積ん書く

寝起きの保安官「ホアーン」


をXに投稿してきたところである。そのままブラウザを閉じずにブログフォームを開いてこちらにも書き留めたのが上の一行だ。水曜日の朝、8時25分。あと5分でいったんブログをやめて出張スタッフにあいさつをしたり本日の切り出しの予定を確認したりする。なんでこんなぎりぎりにブログ書き始めるのかと自分でもちょっとふしぎだけれど、こういうのはひとまず一行でもワンフレーズでも書き始めておいたほうが、のちの自分にとってラクである。



戻ってきたので続きを書く。「冒頭だけ書いて放置する」というのはなんとなく、「積ん読」と似ているのではないかと感じた。

本を買ったまま所定の位置に置いて(積んで)、そのままなかなか読み始めず、ときおり表紙をちらっと見たり、スマホで作者の名前を見るたびにあっそろそろ読まなきゃなと思い直したりしながら何日も、ときには何年も過ごしてしまう「積ん読」。買って積んでいるだけで読書になっているというのはさすがに言い過ぎだろうと思っていたけれど、買う前の精神を高めていく時間が読書と一連の思索になっているというのを近頃はなんとなく理解できる。私は積ん読は基本的にやらないが、いつか意図的にやってみてもいいかなと思う。

翻って先ほどの私の、ブログを書き始めた状態で放置している状態も、「積ん書く(つんかく)」と言って差し支えないだろう。冒頭を書いて「積む」。あとで書かないとなーと心のどこかで気にしながら、1日もしくはそれ以上の時間をなんとなくそぞろに過ごす。この過程はたしかに執筆とひと繋がりの思索である。

これまで縁あって商業的に書いてきたものはどれも、「依頼が来る前に頭の中でおおよそ書き終わっていたもの」ばかりである。『いち病理医のリアル』、『病理医ヤンデル先生の医者・病院・病気のリアルな話』、『どこからが病気なの?』、『病理トレイル』、『ようこそ!病理医の日常へ』など、エッセイ仕立てのものは一般書・医学書を問わずどれも依頼から3週間くらいで原稿を書き終えた。いずれも頭の中でずっと考えていたことを書いたから早く書けたし、早く書きすぎてしまったという気もする。たとえば当時、一行目を書いてしばらく積んでおく「積ん書く」をしていたら、もっとひねくれて込み入って、ねじまがった末に何かをこじ開けるようなものが書けたかもしれない。そこまでしなかったから多くの人に読みやすくおもしろかったと言っていただけるものが出せたこともまた事実であるが、「書くために積む」ということができるほどの忍耐力は当時の私にはなかったのであって、このほうがいいからと選択したわけではなくそれしか選択肢がなかったのだからいいも悪いもない。

「書けたものから順番に出すやり方」しかできなかった私が、これまである程度の方々に喜んでいただけたということが幸運なのだ。感謝しかない。そして今後は、そこに甘んじていてもいけない。「積ん書く」によって自分から何が出てくるのかを知りたい。「積ん書く」によってどこまでたどり着けるものなのかを見てみたい。


もっとも、最近来たいくつかの執筆依頼は私より若い人にゆずってしまっている。現時点で医学方面の本の依頼を3つ受けており、それらはもうプロジェクトがはじまっているのだけれど、それを除けばこの先もう、新しいものを書いてほしいという依頼は来ないかもしれない。来てもいない依頼に備えて自分の書き方を考えるなんて、それこそ、「積んでもいない、というか買ってもいない本をいつか読んだときのことを妄想している」ような状態である。これになんと名前を付けたらよいだろうか。読書界隈では「本屋に積ん読」とか「図書館に積ん読」という言葉があるそうだ。執筆に当てはめるとしたらなんだろう。「取らぬ狸の皮算用」でよいではないかという気もする。

YAWARAの診断

IgG4関連疾患という病態がある。診断は集学的に行う。血液データだけを見てぱっとわかるとか、病理組織像だけ見てバチンと診断できるという病気ではない。「合せ技一本」みたいなイメージで。小外刈りで有効、小内刈りで効果、内股で技あり、一本背負いで技あり、合わせてようやく一本! みたいな診断の仕方をする。


