部屋が寒い。暖房を焚いても寒い。梁の部分が冷え切って、壁や天井から暖気を吸い取ってしまう。自分がいるときにだけ暖房しても足りない。不在のときに暖めておかなければだめなのである。それはもう、何につけてもそうである。
ユニクロのフリースの、普通のやつではなく、ドフラミンゴが着ているようなふわふわと毛羽立ったタイプ。一年のうち短い時間しか売りに出さないやつ。もう一着買いたい。あと二着あってもいい。いつも思っている。LサイズではなくXL。大きめのものをがばっと羽織る。あまりに部屋着として便利すぎる。外でこれを着ている人を見ると、「あっ、ルームウェアのまま間違って出かけた人だ!」と感じる。申し訳ないことを言っている。
止めたままの原稿が雪で覆われていく。あれはもう、次に書き始めるときは、別のものになってしまう。置いておいた時間が長すぎた。たぶん雪の下でいったん枯れる。凍ったまま枯れて、なんの肥料になるでもなく、そこでぺちゃんこになって、濡れたまましなびていく。そして、その、栄養が増えたわけでもない土の中から、また新たにフキノトウのように、次の芽が出てきて、前のシーズンにだめになったものを押し分けて育って、雪をどかしてそれがはじめて原稿になる。フキノトウの頭には、残骸となった前シーズンの原稿が少しだけ乗っかっていて、収穫の際には指でほろって捨ててしまう。そこには、もともと、フキノトウではない何かがきちんと生えていたのだ。私はそれを、指でほろって捨ててしまう。
ほろって、という言葉は方言であるそうだ。想像のつくタイプの方言ではないかと思う。
広島のほうに、「手がたわん」という言い方があるらしい。手がたわん、とはどういう意味なのかなと想像し、たわむ、いったん伸ばした手が所在なげにぐったりする、そういうイメージかなと思って、「手持ち無沙汰ってこと?」と聞いたら、「たわん」≒「届かない」らしくて、ああ、想像できなくはないけど最初はわかんないなあ、と思った。それに比べると「ほろって」なんていうのはオノマトペとして十分想像可能であろうと思う。「払って」が横に払う感じだとすると、「ほろって」というのは斜め下とか真下に払い落とすイメージ。雪をほろうとか、ほこりをほろうとか。ばっちり当たるかどうかはともかく、8割くらいのニュアンスは、音の響きというか言霊みたいなもので伝わる。方言の中にはそういうものがけっこうたくさんある。無理に翻訳しなくても、なんとなく、当たらずとも遠からず、で伝わるような言葉というのはちゃんとある。
照準のまんなかを少しずつ外したような一週間だったなあと振り返って思う。微妙に芯を食っていないのにポテンヒットになる。わずかな誤訳を飲んだままコミュニケーションが成り立つ。下味を付け忘れたわりに食えてしまう。余ったり足りなかったりが多発しており、ひとつひとつに目をつぶると、十分にアロスタシスとして成り立っている。一週間に限った話ではないような気がした。