お返事が遅れてすみませんでした、と書かれたメールが届くが、そもそもこの差出人にメールを出した記憶がない。いつのことだろうとメールをスクロールしていくと、もともと私が出したメールの送信日は8か月ほど前なので笑ってしまった。たしかにこれは、遅れているなあ。
用件はすでに完結しており、先方から受けた質問(病理診断関連)に対して私が返答をして、向こうさんの欲しているものとこちらのお出ししたものとがちゃんとセットになっている。だからまあ、最後の一往復のやりとりが遅れようが特に問題はない。
この案件において謝罪が発生する主座というのはどこか。それは、「即座の感謝を欠いたこと」にある。感謝とはその場でしなければいけないものと相場が決まっている。とはいえ、たとえば高校時代の恩師に「あのころはろくにお礼も言えませんでしたが……」みたいに何十年も遅れて感謝を伝える、みたいなエピソードは結構な頻度で発生するのだけれど、これにしたって、若いころは人の優しさやありがたみというものに反応できるほど感性が幅広くなかったという「足りなさ」を強調する文脈で語られるものである。やはり感謝というのはその場でしないと鮮度が落ちる。感謝されたほうも何にお礼を言われているのかピンとこない。
というわけで反応速度の話だ。
早ければ早いほど礼を失しなくて済む。逆に、ふとどきな人間を一喝するにしても速度が遅いと有効打を与えられない。
先日、大学で行われた研究会に参加したあとに地下鉄駅に向かって歩いている途中、LINEが入ったのでポケットからスマホを取り出して見ていたところ、通りすがりの小柄な60代くらいの男性に通りすがりに「馬鹿野郎」と叱責をされた。とっさのことでその声が私に向けられたものだとはっきり認識するまでに数歩を要し、その間に男性は私のはるか後方に歩き去っていた。あれは、たまに聞くところの、「歩きスマホ絶対殺す通り魔系説教マン」であろう。私がスマホをポケットから取り出す前の段階で、男性が向こうから歩いてくるのを私は視界に入れていたが、両手にエコバッグのようなくしゃくしゃの袋を持ち、ガニ股・小股で足早に歩きながら、すでに顔を真っ赤にしており、あまり近寄りたくない感じだなと瞬間的に判断していたのだけれど、つまりあれはおそらく世の中のすべての歩きスマホの人間に怒って歩いているうちに怒りが顔から剥がれなくなった寓話の住人だった。彼がはるか遠くに歩き去っていってからようやく、「さっきの私はぜんぜん反応できなかったなあ」と、反応速度の遅さに気がついた。これ、言葉だからこの程度で済んだけれど、頭陀袋の中にスパナでも入っていたら通りすがりに側頭部を割られていたかもしれないのであまり笑い事ではない。感情の反射神経が遅いと生きていくうえで少し不利になるのかもしれない。似たようなことはSNSでもしょっちゅう書き込まれている。宅配業者にいやなことを言われたけれどすぐに反論できなかったとか、電車の中でへんな人間がいたときにとっさに周りをおもんぱかる行動ができなかったみたいな話だ。まあ、今回の私の場合、歩行中にLINEが入ったのを確認するときに画面に気を取られてその老人と正面衝突でもしていたらコトだったことは間違いないわけで、心のどこかで「たしかに馬鹿野郎かもしれないなあ」とひけめがあったのかもしれない。それにしても、あとから思い出すと、そういう通り魔みたいな人間は、今だとSNSに多い印象があるけれど、そもそも社会のあちこちにいるんだよなと感じるし、通りすがりに「馬鹿野郎」と言われたタイミングですかさず通りすがる老人の後方から膝にローキックを一撃、跳ね上がった足のかわりに後傾する頭を掴んでストーン・コールド・スティーブ・オースティン・スタナーの体勢で僧帽筋の付け根の大後頭隆起に鉛直方向の衝撃を与え、反動で高くバウンドした老人が着地するかしないかのタイミングに合わせて背後から鉄山靠で車道までふっとばして折よくやってきたトラックの荷台にきれいに乗っければ世の中がきれいになったのに、くらいのことを考えたりもするが、実際にそんなことをしたら私が普通に異常者であるし、そもそもそこまでのスピードで沸騰できるほど私の反射神経は高くない。むしろ、今のような、通りすがりの悪意のカタマリに対して自分の反応をどう高めていくかみたいな妄想をしている暇があったら、誰かに何か小さくよいことをされたときにすかさず満面の笑みで感謝を伝えるほうの速度を高める訓練をしたほうが、よっぽど世界をきれいにできる。そもそもこういうことばかり考えているめんどうな人間に対してメールの返事が遅れると陰でなにを言われているかわからないと、先方に恐怖をあたえていたからこそ、先の8か月ぶりのメールが生まれたのだろう、くらいの因果のめぐりに思いを馳せる。事実、今日のブログはまさに、陰口以外のなにものでもない、陰口を叩く人間というのは畢竟反応速度がゴミなのである。