ここで我らが病理診断は、決定的な答えを提供してくれるツールにはならない。しかし、昔も今も、有効であることは間違いがない。うまく決まると技ありくらいは取れる。


ただし昨今のIgG4関連疾患における病理診断はどんどん難しくなっている。


柔道のたとえをそのまま続けると、昔はその名の通りIgG4(免疫グロブリンG4分画)というのが診断のカギであり、「一本」に限りなく近い結果をもたらした。免疫組織化学という手法で、病変と目されている部に対して、「IgG4タンパクがあればそこだけ色がつく」という特殊な化学処理を行う。IgG4を持つ形質細胞が、顕微鏡で倍率400倍にした視野の中に10個とか20個とか存在すれば、それだけで「ああ、IgG4関連疾患ですねー」という具合で、診断に大きく近づくことができた。開始40秒、大外刈りで一本である。


でも今はそうはいかない。こんなにシンプルだと精度が保てないことがわかってしまった。


説明が前後するけれど、IgG4というのは、「免疫戦隊グロブリンG」の4番目のメンバーである。G1, G2, G3, G4といて、それぞれ微妙に異なる役割がある。IgG4関連疾患というのは、IgG4がたくさんいればそれで成り立つというものではなく、IgGの4つのサブタイプのうちなぜかG4分画だけが割合多く増えるというのが大事らしい。

つまり「免疫戦隊グロブリンG」すなわちIgG全体を分母とし、IgG4がそのうち何%くらいあるかを検索するのである。ヒーロー大集合モノでピンクの戦士だけが妙に多ければ「なにかがおかしい」と感じるだろう、そういう感じだ。IgG4の総量だけではなく、IgG4/IgGの比を見る。

となれば、自然と、染色1種類だけで検査を終えることはできなくなる。IgG4だけではなく、「IgGすべてに反応する抗体」を用いて、分母の計測をする必要がある。

ただこのIgG染色が激烈に難しい。まさかのトラップである。IgG4はむしろ簡単に染めることができるのだが、IgGを正確に・きれいに染めようと思うとコツが必要になる。この段階でいくつかの検査室では、「病理組織中のG4分画の割合? なんか……よーわからん」となってしまう。一本どころではないのだ。


それだけではない。別の問題もある。というか、次に語る内容こそが、「病理診断だけで技あり以上をとるのが難しくなってきた理由」であると考えている。


IgG4関連疾患に類似した病像を示す、ほかの疾患がある。たとえば「特発性形質細胞型リンパ節症 idiopathic plasmacytic lymphadenopathy (IPL)の病型をとる特発性他中心性キャッスルマン病 idiopathic multicentric Castleman disease (iMCD)」、すなわちiMCD-IPLという病気だ。うんざりしただろう。大丈夫、私もこの話をするときはいつもうんざりしている。

IPLとかiMCDだけではだめなのか? と聞かれることもあるが、歴史を知っていると、ごめん、だめなのだ、とお答えせざるを得ない。一時的に曹操の下にいたときの関羽が顔良と文醜を斬ったがこのとき劉備は袁紹の下にいたので、関羽は劉備の仲間を斬ったことになる、けれども関羽からしてみれば「あくまで一時的に曹操の客将であったに過ぎず心は劉備の下にあった」と言いたくなることだろう。そこを省略して「関羽は劉備の同僚を斬った」とは言わないのと一緒だ(?)。「曹操配下時代の関羽」と限定する感じで「iMCD-IPL」と言ってはじめて伝わる義兄弟の情みたいなものがある(???)。

さてiMCD(-IPL)はIgG4関連疾患とは治療法が異なる。IL-6受容体拮抗薬であるトシリズマブなどを使うことがある(と聞いている)。したがって、きちんとIgG4関連疾患とは区別しなければいけないのだが――


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( 'ㅅ') 

