咀嚼音が強い人間

咀嚼音が強い人間。ぐちゃぐちゃくちゃくちゃ言っている人間。男女を問わない。どことなく、キャラクタとかありように、共通点があるように思う。ぐちゃくちゃタイプをしばらく観察していると、見た目やしゃべりかたや立ち居振る舞いなどは必ずしも一定の傾向を示さないのだけれど、どこか、なにか、雰囲気に共通点があるように感じる。

「自己顕示欲が強い」という感じか。あるいは、「細かいところに気が付かない」という感じか。どちらも微妙にずれている気もする。もう少しきちんと言葉にする。

咀嚼音が強く、ためいきを人に聞かせるタイプの、座席のひじかけに関する占有面積が多い男女。どうも、共通して、自分から発したものはすべて誰かを動かすためのものだ、と考えているように思う。何かを出したからにはそれで何かが動かないと気がすまない、みたいなイメージがある。たとえばそういう人たちは、自分という砲塔から放たれた砲丸が、自分に硝煙をまとわせることにあまり頓着していない。火薬の爆発が砲身の内側を焦がしていることに興味を示していない。自らを省みてキャリブレーションすることをないがしろにしている。自己を調整しようという気持ちがない。座標のゼロポイントを自分の重心と合致させないと認知がうまく進まない。

自分から出る音やにおいや温度に興味を示さない。だから咀嚼音が強い。まあ、なんか、そういうことなのだと思う。

そしてこれはしばしば、さきほどの私のように「自己顕示欲が強いタイプ」と捉えられたりもするのだけれど、じつはちょっとずれているのかもしれない。本当に自己顕示欲の強いタイプというのは、あるべき自己、理想の自己、調整前後の自己をよく認識しているので、むしろキャリブレーションの頻度が高いように思う。鏡をよく見る人間の食事はむしろ静かだ。摂食行動よりも写真撮影に熱心であるような。

すなわち咀嚼音を空間に響かせて平気なタイプというのは「自己の感覚神経から飛び込んでくる他者の刺激が快適であればそれ以外のものはいらないタイプ」であり、「自己を喜ばせるために自己由来の情報を必要としていないタイプ」であるので、自己顕示欲はむしろ低くて他者感受欲だけで満たされているのではないかと思う。するとそういう人間たちは自分である必要がない。アイデンティティの同一性が動機とならない。鏡が要らない。精神が身体に設置している必要がない。AI全盛時代に都合よく暮らしていける。選択圧を乗り越える力がある。未来の人類の可能性を一身に担っている。結論として、人間は滅びるべきではないかと考えている。