古い書類をばんばん捨てていて、えっそんな記念のものまで捨てちゃうの、と見る人が見ればびっくりするだろうし、故人の私信なども平気で捨ててしまっているので、なんとなく私には人の心がないなと思う。しかしそれでも捨てられないものというのはいくつかあって、やはり亡くなった恩師のひとりが最後にくれた手紙(おそらく本人は最後とは思っていなかったはずの手紙)はさすがに残しておいている。でもまあそれくらいだ。今に至るまで関係を更新し続けている人の古い手紙は基本的に捨てた。とっておいてもおそらく次に目にするのはまた18年後だ、そのときに捨てるくらいなら、今捨てておいたほうがいい。捨てる作業は心に負担をかける。47歳の私でこれだ、65歳の私なら耐えられないのではないか。将来の自分のために今の私が悪役になっておこうと思った。捨てに捨てる。気持ちよくはない。すっきりはしない。少しずつ心と指紋がかすれて消えていく。
幾人かの後輩の、結婚式の披露宴の、席次の紙なども出てきて、昔の私は今よりはるかにこうやっていろいろ大事に持っていたのだなあということを、ふわふわと考えながら捨てていく。後味の悪い映画を見たときのような唾液腺の苦みを感じる。
時間差でぐっと来たのは編集者たちの手紙の多さだ。一筆箋、メモ用紙のようなものが無数に出てくる。それもひとりやふたりではない。これまでに仕事を依頼してくれて、私が今も名前を思い出せる編集者たちは、みな本当に筆まめだった。そのことにあらためて気づいた。メールだって無数にやりとりしていたのに、それに加えて手書きの小さな一行がわらわらめりめり出てくる、こんなにあったのか。「手書きの文章は執筆者にやる気を与えるからおすすめ」のような編集者ライフハックがあるのはたぶん事実だと思うけれども、それにしてもこの量というのは、すごい、あらためてびっくりした。若いころの私は、医師や診療放射線技師や臨床検査技師から病理のしごとを依頼されるたびに、写真を取ってパワポに組んで送るだけではなく、いちいち手紙を書いて添えて渡していたのだが(じつは今もそれなりにやるがさすがにメールが多くなった)、おそらく私がその手紙方式にこだわっていた理由は、なるほど編集者たちの影響だったのだなと、今更ながらに腑に落ちた。これをやられて意気に感じないほうがおかしいし、影響を受けて自分もだれかにそういう気持ちになってもらおうと思わないならうそである。
ただまあ私はけっしてよい育ち方をしたわけではない。たまたま編集者たちにいい影響をもらったことはありがたかったがほかはそんなにまともな人間性とは言えないだろう。
20代、30代のじぶんの振る舞いをふりかえる。書類をみるとなんとなく当時の私がどうだったかというのが紙と紙のはざまの影から立ち上ってくる。30代の半ばくらいから、本当に私は周りをシャットアウトしはじめていた、そのあたりで私のもとに届く手紙類が一気に少なくなるし内容も明らかに硬質になる。実際に手紙が届いていないというよりも、あるいはこのころから私が届いたものをファイルしなくなったのかもしれないが、それにしても雰囲気がどすんと重くなる。その延長に今の私がいる。だからこういうありさまになっている。熱風吹き付ける砂漠帯を通過して表情が険しくなったキャラバンのようだ。この、30代の半ばくらいの、異常乾燥的な転換、がもしなかったとしたら、はたして今の私の周りにはどれだけの人がいたのだろうか。そんな想像は詮無きことだ。しかし。推測だが、たぶんそんなに人間関係の実数としては変わらなかっただろう、ただ、顔が思い浮かぶ人の数は今より多くなっていたようにも思う。
今の私は顔のわからない知人がけっこういる。というか顔が覚えられなくなっている。会ったことがあるかないかには関係がない。2, 3度会ったくらいだともう忘れてしまう。そして私は今やたいていの人には2, 3度くらいしか会わない。カラッカラの記憶装置。30代なかばの行動によって研ぎ澄まされた、関係の断捨離、一時記憶から長期記憶への回路を仕分けした感覚。当時の私がもう少し社会や世界に対して粘性を保とうと思っていたら、今の私ももうちょっと、顔面を記憶できていたのかもしれない。古い友人の顔も忘れてしまいそうだ。忘れてしまうだろう。さみしい老後が待っている。しかし、ひとつ、ありがたいこともあって、私はどうも、顔が思い出せない相手のことを、親身に思うことがそんなに苦ではない。