球体の記憶

自宅に帰り年末に備えている。爆弾のキャッチボールのことを考える。投げつけて、投げ返されて、さあいつ爆発するか、やりとりの果て、ボールが私の手元に戻ってきたところでちょうど年末休み。やきもきしたまま爆発を待っている。そんな案件を複数抱えて休みに入った。大学のネットワークに接続しないと記載できない書類。残り日数的に休みのうちに書き始めないと書き終わらないであろう原稿。研究計画書。医局のバイトの差配。そういったものの、一覧ばかり、眺めている、まるで、トレーディングカードのフォルダであるとか、ゲームのやりこみ要素の図鑑をずっと眺めているようにだ。見ているだけではなにも変わらない。謎の納得だけが高まっていく。本当は年明けの出張のときにでもゆっくり読めばいい、医学雑誌などを手に持ってなんとなく読み始める。よくない気のそらし方をしている。家人は忘年会に行って、いない。暖房の重低音だけが響く、何も映らない部屋、下半身に毛布を何重にも巻き付けて、椅子に座った私は落ち葉の上におっちゃんこしてしまった蓑虫のようだ。給湯のスイッチを付けに行きたい。先に風呂に入っておけばよかった。不意に外から風の音と、近隣の誰かが除雪をするスコップの擦れる音。小腸の非腫瘍性疾患を学びながら私は、どうもいろいろなものの優先順位を間違えて今ここでこうしているような気になる。教え子から「明日、年内の最終出勤です!」と書かれたDMが届く。この小料理屋に、私は何度か行ったことがあり、いい店だと思うし、もう少し足繁く通えたら教え子にも喜んでもらえるのだろうが、いかんせん、百キロ以上遠くて。水曜どうでしょうラストランの、最後から2番目くらいの話で、大泉洋が、デレクターの発言に対するリアクションとして、「ひゃ、百キロ!?」と声を裏返らせるシーンがあるのだけれど、それまでの大泉たちの走行距離を思えば百キロくらいはむしろなんともない距離であり、あのときはおそらく視聴者みんなが、「ああ、盛り上げようとしているんだな、もう最後だもんな、さみしいだろうな」と、むしろ目頭を熱くしたのではないかと、私は大学生のころによく考えていたものだった、その、大学生のときの自分の気持ちに今の自分の気持ちをマージさせるという、FISHだとおそらく精度が悪すぎて商業ベースに乗らないレベルのことを、今の私はやっている。FISHというのは、マージすると陽性のパターンと、ブレイクすると陽性のパターンがあるので、それは本当に、気をつけなければいけない。私には知らないことがたくさんある。ラボのつくりかた。声のかけかた。金のとりかた。自分の機嫌のとりかた。素人。なににつけても素人。私がプロである場所とは、どこか。それは何とマージして、何とブレイクアパートされるものなのか。

オンライン会議用のヘッドセットの、マイクの柄の部分が割れた。しゃべらないほうがいいというお告げのつもりでそれをしんみりと眺める。Xを開いた。通知欄は開かない。なにげなく「おすすめ」をスクロールさせたら、海外のニュースで、空を飛ぶ謎の球体を、海外のある国の研究機関が捕獲して、今それを調べているという。そんなことをしたら、確認飛行物体じゃないか。私は5, 6歳のころ、なぜか遊びに行っていた北海道教育大学の旧敷地、のちにそこには山鼻サンタウンができて、札幌市中央図書館ができて、東急ストアとかもできるのだけれど、もともとあそこは大学だったのだ、その敷地のグラウンドで、ぼうっと遠くをみたら、アドバルーンの上の球みたいなものが見えて、でもそれは銀色に、光沢の、ホバリングが、遠近のわからないもので、私はそれを名状し難く、そのとき私の周りを自転車でやーいやーいとくるくるまわって私にバクチクを投げつけた、TくんやMくんの顔と名前と共にその球体のことを一生忘れないぞと心に誓った。その誓いまで完全に忘れ去っていたが、なんだか、完全に思い出した。あの球体はタイムカプセルで、某国の機関が調査によって内部に閉じ込められた私の記憶を漏出させてしまったのだろう。バカボンのパパは、「忘れようとしても思い出せないのだ」と言った。深いようで浅いことを言うのがギャグ。深いようで横にずれたことを言うのがシュール。深いようで高いことを言うのがナンセンス。深いようとしても深い出せないのが私だ。