お誕生日おめでとうございました

わりと仕事に慣れてきた。半年かかるかと思ったが9週間だった。切り出し、診断、おそらくもう、前の職場でのスピードの、7割くらいまでには戻すことができた。あとはゆっくり数年かけて9割くらいに持っていけばいい、そこは急ぐ必要はない。一安心している。

やたらと事務仕事が増えていることを自覚もするし、周囲の人間にも指摘されるのだが、手帳を見返してみると転職直前の仕事の量と、じつはそんなに変わっていない。まだ経験がなくてよくわかっていないけれど、たぶんこの事務仕事も、慣れればもう少し早くコンパクトになっていくだろう。

これはつまりピット・インのようなものだった。スピードは落ち、周回レベルで遅れた、しかし、あらゆるレーシング・カーは、いつかどこかではピット・インしなければならない、それはどのチームにとってもそうだ。そして私は無事、タイヤを入れ替え、給油をした。あとはまた加速度が背中で感じられなくなるまでアクセルを踏み込んで、そこからは脊椎の横にへばりついている筋肉たちがカーヴのたびに加速度を感じるように、右に左にハンドルを切り続ける、あの冗長な作業の日常に戻るだけである。

新しい研究を2つはじめて、そのどちらも、はじめたとは言いつつも当分は自分なりのデータなんて出ないものなのだけれど、ただ今までの職場にいてはおそらく合流することのできなかったものだ。さらに、これまで、私が「画像・病理対比」という名前で手掛けてきた、よく言えば研究のタネ、悪く言えば研究未満の未熟な活性化細胞的なにか、が、今の職場に来てからどれも一段ずつ迫力を増した。職場を変わることで、これまで私と一緒にやりとりしていい顔をしてくれていた、診療放射線技師、臨床検査技師、そして医師、そういう人たちが、「なんかあいつ、変わったな」って思って残念な顔をするのだったら、それはだいぶつらいなと思った。そして私はおそらく新しい場所でかなり削れて、前に持っていたもののいくつかは捨てることになるだろうなと、悲観的に予測して、それでも捨てきれなくて、前に進むどころか地表からずぶずぶ潜り込んでしまうのではないか、なんてことも考えていた。でも、今、なんだろう、私はどうも、「うまくやれそう」な気がするし、実際、今のところ、まだ判断は早いかもしれないが、「うまくやれている」のではないだろうか。

前にやっていたことをすべてそのままやりながら、新しく何かをはじめ、それらを互いに衝突させて場の温度をあげたりする。いくつかをフュージョンさせて新しい何かを生み出す。

というか、それをできなければ、前の職場を出るときに悲しそうな顔をしていた恩師に、申し訳なくて、やりきれなくて。

学会の主催を手伝ったり、専攻医のバイト先を確保したり、研究会の手配をやったりしながら、恩師の顔を思い出す。彼は、私の送別会の日、言葉少なではあったが、新しい職場の近くにある、うまいラーメン屋のことを教えてくれた。恩師は、私が今いる場所を43歳の頃に出て、今の病院に入り、私は、47歳で彼のもといた場所に入職した。完璧に逆のルートであり、彼の懸念は痛いほどわかる、ここはそういう辛い場所だ、いやな場所だ、そして、私は、彼のもとで18年、バイト時代を含めれば22年、修業した結果、彼が去った場所で「うまくやれるかもしれない」自分となって今ここにこうしている。彼はとても悲しそうな顔をしたのだ、だったら、「うまくやる」しかないではないか、そうやって肩をいからせ鼻息を荒くする私に、彼は、うまくやろうとしないで、きちんとやりなさいと、声を抑え気味にして優しく諭す。