眠気がきびしくなってきたので立ち上がって伸びをして、タリーズまで歩いていくと、レジの前にたくさんの研修医が並んでいて、おそらく見学の医学生にコーヒーをおごってあげているのだろう、これはしばらく待つなあと思って、あきらめて踵を返した。レジ(スター)前のレジ(デント)。
戻りしなにローソンに寄ってカフェラテでも買おうかと思った。しかし苦手な店員がいたのでやめた。この店員は、客の持っている飲み物やおにぎりなどをひったくるように会計をしようとするので怖い。スピードを重視しているということなのだろう。
しょうがないと思って廊下の自販機でミルクティでも買おうとしたらミルクティだけ品切れであった。
そうやってうろうろ歩いているうちに眠気が去り、結果的にはカフェインにお金をかけずに活力を取り戻した。昼下がりの仕事に戻る。
メールクライアントソフトのトップには進行中の案件に関するメールだけを置いている。ある程度目処がたった案件は400個くらいあるフォルダのどれかに整頓してトップから消す。現在まだフォルダにしまっていないメールは6通あり、うち2通が医師主導の勉強会のZoom URLで、3通が製薬会社から案内されたウェビナーのURLで、1通は某学会の会議のURLである。ぜんぶURLなので少し笑う。研究関連のメールは(診断の個人情報がないものについては)家でも見られるように個人メールに送ってもらっているので、メールぜんぶがここにあるわけではないにしろ、それにしても、私の対外的仕事というのは、いまやほとんどウェブ上で行われているのだなと思った。
まあ普通の仕事人ならみんなそうなんじゃないの、いや、でも、だって病理医だぜ、そうだよなあ、病理医なのに顕微鏡よりインターネットなんだなあ、みたいな一人会話。
一人会話。
邪魔をするのも一人。徒党を組むのも一人。
一人会話の多くは、これからAI相手にやるものになる、みたいなことを言う人が多くて、びっくりした。「AIは壁打ち相手として最適」、などと言う。ちょっと待て、壁打ちはいいが、一人会話は壁打ちとはニュアンスがだいぶ違う行動だと思うぞ。一人会話をAIに代替させたらやっていることがまるで変わってしまうだろう。
一人会話の相手は自分だ。自分を何人かにわけて語らせたとしても残念ながら結局は自分だ。ところが自分の代わりにAIを登場させたら、それは一人会話とはかけ離れたものになる。AIと壁打ちをさんざんしたあとに結局一人会話をすることになることも予想できる。
AIが増えた分、むしろ「判断というタスク」が増えることはしょっちゅうだ。省エネとかコスパとかいうワードでAIを語ろうとする人は、実際にはあまりAIを使っていないのかもしれない。
いろいろ考えなければいけないことがあるときに、手近な学会や研究会などに提出予定の症例の、プレパラートを無駄に見直す。すでにパワポ用の写真は撮影してあり、免疫組織化学の検討も終わっているのだが、それでも、顕微鏡のライトを付けて、組織を拡大して、核膜の不整さであるとか、細胞質の微細顆粒や粘液であるとか、規定板のみだれ、切片上の血管走行などをじっくりゆっくり観察していく。
自分の中だけで考えてうみだす思考がだんだん用済みにされていく今日。
AIの意見を世に出す小間使いのような仕事ばかりをさせられている今日。
細胞を見て、自分の中に浮かんできた、類似・差異の感覚、記憶との照合、そういったものを、ちょっと気にしつつ、でも振り払うようにして、それよりもさらに自由になった状態で、細胞を見る。
増殖活性、配列、分布、機能、由来。
間質との相互作用がもたらす上皮のパッシブな変化。名前がついていない顆粒の分布が示唆するサイトカインの化学波。
探る。なでる。結論は出ない。根拠となる統計学的なデータがない。しかし、細胞を見るというそのシンプルで寡黙な行動から、飛び出してくるなにかがある。
その、飛び出してくるものを、その場限りの再現性のない刺激として決めつけず、あるいはいつか、これと似たものがぜんぜん違うところからも飛び出してくるかもしれない、そのときは見比べてみたいものだと感じる、だから体験をストックしておく必要があり、そこでは「自分だけに通じる言語」で、大掴みな言語化をする。
そのときの言語は日本語に比べるとだいぶあいまいで、浅くて広すぎるニュアンスや狭すぎてやや深いニュアンスなどもある。言語化というよりもログイン記録を取っておくみたいな感じに近い。
そういうことをやる。それを肴に一人会話をする。AIにこのどこを手伝ってもらえばいいのか今の私にはまだよくわからない。