どうせ誰も読まなくなったタイミングで

登場する突然の無意味なうさぎ


じつはいやらしいことに、先に述べたIgG4免疫組織化学やIgG4/IgG比などは、iMCDでも異常となりうる。これまで大半の病理医は、「IgG4を染めて、IgGと比べてくれればいいですよ」などと言われてその通りやっていたのだが、この検査結果が陽性だったからといって、IgG4関連疾患と決めつけることはできなくなった。一番見分けたい別の病気を見分けることができないからだ。したがって病理医は、機械的にIgG4の免疫組織化学をして検討するだけではなく、もっと虚心坦懐に、細胞のおりなす配列やら高次構造やら、全体のテクスチャやらアーキテクチャやらをたくさん見て考えなければいけない。

しかしいまさらIgG4関連疾患とiMCDの細かい差を見分けてくれと言われても、これまでぬるく診断していた病理医のスキルはそこまで育っていない。

これらを見分けようという試みはこの10年ちょっと、一部の重箱の隅でコマゴマチクチクとやられてきたのだけれど、その試みをすべての病理医が追いかけていくというのはどだい無理な話だ。専門性が高すぎる。

しかし、それでもやる。なぜなら、主治医が、「なんとか見分けられないか」と言うからだ。超・専門家ではなく、われわれ、市中の病理医に対して願うからだ。

しょっちゅうあることではない。しかし、たまにある。数年に一度くらい。

「IgG4だと思うんですけど鑑別はiMCDです、病理組織学的に特異的所見ありますか?」のような依頼書が舞い込む。出、出~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~何意味不明特異的所見探訪所望奴~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~と思うがむりもない。臨床医を責めてもしょうがない。


とにかくこの病気の診断は「合せ技」だ。ただし診断においては、主治医がひとりですべての「技」をかけることができるわけではないということなのだ。小内刈りで重心を反対側の足に寄せておいたところに内股をしかけてふんばるところを一本背負いするから一本が取れる。できれば小内刈で効果を、内股で有効をとっておけば、相手はゆさぶりから必死で逃れようとするから、最後の一本背負いで技あり以上がとりやすくなる。このような「順を追って退路を断っていく」ような診断をするにあたって、小内刈りと内股までは主治医ができるが、一本背負いだけは病理診断が担当しなければいけない、というイメージだ。おわかりだろうか? 診断は柔道とは違うが、たとえをこのまま続けると、「襟から手を離して袖を引っ張り込めるのは病理医だけ」みたいなことがたまに起こる。花筵状の線維化や閉塞性静脈炎を見つけつつ、好中球や壊死などの陰性所見がないことを念頭に、IgG4陽性細胞の比率や分布をちまちまカウントしていくという技術は、言ってみれば「最後に一本背負いが来るとわかっている相手をそれでもぶん投げるためのキワキワの一本背負い技術」だと言える。主治医は一本背負いに関しては病理医に「外注」し、あるいは自らは巴投げや横四方固め、奥襟じめなど別のやりかたで一本を取れないかと、私たちに外注して少し楽になった分で、虎視眈々と違う技のかけかたを考えている。そういう難しい状況で、「一本背負い行けそうならぜひ行っちゃってください!」と「外注」されているのが私たち病理医なのだ。私たちはそれを意気に感じる必要があるし、時代の要請に応えてその時点での最高のスキルで技をかけていく必要がある。まあ診断は柔道とは違うんだけど、だいたいそういうイメージで――


――あっ剣道に例えることもできるな、北辰一刀流の「セキレイの尾」を現代風にアレンジして、表の面に視線をあわせたあと裏の小手に行くと見せかけて裏からの面に飛ぶときの「小手をちらちら意識させる」部分が病理医である、みたいなたとえも、あっいや逆胴のほうが伝わるだろうか――

落日の病理医

昨年のいまごろはたしか半年先の講演プレゼンを作ったりしていた。しかし今年は1か月後に迫った病理学会の準備をまだしていないのだから、この1年でずいぶんと堕落したものである。ほかにも、某学会から依頼された総説論文のしめきりが6月なのだが、これもまだ何も取り組んでいない。資料すら集めていない。

去年ならありえなかった。早めに取り組まないと不安でしょうがなかった。

でも今は、なんか、「どうせできちゃうだろうな」という確信があり、むしろ、「あんまり早く完成させても当日忘れちゃうからなあ」くらいの達観までして、意図的に仕事の開始時期を遅らせたりしている。

