すっかり書き終えていたブログの記事を前に、Ctrl + Aあたりをおしたのか、ぱっと全文を削除して、空欄になった記事入力欄をそのまま閉じ、下書きの状態で保存されていたものを念入りに削除したところで目が覚めて、気づいたら書いたはずの記事がどうやっても復旧できないのだ。Ctrl + Z! Ctrl + Z!アンドゥを繰り返してもなにも元には戻らない。私はどうしてあの記事をああやって、意志も記憶もないままに消してしまったのかと考える。おぼろげに覚えていること、あの記事はたぶん、公開すべきではなかったんだろう、そしてその、公開しないほうがいい記事をあえて公開しようとしている自分と、そうでない自分とが衝突して、互いに瀕死の重症となって、記憶とかも飛びやすくなったところでかろうじて、抑制をかけるほうの自分が記事を削除したとか、そういったところだろう。そういうことなんだろうと思った。
便から体調がわるいときの臭いがする。体はパーツごとに元気だったりそうでもなかったりしている。首の上あたりで全員に、もうすこし普通にしなさいと呼びかける役目の細胞がいて、そいつがクラスを率いているのだけれど、べつにそいつが特段えらいとか先生だとかいうわけでもないので、生徒たちはちっとも言うことをきかない。
申請書を書くのに毎日すきますきまを使ってちょっとずつ書いているのだが、その道のプロからするとぜんぜんだめらしくて、なかなかうまくいかないものだなと小石を蹴る。15年くらい前に同年代の人間たちが大変だ大変だと言っていたやつがこれだったか、と今更わかる。しかしおそらく私のほうが大変ではないのだろう、なぜならAIがあるからだ。そして私のほうが大変なのだろう、なぜならAIによってサポートを受けたライバルたちがたくさんいるからだ。AIによって人類の知能の最大公約数の部分がぐっと底上げされて、人と人との差は相対的に小さく感じられるようになり、その差によって人の飯の種をかすめとったり、逆に人に奪われてがっくりしたりといったことで人生を感じていた人たちは、戦闘へのモチベーションを失った。私もまた、人間の個体差などという、ほかの種族からみたらほとんど区別がつかないような部分で人を出し抜いたり人の目から身を逸らしたりといったことをずっとやってきて、そういうことがまるごと無力化されつつある時代に拍手を送らざるを得ない。
私たちはみな、似たりよったりになっていく。エントロピーが増大し、事象とノイズの区別がつかなくなっていく。そのことを寿ぎながら、狭い狭い安全地帯の中で、ときおり息をついて仰ぎ見て、視線を落として目をつぶって、もう一度まなこを開いたら、むらさきだちたるくものほそくたなびきたる。
燃え殻さんの文庫『ブルーハワイ』が届いた。土曜の夜に読みたい。