落ち着いてきた。いや、まだ、ぜんぜんなのだけれど、落ち着いてきたとは思う。
昨日は昆布に漬け込んだとされるサバをまるごと一尾焼いて食った。皮の側に切れ目をいれるのを忘れて、また内部が水気多めになるかと思ったけれど、そうでもなかった。脂の乗ったうまいサバだった。しかし脂が多いものを食うと翌日には若干大腸がけいれんするような感じがある。先日、東京からゲストを迎えて、北の地でもかなり有名な店に教授の金で連れて行って(※私は一切支払っていない)、相当うまい肉を食ったが、脂がきつくて翌日なかなか激しい腸管攣縮痛に苦しんだ。今やそういう存在なのである。損な在りかた、すなわち損在。
それでも落ち着いてきた。かつて毎朝、ポットに緑茶を淹れて水筒に詰めて出勤していたのだけれど、私が必要なのはタンニンとかカフェインとかカテキンとかではなくて50度くらいの温水なのではないかと思いたち、近頃はただ沸かした湯冷ましを水筒に詰めて出勤している。これでわりとなんとかなってしまう。大事なのは味ではなく温もりのほう。「そういうこと」はいろいろな領域で簡単に言えると思うが、過度な一般化はレビュアーに殴られる。けれども、一例の結果から推測できる大げさな物語、その試行と墜落の先に科学が待っている。「りんごが木から落ちたって、それ、あくまであの木の乾燥ですよね」とニュートンがXで叩かれていたらどうなっただろう。いろいろいやになって世界を拒絶するニュートン。万有斥力。
落ち着きながらもうわついている。座ってはいる、しかし、腸が肺をドンツク押し上げてくる感覚があって呼吸が浅くなる。これまで、似たような症状を報告した同輩たちはみな休職した。なるほどこれが選択圧かと肌身に感じ取っている。ただしこれは圧は圧でも浸透圧だ。なにかが吸い出されている、もしくは、なにかが吸い込まれている。どちらの濃度が高いかはまだよくわからない。わからないが濃度勾配が生じて浸透膜の部分に肌のつっぱりのようなテンションがかかっている。血圧とコレステロールの薬を忘れずに飲む。
ChatGPTを毎日訓練してよい文献を出してくるように教育しているのだが、あまりうまくいかない。さらに、うまくいったとしても、プロンプト程度でできることならば私がやらなくてもよいのでどんどん研修医や専攻医に投げていく、そして、「私でなければできない仕事」だなあと思ったら私はChatGPTと組んで身を乗り出す、そして、20分くらいで「なんだここまで指定すればあとは学生でもできるではないか」となって、また投げ出す。あまりうまくいかない。AIの研究がいやになったのも思い返せばこういうところだった。「なんだこんなもの、全国有数の頭脳を持った若者が学生時代に本気で打ち込んで身につけたエンジニアリングの技術さえあれば、病理医じゃなくても作れてしまうではないか」という実感が胃袋にどんと入り込んで、私はAI病理研究にかんするやる気をなくした。
では聞くが、病理医でなければできない仕事とはなんだ? 人間でなければできない仕事とはなんだ? 誰でもできるがとりあえず私がここにいるから私がやろう、みたいな仕事を、ちまちまとこなしていくべきであろう。目の前で人が倒れていたら駆け寄って声をかけて人を集めてBLSをググる。道端で人が困っていたら怖がらないように少し角度を変えて斜め横くらいから近寄って声をかけて道案内をググる。それは病理医でなくてもできる仕事、そして、人間でなくてもできる仕事、でも、そこに私がたまたまいたから、GoogleやAIを呼び起こすための詠唱の呪文を発するための口もしくは指としての、私の損在価値。