ゆくすえを振り返る

月が変わるタイミングではいつも、めくったカレンダーにスケジュールを書き写す。デスクの前にカレンダーを3つ貼っていて、これに向こう3か月分の予定を書く。一番古くなったやつだけを3枚めくって2ヶ月先の予定を書き込めばよいのだが、これだとカレンダーの風景写真がもったいない(3ヶ月に一度、まとめてごっそりめくられてしまう)ので、ちょっと面倒だが3組のカレンダーを1枚ずつめくって、3か月分の予定をあらためてすべて書き込むようにしている。それなりの手間だ。しかし学会の準備や原稿の締切などをだいぶ先までリマインドできる。なにより手書きで予定ににじりよって確認していく作業が嫌いではないのである。

先々に予定が詰まっているところが何箇所かある。そのころどういう感じで自分が動いているのかを予想し、さきどりする形で一通りの心配をする。心配し終えてしまう。今から約2か月後に、これくらいの熱量で、心にこれくらいの負荷が加わることになるんだろうなと、まだ始まってもいないのに取り組んでいる最中のことから終わった時のことまで順繰りに想像する。良いことも悪いこともあったけど終わってみると結局ほとんど忘れてしまったな、という締めの感想までたどりつく。


中年も半ばを過ぎて、近ごろの私は、未達の焦燥感におそわれることがずいぶん減った。肋骨まわりの神経に差し込むような痛みを感じる系のストレスとはご無沙汰だ。公園のベンチで上から降りてきた黒雲に知らないおじさんと一緒に飲み込まれる夢も、ダイバースーツを着てプランクトンの死骸が浮き上がってくる海溝をのぞきこむ夢も見なくなった。これらはすべて、「先を見通せないこと」という同じ根から生えてきた枝葉であった。かわりに近頃は、真綿でトライツ靭帯を締められているような腹満感が持続している。健康を害しているというのではなく、ずっとなにかを背負っているけれどまあそれで歩き続けることはできる、くらいの精神状態だ。そういえばこないだ、二宮金次郎の銅像のモデルとなったであろう少年(薪をかついでいる)と登山をする夢を見た。大変そうだったし大変そうですねと声をかけた。


4月以降の予定はわりとさみしい。出張に至っては皆無。昨年の1/3もない。でもカレンダー上の予定がないだけで、来年度は病理学会北海道地方会(全4回)の運営をやるし、日本超音波医学会の広報委員会の仕事がいよいよ本格化するし(ホームページをリニューアルする)、できれば研修医や専攻医や他院の医療者たちといっしょに論文を書きたいので、業務量としては不変ないしやや増えるだろう。ただ、しんどくなるわけではたぶんない。飛行機移動がなくなる分、使える時間は増えるはずだ。マイルもたまらなくなるけどそもそもぼくはポイントを貯めることへのストレスのほうが、あとでたまったポイントを使う快感よりも大きい。気になるのは読書の時間が減るであろうことだ。飛行機という環境は電話がかかってこないから読書にもってこいだ。あのような時間をどこかにねじこんでいきたい。ラジオやポッドキャストは冬の間は雪かき中にたっぷり聴くことができてよかった。夏はどうしたものか。

さっき念校を送ってよこした編集者が、将来は南のほうに移住してそこで好きな本だけを作っていたいと書いていた。私はそれに「南はすごくいいだろうけれど台風が怖いです」と答えた。どこに住んでも私たちは追い立てられる。しかし焦燥感に後をつけられるくらいのほうが、もしかすると、性に合っているのかもしれないと、ゆくすえばかり振り返っている今日このごろ、しょっちゅう、ないものねだりをしている。