ずぼらの運

見知らぬ番号から電話がかかってきたときにまずすることは、Googleでその番号を検索することだ。いくつかのサイトで詐欺電話やスパム電話の登録が行われていて、発信元の国がわかったり、口コミ掲示板的に不動産の詐欺だとか電話契約の詐欺だとかを教えてもらえたりする。その電話番号がこれまでに何回検索されたかなども確認することができる。詐欺系の電話は人々に検索される回数が多いので、何十回・何百回と検索されているような携帯電話番号というのは、たとえ口コミが投稿されていなくても、なんとなくクロだろうなと察することができる。

とはいえプログラムによる自動検索なども行われている可能性はあるのだが、あるとき、ためしに自分の携帯番号を検索してみたら「過去に検索された回数:0」と表示されたので、やはり普通の個人の番号などはそうそう検索されることはないのだろう。

もうずいぶん前の話になるが、ある場所での仕事でいあわせたある人から、後日職場にレターパックで小さな荷物が届いたことがあった。その方とは初対面だったし会話も短時間だったし、さほど好印象を与えたとも思えなかったので、いきなりの荷物とはちょっと驚くが、なるほど仕事相手全員にお手紙など書かれるタイプなのかもなと、若干のよろこび、そして無視できないほどのとまどいを感じながら開封。そこにはデスクで使える小さな文具が入っており、距離感の保たれた手紙も入っていて、極めて常識的な内容ではあったが、問題はレターパックの差出人の欄である。住所と電話番号が書かれていた。こういうのは危なくないのだろうか、仮にも有名人なのに。あるいは仕事場や秘書などの住所・電話番号なのかもしれない。礼儀にのっとってお返事などすべきだったのだろうが、いつもならば返信のためにファイリングしておくはずのレターパックの表書きをなくしてしまって、それっきり何年も忘れていた。



時は流れた。あるとき私は思い立って、古い研究ファイルや診療関連書類をごっそり整理することにした。たまり続けるクリアフォルダ類の多くは資料として保管しているわけだが、20年前ならいざ知らず、これらのほとんどすべては電子ファイルにスキャンしたり内容をデータシートにまとめ終わったりしたものばかりで、紙を残しておく意味はじつはあまりない。場所ばかり取るのでえいやっと処分するべきである。一連の経緯をわかっている私が私の代で処分しないと後任も困るだろう。個人情報まみれの書類、確実にシュレッダーして焼却処分しなければいけない。これがリングファイルだったらリングをはずせば一気にばさっと書類を段ボールの中に放り込めるのだけれど、クリアフォルダだと透明なフォルダの中からひとつひとつ書類を抜き出してシュレッダー行き箱の中に重ねていかなければならくて、じつに、無限に時間がかかるのでしばらく放置していたがさすがに限界である。ホチキスは外さなくていいらしいのだがクリップは外したほうがいいと言われたことにも閉口しながら、重い腰を上げて毎日ちまちまと書類の整理をはじめた。手汗と指紋を失いながら作業を続けていく途中に、「それ」を見つけた。

あのときなくしたレターパックの表書きが紛れていた。

ある意味ヒヤリハット案件だ。大事な書類をこんなふうに紛れ込ませてしまったら、もしこれが診断に関係のある書類だったら、本当におおごとで、医療安全がらみの委員会に何枚も書類を提出して再発防止のための委員会で釈明しなければいけない。「ミスは本人の責任ではなくてシステムの責任」なのだが、そのシステムを作り変えるのは結局人間であり、そのシステムでミスをした人間の体験こそがシステムの改修においては重要になってくるので結局個人に負わされる責は小さくはならない。ただまあ、これが、「ぎりぎりまだ他人から送られてきた贈り物の差出人欄」であったからよかった。まず私は素直に安堵して、そして、だから少し気が緩んだ。

そこに相変わらず書かれている電話番号と住所を見て、私は思った。あらためて礼状でも出すか、と。そこまでの関係でもないので無視してもよかった。しかし、なんというか気が咎めた。「住所の書かれた紙を即座になくしましたがこのたび出てきたので」と言い訳を書いて送るくらいのことはしてもよいだろう……。

レターパックライトを買ってきて、宛名を書き写す。そこで何の気なしに書かれていた電話番号を検索する。

アクセス回数 54回 とあった。

そんなことがあるだろうか。

私と同じようにいぶかしんだ人間の数、と考えてよいものかはわからない。同じ人間が執拗に検索を繰り返しているということもありえる。それにしてもだ。

これは、なにかの「手口」なのかもしれないという思いが土踏まずのあたりからにじり上がってきた。そして、当時の私はおそらくこの「手口」に引っかかっていたはずだ、たまたま、私がレターパックの表書きの部分をなくしていたからスルーしたというだけだ。



ここまで考えて苦笑した。仕事相手に対して律儀に礼状を送るだけの人から、実在の確定していない悪意を勝手に読み取って右往左往している私はなんとも失礼な人間だ。礼状は書こう。住所をなくしたがこのたび出てきたと、正直に書いて送ろう。あるいはもうとっくにこの住所には住んでいないということもあるだろうが――

住所。




Googleで住所を検索するべきかどうかについては悩んだ。デリカシーがなさすぎる気もした。しかし、電話番号を検索された回数の不自然さに、私はまだ引っかかっていた。

検索をすると不動産会社のページがいくつか出てきた。架空の住所ではなく実際に存在する住宅のようだ。レターパックには部屋番号が書いていないので、てっきり戸建ての住宅かと思ったが、どうやらアパートのようである。ページを見に行くとそこには「1K」の文字が踊っていた。1K。

いくつか考えられる可能性はあった。善意の結果なのかもしれないとは思った。しかしまあ、もう、いいかなと感じた。旅先で求めた絵葉書の裏に書いた礼状をレターパックから取り出して、シュレッダー行きの箱に投げ込み、住所まで書き終えていたレターパックも処分した。手遅れの不義理のしっぺ返しのようにも思えたし、ずぼらの呼び込んだ運と呼ぶには少々ねじくりまがった話だなとも思えた。Google mapを見るとアパートのそばにはうまそうな飯屋がぽつりぽつりとあり、緑地などもあってだいぶ環境は良さそうで、このアパートにはなぜか座敷わらしが住んでいそうだなと思ったが、その連想の理由は因果の先にはない。





※現在は、ストーカーから職場に荷物を送りつけられることを防ぐため、事前に私が申し入れていない荷物は病院のほうで受け取らないようにしてもらっている。荷物を送られても私のもとに届かないし、仮に届いたとしても、もう電話や住所を検索するつもりもない。