世界は言葉だ

体の回復の曲線、ここから登りが緩やかになるとは思わなかった、ちょっとがっかりしている。2日に1段くらいずつ、「一昨日よりは前屈ができるな」、「一昨日よりは早く歩けるな」といった感じで治っていっていたはずなのだけれど、この4日くらい、さしたる改善がない。ずっと腰痛のままだ。硬さはほぐれない。力が入り切らない。端的にこれは「老い」だ、そう、汎用されている単語をすっとあてはめてみて、そこになんの違和感もない。既成の概念で片付けてしまえる問題というのはじつのところ、持続的なストレスにはなるが、心を砕くほどの命題でもない。中高年の誰もが持っているデフォルトの諦めみたいなものを私も体感しているだけのことなのだ、そう、へんな方向で自分をなぐさめるようにしている。


「延々と、を永遠と、と誤用するのはモヤる。馥郁たる香り、を、ふくよかな香り、と誤用するのもモヤる」というポストを見た。前者はわかるが、後者はよくわからない、「ふくよか」な香りというのは私は存在するように思う、それは、馥郁とは異なるニュアンスで、だ。「厚みのある香り」という、言いたいことはわかるが香りという単語との食い合わせがあまりよくないフレーズに満足できなかったときに、「ふくよか」という単語を代わりに持ってくることに、私はそれなりに納得感がある。「ふくよか」は、決してズレなく説明しているわけではないんだけど、どこか重層した感じと、やわらかく受け止める感じと、弾力、それと善の雰囲気、そういったものをまとめてまとった言葉は、「厚み」よりも適切なのではないか。AよりもA'、AよりもA''、そうやって微調整をかけながら言葉を探していく、その途中でたどり着く暫定解として、「ふくよか」はありではないかと思っている。


何につけても言えることだ。ドンズバの解答でスッキリ、というものばかりではない。これかな、これに似ているかな、これと似てはいるけどどこかまだ満足はできないな、そうやって、ある事象を眺め、その輪郭を指でなぞり、一部はどうもなぞれないなあと、境界のはっきりしない部分を予測でトレースなどしつつ、その事象の輪郭を生み出した「クッキーの型」のような概念を探して、この星型が近いか、この花型が近いかと、事象の近くに型であるところの言葉を持っていって、見比べ、ときにぐっと指でおしてはめ込んでみて、入らないなとか、入るけどきゅうくつだなとか、そうやって試していくうちに、その事象を生み出す原理みたいなものは結局わからないのだが、その事象をより深く理解できるというか、決着はつかないのだけれどそれにコミットした歴史が長くなっていくというか。


「世界は言葉だ」みたいな文章を読むと、そこからはみ出たワガママな違和のつぶつぶを浴びて全身が銃創だらけになる。世界は言葉ではない、そして、言葉はいいセンは行くのだ。だから、これにはこの言葉だ! と言いたくなる瞬間が人生の中で何度も訪れる。そのほとんどは、それっぽいんだけれど、じつはそれではないのである、ただし、それではないからといって、それが用をなさないかと言うと、そういうことでもない。それではないのだが、それとしておくと次の展開がスムースだったり、それとしておくことでほかが落ち着いたりはするのだ。でも、世界は本当は、その言葉なんかではないのだ。そして、世界はその言葉で表してもそこそこ動いてはくれるのだ。