来し方をおしはかり行く末を振り返る

出張で全国の病理医と会うたびにへりくだる。頭を下げて、心のトラックの荷台を下げて、物を積みやすくして、なにかを持って帰る。そのなにかというものは、症例検討の解説に関するこまかなニュアンスの違いとか、私が見逃していた所見の話とか、言うべきことと言わないほうがいいことの線引の話といった、私の発信にかんするリアクション、が、かつては一番多かったのだけれど、近頃はもうすこし具体的になりつつあって、大学院生をどのように指導しているか、とか、クラウドサーバの容量をどれくらいにしているか、とか、AIの契約をどれくらいの金額でやっているか、みたいな、ラボ運用の先輩の運用プロトコルみたいなものをたずねていることも多い。津々浦々にボスがいて、三千世界に中間管理職がいて、今の私はそういう人たちの話を聞いて回るのが楽しく、だから、おそらく、若い人の気持ちが少しずつわからなくなってきている。なるほどこうやって「シフト」するのだな、という実感がある。

人生のシフトレバーはマニュアルである。オートマではない。1速よりもパワフルな0.5速というギアもある。R(rear)だけでなくS(side)とかもある。前輪を切り離して有線ビットみたいに先行させることもある。そういうのを自分の判断でうまくつないで運転をする。運転するということはその場を去るということだ。運転が好きというのはつまりその場を逃げ出したいということでもある。あるいは常にどこかに帰りたがっているということかもしれない。



早期胃癌研究会の翌日が大腸癌研究会だった。どちらも研究会という名前がついているけれど、かたや、どでかい症例検討会、かたや、研究会とは名ばかりの学会である。名刺を配ってコラボをもちかけ、挨拶とともにお礼をし、先のことを考える。今のことも考えておいたほうがいいけれどできればこういうところでは先のことを考える。

先日、味岡洋一先生が亡くなった。私は、短い期間ではあった、10年ちょっとか、15年にはなっていないと思うが、人並みにはかわいがってもらった、彼は診断病理医としてすごく丁寧なことばを使う人だった。多くの臨床医に愛され、病理医からも一目置かれていた。つねに鬱の煙をふかしながら思索の奥に他者への許しと教えとをしのばせるタイプの偉人だった。過去のことを考える。過去にもらったうれしかったこと、ありがたかったもの、その瞬間には価値がわからなくてろくにお礼を言えなかったあれこれのことを考える。先のことを考えるよりも何倍も過去のことばかり考えてしまう、黙祷をするたびに、そういうことではいけないんだよと笑いながら怒られる。

若い内視鏡医とモツ鍋などを食べながら、「研究会って大事なんですね」と、10年か、15年か、それくらい前に私が味岡先生に言ったようなことを言っている若い内視鏡医とゴマサバなどを食べながら、私はなるべく先のことを考えようと、今を振り返って過去をおしはかる。

