粉飾

メールの文章を見ると、自分を大きく見せようと思ったタイミングというのがなんとなくわかる。他人の書いたメールだと難しいのだが、少なくとも自分で書いたメールに関しては「あっ、ここ、虚勢だな」というのがだいぶわかるようになってきた。「わかるようになってきた」? 今さら? これまでわかっていなかったということ。恥ずかしい。しかしまあ、ずっと気づかないよりはなんぼかましだ。「なんぼかましだ」ってすごい字面だな。口語だとするっと伝わるのだけれど、文字にするとすごく違和感がある。まあ、文章というのは、概してそういうものなのかもなと思う。ひらがなや漢字の形態がもたらす雰囲気みたいなもの。音や韻律が乗る口語とはまたちょっと違うけれど、ともあれそういうことも考えながら、作っていく。作り込んでいく。あるいは放り投げていく。

メールだと自分を大きく見せてしまう。大きさだけではない。忙しさを自慢したい、なにかに没頭している姿を見せたい、案件に対して俯瞰的であることを知らしめたい、そういったものが少しずつ付与される。化粧品のひとつひとつは慎ましいのだけれど、いくつも塗りたくっていると最終的に能面かよというくらいの厚塗りになる、みたいな感じ。加工がデフォルトになるとすっぴんを見せられなくなる、なんてこともしょっちゅうだ。しかし、ときには、「逆に」、「あえてのすっぴんですよ、ほら、すごいでしょう、地肌がきれいで」みたいに、ちょっと痛々しい中年の俳優みたいなムーブで、「逆に」(二度目だから元通り)、自分を持ち上げてみたいという欲望が生じることもある。文章から、「ほら、私はメールから装飾を取り除けるんだぞ」というイキリがにじみ出る。すっぴんという化粧も大仰だ。すっぴんというスタイルも押し付けがましい。結局は中身のふるまいによるのだと思う。中身がすかすかだからどうつくろってもだめなのだ。「どうつくろっても」のあたり、リズミカルで気持ちがいいのだが、文字として見るといまいちだなと思う。


大学から仕事というか新しい勉強会の指導をしないかというメールが届いてその返事を何度も書いてまた書き直す。最初に答えたかった内容はたったひとつ、「忙しくて余裕がないのでお断りさせてください」であったのだが、粉飾加工をしたり彫琢研磨をしたりを繰り返した結果、最終的に、「●月は○日と○日が空いていますがいかがでしょうか」と、なぜか、本来とまったく逆の、つまりは快諾みたいな内容のメールになってしまい笑った。なんでだ。私の気持ちや都合とはまったく違う「はりぼての私」がメールの中で組み上げられていって私はそれをとっさに着用する。外骨格アーマード私。AUTO PILOT MODE. ガンダムを見ていて思ったけれどオートモードを自動的に発動させたらさすがにだめだよね。そこは自分で決めさせてよね。でもまあガンダムだからな。あれは現実に起こったことだから、つくりばなしの住人である私がとやかく言うことではないだろう。「つくりばなし」って音も文字もあまり印象が変わらない。そういう言葉もある。そういう言葉になりたい。