「Ki-67 labeling indexという言い方は、昔を知っている人間からすると、ちょっと気になるんですよ」
黒田先生はそう教えてくれた。
脳外科医たちは、細胞の増殖能について特段の興味を示した。当時、病理医は細胞の形態から診断を行っていたが、脳外科医からすると、同じような細胞形態を示しているように見える脳腫瘍の中にも、やたらと増殖してしまうタイプと、そんなに増殖力が強くないタイプとが混じっていることが気になっていた。なんとか「細胞がどれだけ増えようとしているか」を可視化できないか、八方手を尽くした。放射性同位体(トリチウムサイミジン)を静注して、増殖しそうな細胞を「ラベリング」(標識)してから、術場で脳腫瘍の増殖活性を直接評価するような時代がまず訪れた。それは内照射的に腫瘍にも効く、という触れ込みだったが今にして思えばある種の人体実験だったことは否めない(しかし、人にたいする診療の進歩が、広義の人体実験によって検証されないなどということがあろうか?)。その後、BrdU(ブロモデオキシウリジン)という「細胞の増殖時に細胞にとりこまれる化学物質」をもちいる時代が、しばらく続いた。これもけっこうな毒物であるが、直接人体に投与するのではなく、プレパラート上で発色させる技術が開発されて、案件はようやく脳外科医の手をはなれて病理医のもとにやってきた。BrdUは取扱いがややめんどうで、もう少しべんりな「免役組織化学」(抗原抗体反応により、特定のタンパク質を結果的に「発色」させる技術)でなんとか細胞の増殖状態をチェックできないかと、たくさんのタンパク質が調べられ、その中から増殖関連タンパク質Ki-67がピックアップされた。ただ、当時の技術ではなかなかうまく抗原抗体反応がすすまず、唯一、ホルマリン固定検体ではなく迅速凍結標本を用いれば、なんとか「Ki-67」の免役組織化学が機能するということが明らかになった。その後、Ki-67の中でも「MIB-1」と呼ばれるクローンを用いれば、ホルマリン固定検体でも免役組織化学が決まるということがわかって⋯⋯。
つまり「MIB-1」というのは、増殖能の検索におけるワインディングロードにおける天竺だったのだ。どこかに理想の土地がある、どこかにゴールがあると期待しながらも、本当にそんなところがあるのだろうか、本当にたどりつくのだろうかとあらゆる研究者は模索して旅の途中で砂を噛んで死んでいくが、細胞の増殖における道のりの先にはMIB-1が存在した。
来し方を振り返ったいにしえの研究者たちは、細胞増殖能がかつて「放射性同位体によるラベリング(標識)」で行われていたこと、その後、「Ki-67をもちいた迅速検体での免役組織化学(発色)」で行われていたこと、そして最後に「MIB-1によって最も安定した検体であるホルマリン固定検体での免役組織化学(発色)」で行われていたことを思い出す。
そして、いま、私も含めて多くの病理医がふつうに用いている「免疫染色はKi-67 labeling index」という言葉に懸念を表明するのだ。ラベリングはKi-67ではなくトリチウムサイミジンの話だろう。Ki-67と呼ぶとそれは凍結検体でしかできなかったときのことを思い出す。強いて言うならMIB-1 index、これなら歴史に傷もつけずに現在の正しい呼び名として用いることはできるだろう。ただし「免疫染色」、それはだめだ、なぜなら抗原抗体反応は外から色素で染める「染め物」ではなくて、化学反応による「発色」なのだから⋯⋯。
みたいな話を聞いた。ぞくぞくするほどおもしろかった。これまで自分が書いてきたものの中にたくさん「Ki-67 labeling index」という言葉を使ってしまった。申し訳なかったなと思う。過去に敬意を表する。