さようならSNS医療のカタチ

医療におけるコミュニケーション・エラーを解析し、すこしずつ解きほぐしていくことを目的として、2018年から活動していた「SNS医療のカタチ」は、2025年をもって「やさしい医療のカタチ」と名を変えた。

少なくとも私たちは、現在のSNSに、医療コミュニケーションの要としての役割をあまり見ていない。

現在のSNSは狭くて深いオタクのツールである。というか、そもそもインターネットというものは、たこつぼ同士をつなげるネットワークだったわけであるが、それが2011年の初頭くらいから2020年代の前半にかけて、妙な万能感を伴いながら、人類のあらゆる活動にちょっかいをかけた(北海道弁でいうと、ちょした)。この間、SNSはいわゆる「確変状態」であった。何をするにもSNSをかませない手はない。あらゆることがSNSで増幅された。

しかし最近は違う。ブームは過ぎた。特別なものではなくなったし、その効能というかご利益も、限られた側面以外は摩耗した。

感染症禍に対する集合知も安定し、リアルイベントも問題なく行えるようになった今、SNSを過度に強調してオンラインでのスピードと伝播力に、(本当はブロードな発信の専門家ではない医療者が)期待を込めることはもう、しなくてよいと思っている。

SNSという言葉をはずそう。私たちは、そう考えた。では、そこに、代わりにどんな単語を、どんな思いを入れるべきか。

あまり多くの選択肢を検討することもなく、私たちはそこに、「やさしい」という言葉を入れるに至った。

人目を惹く力としてはむしろ悪手のようにも思う。幼稚園児でも分かる言葉、コピーライティングの魔力をほとんど持たない無味な言葉、それが「やさしい」ではないか。そして、その、「やさしいという言葉が脱色されてしまうような現実社会」において、なおあえて「やさしい」を掲げることに、私は浪花節にも似た湿った情念を感じた。

いい名前ではないか、と思った。私たちは今、「やさしい医療のカタチ」のメンバーなのである。私は今、「やさしい医療のカタチ」に属している。




映像研には手を出すな! の第10集について、離れて住む息子と、一瞬ではあったが熱く感想をぶつけ合う瞬間があった。「最高だったよな」「うん最高だった」「うん」。私は彼と、あそこがよかった、あれがよかったとは言い合わなかったが、少なくとも一箇所、おそらく、彼も私も感じ入ったセリフというのがあった。それはこれだ。

「わざとバカになるな!! それは人間の複雑さを考えたくないだけだ!! 人間のことで考えるコストを減らすな!!」

ものすごい。おそれいった。何度読んでも泣けてくる。



私は、「やさしい医療」という言葉に対して、わざとバカにならないようにしたいと思った。人間の複雑さを考え続けたいと思った。人間のことで考えるコストを減らさないようにしようと思った。私は、いちどは人前に出るのをやめ、SNSもやめ、病理医ヤンデルという存在であることもやめたのだけれど、結局こうして戻ってきて、なんだか恥ずかしいなという気持ちはけっこうある。しかし、この件に関して、わざとバカになるのではなく、複雑に選び取っていこうという決意をした。私は、病理医ヤンデルでいられなくなった理由を今もきちんと説明できる。その上で、あらためて、病理医ヤンデルに戻って医療におけるコミュニケーションのことをきちんと考え続ける、たくさんの人を巻き込みながら考え続ける場を用意する、そういう仕事を、きちんとやり続けていかなければいけないんだと自覚した。そして私はいい年であり、数々の学会で、少しずつ上のほうに、まだ中段やや下くらいのところにしかいないけれどそれでも少しずつ少しずつ上のほうににじり寄っていくべき立場であって、そうやって、「病理医ヤンデル」を装備したまま医療界の中で発言権を増やしていくことは、おそらく、パブリックのためになるのではないかという、私にとってちっともやさしくない鋼の信念を研いでいる。