夜あまり寒くなくなってきた。掛け布団の上にさらに毛布を乗せるのをやめる。昨日は夜中に布団から足が飛び出ていた。ひやりとして目が覚めた。不快と気づかない程度の刺激がやや遅れた悦びに転化した。倒錯とまでは言わないが不思議な愉楽だなと思いながら再びまどろみの中に腰から沈み込んでいった。
いつから薄手の部屋着を出そうか探っている。平和な逡巡。季節が私の身ぐるみをいじる。四季がなければ10年同じ部屋着だった。洗濯替えのために同じものを2着。小遣いの足りないスティーブ・ジョブス。それでよかった。なのに、季節のせいで、金がかかる。季節のせいで脳が動かされる。ありがたいことだ。環境の変化による不快の到来を私たちは言祝ぐ。不快のバネに飛び乗って快に向かって高々とジャンプするシルカシェン。
「春を寒がる」。それは人が人として悦び生きていくために必要なことだ。そうでない土地に住んでいるあらゆる人に告げる。そこは、人が住む場所ではない。住めなくはないから止めはしない。いろいろ事情もあるだろう。しかし、あなたは無理をしている。私たちは本来、春に震える生き物だ。そういうふうにできている。安心してほしい、根拠は医学ではない。私の勘である。春眠で汗だくになるような土地に暮らして情緒もわびさびもねぇだろと、私は根拠も理屈もなくただ堂々と宣言する。しかしあなたは私の宣言を無碍にもできないはずだ。根拠とか理屈とかではなくあなたの勘も告げているだろう。「春は寒がるものなのだ」ということを。
釧路の人口が11人増えたという一文をThreadsで目にした。過疎真っ最中の地方の小さな町に何が起こったのだろう。あるいは、たまたま誰も死なない日に何人か同時に産まれたとか、そういう喜ばしいできごとが偶然重なっただけなのかもしれないが、私としては、釧路の誘致活動が実を結び始めたという説を取りたい。
駅に貼ってあったポスターを見てにんまりとなる。「20℃以上は真夏の合図です」。
https://dotdoto.com/works/coolkushiropr/
暑くなりすぎた日本だ。これから人口が増えるとしたら釧路しかない。暑苦しい土地に無理して住んではるなんて我慢強くてえろうおますなあ。完璧な京都弁で素直に称賛を述べてしまった。どうしてみんな暑くて狭いところに住みたがるのだろう。前世がシュウマイなのか。人間ならば釧路に住めばいい。いや、まあ、厚岸でも白糠でも根室でも斜里でもいい、しかしバランスを考えるとやはり釧路がおすすめである。羽田への直行便もあって便利だ。しかしそういう、現代人の都合だけが理由ではない。
そもそも釧路駅前にはティアキンだったら絶対にウルトラハンドでくるくる回すような動輪碑が建っている。これを回せば末広町に祠が開いてワープポイントとして使えるようになる。飛行機やらJRやら、平成の遺物に頼り切っていてはいけない。私たちはもっと自由に飛び回ることができるのだ。
釧路は何を食ってもうまい。銀座の一流寿司屋で食わせる中トロの攻撃力を1000として、札幌の大学生が通う雑居ビルが26時くらいに雑に出すホッケが1500くらいとすると、釧路のチェーンの居酒屋が出すお通しの雑なブリの攻撃力がだいたい1800くらいだというのはもっと知られてよいだろう。海産物だけではない。肉もうまい。というかでかい。新橋の唐揚げが春麗サイズだとしたら札幌の有名店布袋のザンギはエドモンド本田で釧路のスナックが出すザンギはザンギエフだ。レベルが違う。酒もいい。日本酒は朴訥で甘えがない味。洋酒の店が意外と多く、ウイスキー、カクテルなどもいい店がある。しかしやはりビールがよく似合う土地だ。私は25年近く釧路に通っており、この地でかつてよく一緒に飲んだ技師さんたちの影響でもっぱらビール党になった。カニ? カキ? そんなにうまいものを比べられるほど人間の舌の弁別能は高くない。どこで食ってもうまいもので勝負してどうする。ポテトサラダを食え! 焼き鳥を食え! 名物でもなんでもない単なるラーメンを食え! 単なるラーメンはさすがに単なるラーメンだけどほかはだいたいうまい。驚く土地だ。
なぜ釧路では何を食ってもうまいのだろう。輸送。加工。食材。職人。さまざまな面で日本のどこと比べても恵まれている。しかし、あえていうならば「寒い」からではないかと思っている。人間は適者生存の過程で、暑いところで食いものをうまいと感じるようには進化していないのではないか。食中毒という強烈な死亡リスクを避ける上で、周りが暑いときの食材の変化には相当敏感でなければならない。すなわち私たちは本能的に、気温が高いと「食を楽しむモード」から「食の安全をチェックするモード」に舌が切り替わるのではないか。うだるような夏には何を食っても五臓六腑の交感神経が味わうモードになっていないのではないか。
熱々の料理をおいしく感じるなんてのもおそらく「火を通したものをうまいと思える人間だけが生き残ってきた」という生存の掟によるところが大きいのだろうと思う。夏の楽しみといえば、ビール、カルピス、スイカ、ソーメン、ほら、冷たくて食あたりの心配のないものばかりであろう。つまり私たちは原則的に、「寒い場所でしか美食を味わえない体」なのだと思う。
釧路と同じ食材を東京に運んで完璧な調理をしても人間の身体のほうがそれをすんなり受け入れる状態にはならない。魚が一番うまいのは道東であり道北。寒いところで食うからうまい。本能には誰も逆らえない。
ではそんなに食に恵まれた地域である釧路の人口がなぜ減るのか。簡単である。寒いからだ。私も晩年はできればあったかいところで暮らしたい。常夏。いい響きだ。ソーキそば大好き。酒の中で泡盛が一番うまいよな。