転写と翻訳の間

今季最長最強寒波、というフレーズはおそらくリズムで決めたものであまり深い意味はないんだろうな、と思いながら凍えている。暖房を焚いても焚いても部屋が暖かくならない。なんなんだこれは。もう2時間くらい暖房を付けているのに。ひさびさの体験だ。なぜ今年に限って……と思ったが、よく考えると、こんなに長い時間家にいることがめったになく、室温の移り変わりを把握できるほど部屋で過ごすことがないからではないか、という点に気づいた。事象のめずらしさというものは分子だけではなく分母もみなければ判断できない。今週、私はわりと仕事がなくて、すぐに帰宅して念入りに料理をしたり、ゲームセンターCXの動画を見たりしていた。今の職場にうつってからははじめての、だらけた数日を過ごした。理由はあきらかで、正月以降のローテ(仕事のわりふり)が軽かったからだ。学生実習がある週は仕事は軽めになってます、と説明され、はあそんなものかと思って受け入れたのだが、なんのことはない、学生実習というのは時間こそとられるものの別に精神的に大変なわけではないので、学生実習の準備にしても当日の目配りにしてもほぼストレスなく無事終わってしまい、結果として診断の割当がただ軽くなっただけだった。そのぶん、抄読会のセッティングだとか論文の執筆だとかゲラの手入れだとか講演プレゼンの作製だとかをやればいいのだけれど、「この先忙しくなるだろうからなるべく今のうちに……」というノリで、年末にほとんど寝ずにあらゆる仕事を早回しでやっつけてしまったので、ぶっちゃけ、締切が設定されていない原稿くらいしかやることがない。慎重過ぎる保険の書け方が仇となったかたちだ。仇? 逆か。仇ではないか。でも、なんか気持ち的には仇だ。こんなに余裕が出るならあのときあんなに必死でやらなくてもよかった。でも、今がこうしてラクになるということは予測はできなかった。早め、早め、念のため、先回し、先回り、そうやって安心をリボ払いみたいに小出しに配置して、結果、一括で払う何倍もの額を失っている。私は臆病だ。遅刻しないために30分前に待ち合わせ場所に到着しておこう、30分前に着くためには何分の地下鉄に乗ったらいいかな、なるほど、じゃあ念のためこの1本前の地下鉄にしよう、だったらこの地下鉄にのるためには何時に家を出ればいいが、途中なにがあるかわからないからさらに少し早めに家を出よう……そうやって結局70分前くらいに待ち合わせ場所についてしまう。近場の喫茶店を探してうろうろするのだけれど、20分くらい歩いて探して、ここぞという喫茶店を見つけたはいいが、入ってコーヒーでも頼んで出てくるまでに15分くらいかかったらどうしよう、それだと30分前に待ち合わせ場所に到着するのが難しくなるかもしれない、だったら缶コーヒーでも買って待ち合わせ場所で佇んでいたほうが気が楽かもしれないな。私は臆病だ。そういうふるまいをあらゆる仕事に対してもやってしまう。スケジュールに対してバッファを設けるということは、いいことばかりではない。そういう時間の組み方をすると、必ず、「安全のためのゆとり」の時間がそこかしこに発生する。15分とか、1時間とか、2週間とか、3か月といった単位で私は先回りをするから、結果的に、それらの時間が少しずつ余る。その余った時間はあくまで「まさかのときに備えるための時間」なので最初からあてにしていない、それ以外の時間で猛烈に働くわけだ、すると、いざ、それらの「あそび」の部分が予定通り余ったとき、そこは死腔のようになってしまう。綿密な予定を立てていない時間に、計算づくの仕事をあとからはめ込むのは難しい。クリエイティブなことに使えるほど潤った時間でもない。こうして私は人生の中に「のりしろ」として機能しない部分をたくさん有するようになる。イントロンだなと思う。とはいえ、イントロン由来のmiRNAみたいなものもおそらくは発生しているので、それは私という個体が進化の過程で落ち着いた、エネルギー安定プラトーのひとつの形ではあったと思うのだけれど、それにしても、通り過ぎたカレンダーを読んでいると、スプライシングされた日々の多さに頭を抱えることになる。

国がんの高阪先生がスプライソソーム阻害薬の夢とその実現にかかわる道程のことを語っていた。スプライシングってやっぱ、介入できるよな、とくにがんの治療においては。でもそれが正常であるかがんであるかをどうやって見分けるんだろう、みたいなことをずっと考えていた。

オタクの的

異動して4か月、仕事に慣れた、イメージとしては、これまでヤリスクロスで国道を長距離運転してきた私が、幹線道路とちょっとだけ離れたところで並走する特急列車に乗り換えて移動しているようなかんじだ。 

ヤリスクロスは燃費がいい。ヤリスよりちょっと大きくて、4駆であれば冬でもグリップはしっかりしている。いや、べつに、トヨタでなくても、ヴェゼルでもキックスでもいいのだけれど、要はわたしはそういう、ミニSUVユーザー的な「働き方」をこれまでしてきた。自分の体力が続くかぎりで運転し続ける。スマホをBluetoothで接続詞たカーオーディオでPodcastでもradikoでもなんでも聴きながら移動する。気まぐれに道の駅に寄ってもいいし、逆に夜通し走ったってかまわない。

そんな私がとつぜん電車に切り替えた。まず、走行速度が、微妙に違う。信号の数も違う。駅という概念もある。周りに人が載っている。トイレはついている。しかし自分のものではない。アナウンスがかかる。イヤホンをしないと音楽は聴けない。チケットの取扱いにうるさい。線路の外に行こうと思ったら金がかかる。寄り道するのに金と手間とアイディアが必要となる。着いた駅そのものがゴールなわけではない。

