唇も赤くならない

Xでフォロワーがほしいとつぶやいたら一晩で5000人くらい増えた。ありがたいことだ。フォロバしようと思ってBioを見て回る。知った顔がたくさんいる。有名人も恩人も混じっている。ありがたいし、申し訳なかったなと思う。前のアカウントは閉じざるを得なかった。あれは今考えても閉じるしかなかった。そして今はこうしてやり直しているわけだが、「ほらみろ」と呆れた人たちもいるだろう。でもまあしょうがない。やめた事自体はしょうがなかった。でもしょうがなくないこともある。それはこの2年ちょっとの間に私のほうがだいぶ変わってしまったということだ。思ってもみなかったが職場が変わった、でもそれはまあ私に対するストレスのかかり方が変わったくらいでさほど大きな変化ではなかったかとしれない、ただ仕事相手が単純に倍くらいに増えたので時間の使い方はけっこう変わった。そしてなにより、私のメンタルというか、私の対人スキルの根っこの部分がかなり変わった。端的に言うと人との距離感を詰められなくなった。今、なんとなく全員から遠い。誰からも遠い場所で新しいことを次々始めている。なんだかいよいよ凶人みたいだ。病理医っぽさが増したとも言える。

新しいことをするときには人と仲良くすべきだ。息子にはそう教えたい。 

さて、私が変わったのはいいとして、社会も少し変わっただろう。増えたフォロワーを見る。怒り狂った人の割合がきもち増えているなと思う。前は0.5%くらいだった、今は2%くらいではなかろうか。政治、経済、文化、そういったものに対して怒るために、また、怒る対象を探してブックマークするためにアカウントを運用している人たちの割合がちょっと増えた。

それはもちろんたくさんのバイアスの先にある観測結果だ。今の私がこうしてフォロワーを募るとき、そこには「正しさ」や「適切さ」に対する世間の忸怩たる思い、私をフォローする上で期待する方向性、みたいなものが乗っかる。笑ってしまうが実際そうなのだ。私はもはやダジャレの人でも旅行のおみやげを募集する人でもなく、大手の軟式アカウントたちとだらしない雑談(どうでもいいが雑談という言葉がどんどん苦手になっていく。)を繰り広げる人でも引用RTで天丼トークを続けていく人でもない。いらすとダジャレもやらないし、スポーツや映画の実況もしないし、医療以外で前と同じようにつぶやいていることがあるとしたらせいぜい本の感想くらいのものだ。したがって今の私は、15年前にTwitterをはじめたときとほぼおなじ、「医療系アカウント」にすぎず、「インフラの中の人」としてフォロワーを募ったことになった。だから自然とそういうことに興味のある人たちが集まりやすくなって、私の「フォロワー募集」の号令を、檄文を、かつて悪ふざけをしていた旧友たちが拡散してくれた先で、いささかまじめな方向に話が広がっていきやすくなっていて、だから私の新たなフォロワーの2%くらいはいつもなにかに怒っているタイプになる。そういうのはなんと言えばいいのか。魚である私が自分の泳ぐ湾の水温とかプランクトンの量とかが少し変化したことを察したとして、じゃあそこから泳いで泳いでぜんぜん違う海に行くかというとそんなことはない。せいぜい、相模湾から駿河湾に行ってみっか、くらいの移動しかしない。インド洋までは行かないし大西洋なんてめんどくさすぎる。でも。

さあどうしたものかなと思う。なにせ私はこれから、人との距離はさほど詰めないくせに社会をスモールパッケージホールドしようとたくらんでいる。私はこれから、AIに席巻されている世の中で人が無意識によい微調整を選べるようなインフラを作ろうという気になっている。傲慢なことだ。おこがましいことである。しかし、それを、48になる今年、やらないとしたら、私の30代のあの決意はいったいなんだったのか。私はかつて確かに、「自分が偉くなったら偉くなったときのことをやる。今は偉くなくてもやれることをやるのだ」と鼻息を荒くした。その場限りの言葉ではなかった。それはシャンパンの泡ではなかった。私はそのことを証明するためにここでやれることをまだやる。私はたくさんの頭のいい人、たくさんの性根のいい人、たくさんの趣味のいい人と、いったん距離をとっておきながら、そういう人たちにまた存分に甘えて甘えて甘えまくって、でも私の心はいっさい見せない酷い感じで、億兆の民衆のためになるちいさなちいさな仕事をいくつかするのだ。なあに、たいしたことではないのだが。