イントロンこそが私なのだろう

めったにないことだが、「おやっと思うくらい対人やりとりが失礼な中年」と何日か続けて出会った。まあ、私の場合、このような体験はめったにないことだからさほど削られもしないけれども、たとえばこういう人と日常的に働いたりすれ違ったりしている立場の人は、さぞかし大変だろうなあとお察しするばかりだ。

先日の学会でもいつものように、フロアから質問と称して自己アピールする人間がたくさん観測された。それは発表者にとっても聴衆にとってもまったく膨らみなく建設的でもなく、なんならセッションの時間が押していく分だけ迷惑な話であった。

これらを通り過ぎていると、つくづく思う。結局私は心のどこかで、「周りはどうでもいい、とにかく自分だ、自分がまわりに対して一歩前に出たい、抜きん出たい、爪痕を残したい」みたいなことをつねづね考えている。しかし、そういう部分を、そのまま出さないでいる。なぜかというとたぶん、「ばんばんそういう部分を外に出してしまっている中年を見て萎えるから」、つまりは人の振り見て我が振り直せの精神なのではないか。となればそういう中年たちに感謝こそすれ陰口など叩いている場合ではない。私は行動に移さないだけで、じつは彼らと同じように対人感情が失礼だし人のことなんかどうでもよくて自分の満足のためだけに場を席巻したいと考えている。たまたま出足が遅くて行動ができないだけで、思考はとっくに中年なのである。「行動に移さなくても考えただけで有罪」という憲法の制定された国があったら私は収監される。


低湿な嫌味が止まらない日々だがようやく季節はぬるく温度を上げてきた。靴下をロングのものからショートに切り替える。足首を締め付ける部分にできていた皮疹も少しずつ引っ込んでいるようだ。指先の乾燥も落ち着いてきた。ゆるやかに波のように老いていく自分の身体は、いまのところ、特に冬場の乾燥に弱い。冬が終わるころにそういえば保湿が大事だった、前の冬にも同じことを思ったのにすっかり忘れていたなあと落ち込む。冬の終わりに知り、春から夏、秋にかけて忘れる。冬に買ったクリームを夏にしまいこんでそれっきり見つからなくなることを繰り返している。


短期的な反射神経がにぶい。思ったことをすぐに行動にうつさないでいる時間がある。おかげで助かっているところがじつはある。

中期的な記憶力が弱い。一度学習したことをしばらく経つと忘れてしまってまた失敗と経験から学び直さなければいけない。

タン、タン、タン、と、要点だけを跳躍伝導するように、動いて語って跳ね回っていられたらさぞかし快活だろう。ビシッ、ビシッ、脳に点字を刻んで、いつも撫でて確認できたら便利なはずだ。声だとかすれてなくなってしまう。温度は循環してわからなくなってしまう。

無駄な間がなく忘却と無縁な人間のほうがよほどストレスなく暮らしている。



私はDNAだ。有用なタンパク質を生み出す塩基配列の間に、機能不明のイントロンがたくさん挟み込まれている。エクソンだけを拾って転写して翻訳すれば十分なのに、しょっちゅうイントロン由来のmRNAを生み出して、講演の最中の要らぬ間投詞のように、あのーとか、えーとか、んとーみたいなものばかりぐるぐる生み出して、何につけても間が長い。洗練されていない。スプライシングが機能していない。あわいにかかずらっている。用途未定のmicroRNAが桜吹雪のように舞う。

SNSに返事している時間などイントロンを転写する以外の何ものでもない。ホールエクソームを解析しても私の日常は見えてこない。イントロンこそが私なのだろう。

私は効率的に自分の利益にだけ突き進んでいく中年たちに比べてしゃべるタイミングが一歩遅れる。AIで仕事をばんばん先に進めていく中年たちに比べて考える時間が二秒長くなる。それらはいずれも、おそらく、私が、DNAを冗長なまま用いるタイプの進化のすえにいるからなのだと思う。選択圧の結果ここに流れ着いてしまっただけなのだと思う。