おなじ移動手段としても、車と特急とではだいぶ違う。そして、それを、私は、車を止めず、電車も走っているまんまの状態で、飛び移るように移動した。だいぶ大怪我をした。その怪我が治るのに必要だった時間、全治、4か月ということだったのだなと思う。


正月の腰痛と、ここ3か月以上苦しんでいた痔、その両方が寛解した。研究2つがひとまず最初のハードルを超え、まだヤリスクロスにいたころに依頼をうけた総説をなんとか書き終えた。研修医と共に書いていた論文を投稿、2年半以上とりくんでいた本のゲラを著者校了、3か月先までの講演のプレゼンを完成させた。すっ、すっ、と楽になっていく。私はようやく、「特急で普通に移動している人」となった。そんな人間は世の中にたくさんいる。なにも特別なことではない。そう、特別なのは、「走っている車から特急に飛び移ったこと」であり、それは目的地に行くのにあたってなんの関係もない「悪目立ち」でしかないのだ。痛みも、停滞も、すべて、私の軽率な行動にかかったコストでしかない。特急も車もたいして代わりはないのだ、だって、それは移動手段でしかないのだから。ただ私は知っている、世の中には車のオタク(どころかミニSUVオタクみたいなジャンル分けさえある)がたくさんいるし、鉄道のオタク(どころか地域の特急のオタクみたいなジャンル分けさえある)がたくさんいて、それらは別に普段は交わろうともしないのだけれど、私みたいな存在がひとりいると、その両方のオタクがいきりたって襲いかかってくるのだということを。

課金しなくても読める大儲けのコツ

燃え殻さんのlettersの登録を済ませる。月500円、安いものだ。いつか書籍になるのかもしれないし、本になったら買うだろうけれど、この日記は、毎日読むことにかなり意味がある。それがメールで届くのが、今はおもしろいことに、一番いい。ふしぎなものだ。メルマガなんてこれまでまともに読んでこなかった。クソみたいなサービスだなとずっと思っていた。でも燃え殻さんの日記は読んでしまう。

noteの課金は、末次先生と鴨さんと幡野さん。合計、月、2300円。

燃え殻さんのletterを足すと2800円。

ジャンプの月間購読料が980円。アフタヌーンの月間購読料が720円。dマガジンの月間購読料が580円。

アマプラ600円、Netflix890円、radiko385円。

しめて、月、6955円。

貯金を銀行に預けておくなんてもったいない、インフレで目減りするんだから投資をしなさい、と、よくインターネットで言われる。なるほどなと思った私はサブスクをしている。定年退職後にきちんと生活をするための、体験を今から溜めて育てていかないと、不安だ。そのときが来てから読んだり見たりしても遅いと思う。

投資は自己責任、必ず増えるとは限らない、リスクがある、と言う。しかし私が素人だからだろうか、注意を払うべき危険を見ていないのかもしれないが、文章を読むこと、マンガを読むこと、ラジオを聞くこと、アニメをみることに、どんなリスクがあるのだろう? まったくわからない。詐欺に注意。

サブスクというのは長期ローンみたいにも思えて、得だとは思えない、みたいな話もある。サブスクが管轄する膨大なコンテンツを一括で購入しようと思ったら大変だが、ローンみたいにちまちま払い続けることで、痛みに気づかずにダラダラ金を失っていく。だから損だ、みたいなことを言う人がいる。逆だろう。たとえば、250万という金額を今いっぺんに使えば、それは250万失うだけだ。しかし、250万という金額をサブスクにわけて、月7000円ずつ、30年支払うことを考える。最初の数カ月は7000ずつしか減らないが、私はそもそも、250万という金額を使うぞ! と心に決めたわけだから、この250万を、いずれサブスクに払う分として横によけておく。ただ、それを、ただ避けておくのも芸がないので、投資に使う。ここがポイントである。投資というのはリスクもあるが、うまくやると増やすことができる。つまり、250万を最初に払ってしまうなんてとんでもなくもったいないことなのだ。250万を「払ったつもり」で避けて、それをそのまま投資に出し、儲けながらサブスクで250万をちまちま払い続ければ、結果として、250万を投資に使いながら250万分のサブスクコンテンツが手に入る。おわかりだろうか? 哲学者ふうに書くと、どういうことか? 7000円分のサブスクを行いつつ、250万円分の書籍や円盤をさらに購入するのである。そうすれば、自分への投資効率を最大化することができる! 一括で250万円分のコンテンツを買えばそれは250万円分でしかない。でも、サブスクしながらさらに避けておいた250万で本やマンガを買い漁れば、うまくいけば、倍以上のコンテンツを読むことができる。倍じゃ済まないぞ。倍というのはあくまで控えめな値だ。10倍、20倍も夢ではないのだ。





