クァラナイ日だ

はみ出ている、それは平日から土曜日へ、夜から朝へ、静から動へ、外界から縁辺へ。おさまりきらなくなっている。とうとう地方会に日帰りするだけのことにもPCを持ち歩くようになってしまった。あきれるほかない。長年、電車や飛行機の中でいちいちノートPCを開く中年男性のことをばかにしてきた、このたかだか30分で何をそんなにがんばる必要があるのかと、そいつらはたいていマッキントッシュを開いていた、だから私はあれはてっきり、スタバでノマドでフレックス的な自己アピールの一貫だと思っていた。違ったのかもしれない。違ったのだろう。みんなはみ出ていたのだ。はみ出た毛の部分を剃らざるを得なかった。はみ出た陰茎をしまわなければいけなかった。その、はみ出てしまう暮らしに、私も突入した。情けないなと思う。終わらないのだ。

たった今、本日の共同座長の先生に声をかけられた。指が慣性で入力を続けたまま私はそちらに向き直ってPCのフタを閉じて挨拶をした。名刺入れを忘れてきてしまいました、どうもすみません。本日はどうぞよろしくお願い申し上げます。型通りのやりとりのあと、座り直してPCを開ける。そこに

「クァラナイ日だ」

と書かれていた。見直す。クァラナイ日だ。何だこれは。何を押し間違った。ああ、「終わらないのだ」か。先の文章の、「終わらないのだ」は、今、考えて入力し直したものである。私はこのとき「終わらないのだ」と入力しようとして、声をかけられて視線を外した。そこで指がずれたのだろう。どちらにずれたらこうなるのか。クァ? K, U, L, A? K, U, X, A? おわらない(OWARANAI)からそのように入力ミスをするようには思えない。キーボードを見ながら、ありえる「ずれ」を想定していろいろ試してみる。pわらないのだ。いわらないぼだ。くぁらないのだ。あっ、これか。ああ、そうか。O→Wの部分だ。Oの指が少し左下にずれて、K→Wとなったのか。そうなのか。K→W→A、と入力すると、クァ、になるのか。この組み合わせ、知らなかったなあ。クァラ無いのだ。あれ? 変換が違う。というか、日だ、はどこから出てきた。N→O→D→A。これはすぐわかった。Nを左側にひとつ、Oを左側にひとつずらせばいい。B→I→D→A。「終わらないのだ」の瞬間に話しかけられて右手が左やや下にわずかにずれて、それでうち間違うとたしかにクァラナイ日だ、になる。

クァラナイ日に暮らしている。スーパーカミオカンデの中に飛び込むニュートリノのことを思う。私はレッサーカミオカンデだ。内部に水を溜めており、外から何もかも貫通して飛び込んでくる小さい粒子によってたまに小さな波を発生する。粒であり波であるものを発生する。それは極小だが確かに質量と運動量を有していて、その反作用によって私はいつも右に左にはみ出て、また次の衝突で軸をずらしながら少しずつずれ続け、ある程度の時間軸で総体としてみるとあまり動いていないのだけれど、時間で微分してみるとじつはいつも揺れていて落ち着かないでいる。はみ出るクァラナイ日。くだらなくはない、それはもう、救いというか、掬いであって、私はこりずに水を汲んで張ってまた次の衝突に備えてスキャナのビープ音を待ち続けている。