昨年買った中古のゴルフバッグを売ろうと思う。もうすこし遊びにいったほうがいいよ、人生仕事だけじゃないんだから、もっと楽しもうぜ、と中学校時代の同級生などたくさんの人々に勧められ、昨年の冬からゴルフの打ちっぱなしに行き始め、春になってさてそろそろコースに出ようかと誘われたとき、異動の話が出て猛烈に忙しくなり、雪が溶けてから以降は毎週末なにかしらの業務や出張で、結局一度もコースには出られなかった。正確には、春から秋までのあいだに2度ほど、土日のどちらかが空いていた日はあったのだけれど、そのような日も私は、「車が出払っていて」とか、「ウイルスに感染して」などの理由をつけて、家で一日本を読んでいたり、映画を見に行ったりしていた。秋が来て雪が降りコースも閉じ、では、気を取り直してまた打ちっぱなしにでも行こうと誘われたのだけれど、異動を終えた今の私は週末に遊びに行きたい気持ちが1デシリットルも残っていない。看護学校の試験問題の採点が終わらない。依頼された原稿を書き終わっていない。インタビュー原稿の編集もこれから。スタートアップの研究費の申請書を書けていない。講習会のログを見直したい。次の講演のプレゼンを練り込みたい。私は仕事に埋もれるために転職した。自分の時間を過ごすとか、幅のある暮らしをするとか、人生を楽しむとか、資産を増やすとかいう、所詮は他人の興味だ、それらは自分の興味ではないのである。とはいえ、標準偏差に十分おさまるほどには平凡な私のことだ、どんなことでもはじめてしまえばきっとおもしろい。自分の体を自分の思い通りになるよう調整する試みが、しみじみおもしろいなんてことはよくわかっているつもりだ。ゴルフだとかバイクだとかカラオケだとかイラスト作成だとか、カメラだとか旅行だとか美食だとか、そういうことだろう、そういうことなんだと思う、私はそれらと全く同じように職務に惑溺したい。そしてそのことを皆に喜んでほしい。「仕事という趣味があっていいねえ」と言われたい。ゴルフバッグなんて要らないのだ。ゴルフバッグは私の人生にとって、除雪のトラックが門柱や車庫を傷つけないように配置する三角コーンくらいにしか役に立っていない。「ゴルフでもしたら?」といい顔で寄ってくる人たちと適切な距離をとるための三角コーンだったのだ。脱兎のごとく人の生から飛び出して科学の生を暮らしていきたい。中古で買ったクラブを中古で売れば社会のアロスタシスに貢献できる、そのことを私は誇りに思う。私はゴルフをやりたくない。車もワインもワイキキビーチもどうでもいい。私はよい病理診断を書き、画像と組織とを対比し、臨床医と組織病理について会話したいのである。