ネットサーフィンをしなくなった。ブログの巡回をしなくなった。SNSをまともに使いこなせなくなった。結局Gmailが一番ほどよい。教え子からDM。試験勉強のためにインスタとTikTokとXのアカウントぜんぶ止めます! だからLINE交換してくれませんか! カジュアルな断社離(社会を断って離れること)。LINEってそういう扱いなんだ。Gmailにすりゃいいのに、と思う。LINEに比べてインターフェースが面倒。がちゃがちゃしている。返信がすっといかない。通知が飛ぶわりに、若干もたつく感じ。もっさりしている。Googleにしてこのもっさり感がよい。これで燃え殻さんの日記が毎日飛んでくる。これがよい。500円分の価値はある。いや、500円を毎月払う分の価値はある。いや、ちがう、500円を毎月払いつつ、これを燃え殻さんに30年渡すつもりでお金を避けておき、その避けたお金で燃え殻さんの本をさらに買うことで、500円を毎月払うことは、1000円、2000円、10000円くらいを毎月燃え殻さんに払っているのと同じ効果を生むのである。こんなすばらしいライフハックをすべて無料で読めるブログに書くなんて、私はどうも、商売が下手なのかもしれない。



かんじのつかいわけ

特急ライラックの窓際は少し冷えるが、一般的な家庭の窓よりはよっぽどましで、これでもきちんと断熱されているほうで、大赤字のJR北海道、がんばっているなと感じる。窓のへりに本当に申し訳程度の、ものすごく浅いくぼみというかへこみがついていて、そこにビニール製の滑り止めがついているので、缶コーヒーだとかペットボトルだとかを置くとよいという配慮なのだろう。ビニールは少し黄ばみ始めていて、昭和の時分、どの家にもたいていあったテーブルのビニールクロスの少し反り返った疾患を思い出す。

早朝の電車に乗る時は東側の座席をとるべきだ。浅い角度で入り込む朝日が、反対側の座席のほうから私の横顔に鋭角に注ぎ込んで、サンシェードを降ろしたいがその担当範囲は居眠りに余念がない知らない中年男性である。アンコントローラブルな事象がまたひとつ。自らの手で動かせないものに囲まれての暮らし、日除けくらい、さっと降ろせる場所に陣取るべきである。人事でもない、体調でもない、ほんとうに、左手ひとつで解決できたはずの、小さなトラブルを放置したまま電車が荒野を滑っていく。


昨晩、Xの、Space(音声放送)を久々に聞いた。わりと知っている人とちょっと知っている人がけっこう込み入った専門的な話をしている。ちょっと知っている人のほうは、自らの興味のない話題に対して、まったく掘りさげようとしない。それがおもしろい。自分がかかわっている話、自分がかかわっている人間たちの話は、問われなくてもたくさん語るのだけれど、自分の守備範囲のちょっと外にある話にはいっさい手を出さない。キッカーが足を振り抜いた瞬間にもう横っ飛びすることをあきらめているゴールキーパーのようだ。そのほうが生涯年収が高くなるんだよ、と、村を長年仕切ってきた古老が言いそうだ。古老? 古くない老いがあるだろうか? わりと知っているほうの人は、違う。自分が興味をさほど持っていない話であっても、ひとまず、相槌で対処をはじめる。だまって聴く、あるいは、相手がしゃべりやすいように聴く。そのうえで、すべてに納得したふりをすることもなく、きちんと感想を述べる。きちんとしているなあ、と思う。そのほうが、生涯年収が高くなるんだよ、と、村の真ん中にそびえ立っている大樹が言いそうだ。そびえ立っている? そびえ立たない大樹があるだろうか? あるか。

ポッドキャスト「いんよう!」の続きをやろうという話が少しだけ出た。いつかはわからない。いつかの話だ。

さあ、豪雪の札幌。外勤、いくつかの買い物、何度かの飯。そのままだと離れて蒸発していく熱力学にあらがって、動き、話し、はたらき、考えて、聞く。この中ではおそらく、聞くことが一番むずかしい。それは、聴くよりもはるかに難しいことだと、私は思っている。