たまに歯医者で言われるのだ、「歯に縦に線が入ってる部分があって、これ、うっすらとひびが入ってるんですよね。たぶん寝ている間とかに食いしばっているんだと思います。食いしばらないように気をつけてくださいね」。というわけで起きている間ずっと気をつけているし、眠っている間もたぶん私はまじめだからずっと気をつけている。できていると思う。人間ってすごいよな。寝ている間も自己を律することができる。話は変わるが、昨日、じゃがりこを食べていたら、一番奥の下の歯の、銀をかぶせているところの脇が、ガキリという音と共に欠けた。銀は大丈夫だったのだがそれをささえていた歯が限界だった。奥まっているのでこれでいきなり激痛ということはないのだけれど、冷たい水(例:ビール)などを飲もうと思うとちょっとしみる。あわてて週末に歯医者の予約を入れた。こういうことのひとつひとつに年齢を感じる。今どきのお子様たちは、小さい頃からフソまずいクッソ、じゃなかった、クソまずいフッ素を歯に塗りまくっているので、虫歯の罹患率が劇的に下がっていると聞くが、ほんとうにすばらしいことだし、ぜひそのまま社会から少しずつ虫歯の量を減らしていってほしい。そういう恩恵を受けられなかった世代の私はほとんどの歯に治療のメスじゃなかったドリルが入っているが、ここ10年くらいは歯医者に定期的に通ってメンテナンスをし、歯周病なども起こらず新しい虫歯も出なくなっている、ただ、ときどきこのように、昔詰めた銀の冠がはずれたとか、歯のどこそこが欠けた、的トラブルは生じる。こればかりは仕方がない。歯だから歯医者でなんとかできる、そのことをむしろラッキーと思うべきなのだろう。だいたい、背骨とか頭蓋骨とかも、たぶん経年で割れたりひびが入ったりしているはずだ、そっちのほうは気軽には直せない。それらの欠損に私は気づかないまま歳を重ねている。そういうものなのだと思う。
日々を暮らすというのは罅を暮らすということだ。昔、もう30年以上も前に、自作のホームページの中で日記を書いていた。剣道の大会(東医体)に出て団体戦で優勝したのだけれど、その過程で部内にいくつもの問題が起こって、ぎすぎすしたり仲直りしたりしながら遠征先から帰ってきて、荷物を解いたら中に入っていた優勝メダルのケースに「ひびが入っていた」というところでその日記を終えていた、そのときのことを急に思い出した。
職場の送別会があり出席した。人びとと、あまり、話す内容がない。二言目には仕事の話をしてしまいそうになる。というか、している。困った人生だな。最近読んだ本の話も、近頃凝っている料理の話も、お気に入りの芸能人の話も、旅行のあれこれも、話そうと思えば話せるのだが、話してもしょうがないよなという気になるし、できれば私以外の人びとがわいわい盛り上がっている横で、だまって飯をもそもそ食ってときどき話題に耳を傾けていたい。距離が必要だ。彼我の間には断絶があるが、その断絶を無視してあまりに近くに寄ってしまって足を踏み外し、相手の目の前で溝の奥底にまで真っ逆さまに落下する、そんな情景をお見せするのもしのびない。だから距離が必要だ。お互いの全身がぼんやりと視界に入るくらいの距離まで下がって、溝から離れた場所につまさきを置いて、胸を反らせば、多少足踏みをしても地団駄を踏んでも、落っこちる心配はないだろう。なのに人びとは、コミュニケーションというとすぐに距離を詰めようとする。前に前に、射し面のようにやってくる若い人びと、それを私は、剣先でいなして、体の微弱な前傾を保ったまま重心だけを左後ろに下げて、肘をまげずに相手の目線の高さまで剣先を上げ、近寄ってきた壁を押し戻すときの気持ちでどんと前に打突しながらその反作用を利用して一気に後退する、引き面。