待てば退路の日和あり、っていうじゃない。えっ逃げる気まんまんなの? 月曜から木曜まで必死で診断をすると金曜日の午前中にぽんと時間が空いて、よっしゃと歯の上でつぶやいて、科研費の申請書の下書きに戻る。何度も何度も書いているうちに自分でこの研究ほんとうに価値があるのだろうかという疑問が湧いてくる。私は大学院を出てから18年、市中病院で働いていたので、このたび大学に勤務するとなんと「研究活動スタート支援」、いわゆるスタートアップの応募資格を得たのだ。この年でスタートアップ! 四捨五入して五十の手習い。正直、楽しい日々だなと思う。なんかうれしいのである。
椎名誠の随筆を読んでいると、彼が20代前半に銀座で働いていたときのこと、夕方になるとしょぼくれた顔の男たちが町をとぼとぼ歩いていき、華やかに着込んでこれから仕事だとさっそうと歩いていく若い女性とすれちがう、みたいなシーンが出てくる。夜職の女性の辛さや怪しさは独特の筆致で別角度から描かれるが、それは今はいったん置くとして、私はこの、「しょぼくれてとぼとぼ」の男性のイメージ、「幾何学的な目、爬虫類的な目で、瞳孔をひらいたまま歩いていく中年」というアイコンを、彼の随筆から何度か吸収してきた。思えば、私が物心ついたころというのは、社会における男性の権力性というのは昭和の初期にくらべると相対的に弱体化しつつあって、マンガやテレビでみる「40, 50の男性」は誰もかれもくたびれた様子で描かれていたものだった。それは当時はあくまで強権的な男性像に対するカウンターとして描かれたものであったかもしれないが、仕事をいやいやこなし、家庭に帰っても威張れるでもなく、肩をすくめて人生をひたすらやり過ごしている、という風情の中年を、私は偶像的に多く摂取した。大人というのは我慢し、絶句するものだ。ただそれも、フィクションの外では、「より弱い存在」に対して小さく権力や暴力を振るう存在だったのかも知れない。そこから40年、いまや、「物語で弱く書かれることの多かった中年男性」は現実に弱くなった。東京ポッド許可局で、「夜中にマンションの駐車場や公園の横の歩道に車を停めて、家に入らず、ぼうっとスマホなどを見ている、帰宅前に何かを充電しているかのような中年男性」の話が出たとき、そのゲシュタルトが一発で理解できたのは、マキタスポーツ氏56歳、プチ鹿島氏55歳、サンキュータツオ氏49歳、この御三方が情報を受信する八木アンテナの角度が私とほぼ一緒だからなのだろうなと理解している。それはまたかりあげクンであり、タンマ君であり、まんがタウンや週刊文春が世に撒き散らしてきたイメージとも重なる。うれしいことなんて数えるほどしかなくて、日々、つらいこと、しんどいことしかない、それをどうにかこうにかすり抜けて、道端の一輪の彼岸花に目を細める以外に笑うこともないまま一週間を乗り切り続けていくという「大人」のステレオタイプが、今も私の心のどまんなかにある。かつて椎名誠を読んでいた私は近頃は毎日燃え殻さんのletterを読んでいるが、やるせない、しのびない、しかたない、まーまーの昼飯、えいやっの逃亡、そういったものに一番親近感を覚えている。けれども。
私は最近、なんかうれしい。それは新しいことに囲まれているからかもしれない。仕事の時間割が変わった、診断書の書式も変わった、H&E染色の色味もわずかに変わったし、プレパラートのガラスのへりの尖り具合も変わった、椅子の質感、PCと目の距離、他科のスタッフとの連絡頻度、共同研究の量、教育方針、そういったものがすべて入れ替わって、年甲斐もなく。たのしいなと感じる。そしてそのことが私を落ち込ませる。中年男性というのは、なにかにやられていないと、いつも疲弊していないと、愚痴を言うくらいでないと、本当は社会の共感を得られない、それくらいに他害性が強く危険な存在ではなかったか。うれしいと感じている日々というのはよくないのではないか。たのしんでいるなんて許されないことなのではないか。そういうブレーキが毎日何度かかかる。
まあブレーキなんてものは運転していればよくかかるものだ。外科医は切る仕事じゃなくて縫う仕事なんだよ、切るだけなら中学生でもできるけど縫うのは医者にしかできない技術だからね、みたいなかんじで、アクセルなんて誰でも踏めるけど難しいのはブレーキなんだよ、と言っておけばよいのだ。たのしいたのしい。