よくも悪くも思われたくない

今クールはめずらしくアニメを3つも見ていてガンダムとアポカリプスホテルとラザロ、いずれもなかなかおもしろい。タイミングとしては早朝、仕事をはじめる前、あるいは出張先のホテル、寝る前にちょっと。CM分を除くとひとつ25分くらいの視聴だろうか。ほどよい。

移動中はあいかわらず本を読む。以前よりも寝落ちすることが増えたし、再読の割合を少し増やしているので新たに読む本の量は減ったけれど、でも本でいい思いをする時間はそれなりに持てているかなとは思う。書店で出会う本とSNSで出会う本の比率は2:8くらいだ。2はとても大事だが2が全部当たるわけでもないのでやはり8をサボるわけにはいかない。ただしSNSでいい本に出会う打率は以前ほど高くない。したがって打席数をひたすら多くすることで実数を稼ぐようにする。SNSはデイリーチャレンジだ。毎日ログインしてルーティンを回して確実にポイントを集める。こつこつやっても課金しない限り効果は薄い。しかしポイント集めをしばらく怠ると1か月くらいで明確に「損した」という感覚が湧いてくる。

エンタメや論考などを摂取できている時期は心に余裕がある。それはそうだと言われがちだが、この、「言われがち」こそが私にたくさんのストレスをかける。友人知人のたぐいから「人生もっと幅広いほうがいいよ」とか「もっと楽しまないと損だよ」と言われたらいやだなのプレッシャーこそが一番ストレスになる。人生をもったいなく過ごしていると人に思われる懸念が薄まれば薄まるほど気持ちが楽になる。人からなんと言われてもかまわない、という人間のことがわりとうらやましい。人からなにか言われるのが面倒だから言われないような平均的生活を模倣する過程でアニメや本がちょうどいいクッションになっている。

私は矮小だ。しかし特性というものはいまさら変えようがない。

私は人からどう思われるかを気にする。よく思われたいのとは違う。悪く思われたくないというのと近いがじつはそれともちょっと違う。人に悪く思われたあと、その人が良かれと思って私に近づいてきて、何かを私に投げかける、その時間が嫌いだ。放っておいてもらいたい。「こいつは放っておいても普通にやっていけている」と、日常的に思ってもらっていてほしい。よくも悪くも思われたくない。「普通」と思われたい。なぜなら構われたくないからだ。したがって私は人からどう思われるかをかなり細かく気にする。

私は凡庸だ。

アニメは3つ見ているがいつも3つ見ているわけではなくてたまたま今クールがそうだっただけだ。1本も見ないこともあるし1本だけ見ることもあるし、たまたま思い立ってコナンの映画を続けて2つ見てみたりすることもある。本はのめりこんで何冊も読みまくるというのではなく、たまたまSNSで教えてもらった本を人と同じように読むこともあるしベストセラーに何気なく手を伸ばすこともあるし、文章がしんどくなってある時期マンガばかりちまちま読んでいるということもある。外食には心が踊るがいつもいつも外食ばかりしているわけではないし、インスタ映えする店を選んで写真を撮ってということはあまりしないけれど人気のお店にぐうぜんたどり着いたらたまには並んでみることもある。服を買うのはめんどうだが嫌いなわけではないので休みの日には何度か行ったことのある店をめがけて服を選びにいくこともないではない、が、そこまで服にお金をかけまくることもする気はない。飲食については新しいお店を開拓するのも何度か行ったことがあるお気に入りの店に行くのも大好きだけれど最近は体調と小遣いを考えてあまり外食しないようにしている。これくらいの人生を歩んでいる40代後半の男性であればああしろこうしろと言われることもないしキラキラした目であこがれられることもない。賭博はやらない。風俗に行かない。綿密に、厳密に、普通であり続け、それでようやく守った心の平穏をボンベの中に詰め込んで、人っ子一人立ち寄らない冬の夜の海に垂直に潜って真珠を取るようにほぼ日手帳に仕事の予定を書き込んで、WorkFlowyのメモを上から順番に横棒で消していく。