指と脳はくっついている。そんなことは誰もが知っていることだ。そして私はここのところ、指と脳を少しずつ引き剥がしている。目ばかりだ。目ばかりを使うようになっている。
寝ていた間からなんとなく左目がかゆくて、まつげが目の中にくるりと入り込んだのかなということを考えていた。軽くごしごしとまぶたの下のあたりをこするけれど、ゴロゴロがよくならない。しばらくふとんでぐだぐだしているうちに、おやっ、あっ、と思って、がばりと起きて、伊達メガネもかけずに洗面台に向かうと、右目の下のあたりががっつり腫れているようである。いやいやどうした。しかも鏡に顔を近づけてよく見ると、腫れているのは実際には「目の下のあたり」ではなくて眼球、白目そのものなのでさらに驚いた。黒目に影響は及んでいないようで、右目でものを見ることはできる。しかしなんだか邪魔っけだ。ものもらいか。それだけでここまで腫れはしない。寝ながらこすって傷つけてしまったか。まぶたを少し開いて中を見てみる、白目がしっかり腫れて充血している。できものはないようだ。さて。目やにが溜まっているというより、膿なのかもしれない。このままだと出勤もきつい。しかし、このままかどうかはわからない。まずは飯だ。飯を食う。飯を食うのに目は2つも要らないのではないか、と思ったからまずは飯だなと思った。しかし、目というのはやはり、2つあったほうが具合がよいようだ。黒目だけではなく白目にもいろいろ助けられて毎日を送っていたようだ。白目のありがたみがわかる。冷凍ごはんを解凍してからご飯茶碗にパコと入れるだけのことでも少しおずおずとしてしまう。お茶漬けを作るためのお湯を沸かすやかんを持つ手も少し慎重になる。この目がこれからどうなるのだろうと考えると、味もあるんだかないんだか、もそもそと無味のものを食っているような気持ちになってちっともおいしくない。いや、いくらなんでもおいしくなさすぎると思ったらお茶漬けの素を入れるのを忘れていたので今のはつまり私はお湯ご飯を食べていたのだなと知って逆に安心する。
あくびを繰り返して涙を流しているうちに少し楽になってきた。そうか、今がピークというわけではなく、夜の間に極期は過ぎていたようだ。これなら出勤してしばらくがまんしていればおそらく腫れは引いてくるだろう。さきほどまでの不安が急速にしぼんでいく中で、ならば、この白目、ちょっと触っておこうかなどと、しなくてもいいオイタがふと思い浮かぶ。さすがに指で直接という気にはならなかったので、まぶたを閉じて、上からぷにぷにと、眼球の白目のあるあたりを押してみる。
この程度の、たかだか高さ1, 2 mmの腫れによって私はここまで動揺させられるものなのだ。
私はこんなに目にばかり頼っている。生活も、運転も、診断も。いやなことだ。こんなにひとつの器官に依存しているなんて健全ではない。目を捨てて、街に出よう。靴も履けないだろうけれど。