかった。

努力というのは裏切らないが、裏返ることはある。つまり努力とはトポロジカルにはシートなのだ。努力は、基本的には帽子のような形をしていたり、稲穂のような形をしていたり、サンゴ礁のような形をしていたり、とにかくなんらかの意図かと誤認する程度の法則をもって外向性に形成される幾何学的な構造と信じられているのだけれど、実際には、広げていくと一枚の、面積はあるが厚みさまざまのシートに過ぎず、なにかの拍子にぐるんと裏返って少し油気のある、べとついて埃まみれの、人生ゲームの盤面にはめ込む謎の山のようなくびれたドーム状の形に変貌してしまって何にも使えないししまうにも捨てるにもただただ邪魔なだけなのである。

空路や駐車場などの予約解除を粛々すすめる。心は冬のカランのように冷えきって、へたに触ると指先の薄皮を持っていきそうな危険さも醸し出している。だから指は心に近づかず、代わりにスマホを触ってスッスと契約をふりだしに戻す。人生ゲームには「ふりだしに戻る」がないからあれはすごろくではないのだ、と言った人がいた。逆だったか。人生はすごろくと違って「ふりだしに戻る」がないからそのつもりで、だったか。

抜いていた朝飯を買って車内で食いながら自宅に戻る。一日ははじまったばかりで、中年は半ばを過ぎ、研究の入り口にもまだ立っていないのに私はアカデミアの内部にいるふりをしている。裏返せばぽんとはじき出される程度の、人生ゲームの、先端に●のついた棒状の、じつはヒドラであっても全くおかしくない、車に乗せて引き返さずにどんどん進んでいく、あのような形の人としての私の音が響く。