湧泉

来年の病理・夏の学校の予定などを立てている。科研費の申請書を書いたほうがいい、優先順位というものがある、しかし、まあ、その、私のための優先順位と、大学のための優先順位、社会のための優先順位、世界のための優先順位、これらがみな同じかというと、ま、違うわけである。ここで私が「私・大学・社会・世界」のどれを優先するかによって、優先したジャンルの優先順位が採用されることになるわけで、つまり優先した優先順位によって判断された優先の順番にのっとれば、今は科研費の申請書よりも病理夏の学校のほうを優先すべきなのである。

ずいぶん優先って書いた。こんなに入力したことのない単語だ。毎日めちゃくちゃ概念として利用しているけれど、字にしてみることはあまりなかった。

ところで、「優先」という行動に、優しさはべつに存在しない。優れてもいない。じゃあこの優とはなにか。

優先。優遇。優待。

すぐれているともやさしいとも関係がなく「優」が使われている単語がいくつかある。

「特別扱いする」という意味が「優」にはあるようだ。これに対応する訓読みはない。

漢字が中国にあったときに有していたたくさんの意味のうち、日本人が常用するためにあてた音が必ずしもすべての意味を網羅しなかった、ということなのだろう。


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イヤホンは有線に限る。充電をしなければいけないものをこれ以上携帯したくないからだ。「〇〇しなければ」が重い。なるべく義務が発生しないように暮らしたい。賞味期限を考えて早く食べ終わらなければいけない、みたいなことを考えなくてもいいように、野菜も肉も冷凍しまくる。似たようなことを一日中やっている。


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超絶ベテランの病理医から長い質問のメールが来た。この症例は確かに私が経験したものだが、しかし、だいぶ前に外で発表したものだ。それを今頃気にするのか、と思った。彼が気にする内容は根源的だ。この形態学的所見の定義はどうなっているのか。それはどこにどのようなかたちで出現するものなのか。それを見極めることは別のこちらの所見を見極めることとどう違うのか。これらは過去に報告があるのか。ほかに鑑別診断はないのか。急かす感じではなかった。責める感じでもなかった。ただ、質問が淡々と書かれていた。論文を投稿しているわけでもないのに査読のようだなと思った。まず、めんどくさ、と思った。そして同時にありがたい話だと思った。忙しいのでお答えできませんと断ることもできた。でも、このやりとりを続けることで、なにかが見えてくる予感があり、それはすごく魅力的だなと思った。夜通し考えて、朝方にメールをした。それに対する返事はさらに1日くらい経ってから届いた。「しっかり考えてまた返事する」とそこには書かれていた。ほかにやらなければいけないことはいくらでもあった。でも、なにか、私はここから抜け出せないし、抜け出したくないなと感じていた。