そこまで悪いこととは思わない。

少しだけ「待てる」ようになってきたことは私の体にとってはすごくいいことだろう。過剰な負担を回避できる。

しかしさみしいことだと思う。

しゃにむに突っ込んでいくバイタリティを失ったようにも感じる。

仕事にどれくらいの労力をかけたらいつ頃どこまで完成するだろうかという読みがかなり上手になってきていることは、リスクマネジメント的には満点だ。

依頼を受けてすぐに「完成図」が描けると、逆算して、だいたいいつ頃から取り組めばバッファ込で間に合うだろうという見込みが立つ。

だから悪いことではない。

そしてそれ以上にさみしいことである。

「うまくいくだろうか」という不安、「ちゃんとできるのだろうか」という緊張感が日に日に失われている。



先日、某大学の基礎講座にたのまれて、Zoomで30分程度の講演を行った。学生の基礎配属実習の一環であり、聴講生は医師や医療者ではなく医学生であった。依頼を受けてから講演の数日前まで、スケジュール的には覚えていたのだが肝心のプレゼンをどうするかということをほとんど考えていなかった、というか、正確には依頼を受けた瞬間に「ならばあの話をしよう」と思って安心してしまい、数日前にZoom URLが無味乾燥なメール本文と共に送られてきてはじめて、「あっ、プレゼン作らないとな」と遅まきながら思い至った。

プレゼンは過去に別の場所でしゃべった内容をもとにいろいろと手直しをした。使いまわしではない。症例が古すぎると思えば差し替えるし、まとめに至る論理がごちゃついているなと思ったら大胆に順番を入れ替えたりカットしたり、実例を付け加えて「概念み」を薄めたりする。この作業は1日かからなかった。

当日もプレゼンはとどこおりなくすすんだ。とどこおりなさすぎたとも言える。よどみなくしゃべりきったプレゼンの最中は小さい笑い声も聞こえてきて、事前に想定していた反応はおおむねいただけた。質疑応答は一切なし。正確には、時間はもうけたが、学生からの質問はなかった。落語や漫談を聞き終わったあとに質問をする客がいないのと似ている、とふと思った。そしてZoomの回線を切ったとたん、猛烈なやりきれなさにおそわれた。

こんなプレゼンテーションで誰かの心が動くわけがない。

最近はなんでもそうである。無茶振りに答えて短い時間で猛烈な量のスライドを用意して講演をする。私を呼んだほうは私の講演内容よりも「私がしゃべって場をつないだ」ことで満足してしまっている。聞くほうもまたあまりにすらすらとしゃべり終える私の講演最中はもはやメモもとれず、一本のエンタメを見てため息ひとつついて映画館を出て楽しく家に帰るような感じになっていてあとには何も残らない。

案の定、2週間の実習を終えた学生からのアンケートには、私のことは何一つ触れられていなかった。当然である。よどみないということはすなわちひっかかりがないということだ。表面がつるつるすぎるラーメンにはスープが絡まない。



昔、ある宴会の席に、全国的な知名度があるお笑い芸人がやってきたことがある。その芸人が登壇すると、広い立食会場の前方には女性を中心に客が殺到してスマホで写真を撮り、芸人は慣れたものでいわゆる「音ネタ」をやって会場をわかせていた。営業1回で何十万か稼いで去っていったあと、宴会はとどこおりなく進行し、最後にはビンゴかなにかをやって会は終了した。駅までの道すがら、私は周囲の人びとがだれも芸人の話をしていないのを見て少しぼうぜんとしてしまった。あんなに有名な人が来たのに。しかし同時に、私自身もその芸人の「うまさ」と「場を作る力」にばかり感心していて、肝心のネタのおもしろさなどはもはや何も覚えていないことに気づいていた。

私があのお笑い芸人と同じレベルでしゃべっているなんて思わない。向こうは本物のしゃべりのプロである。しかし、学術講演で、豊富な経験をもとに、引き出しからなんでも出てくるぞとばかりに、とうとうと    、病理診断学のおもしろさや奥深さを語るという構成、めずらしさ、価値、そういったものが「なんのひっかかりも持たなくなりつつある」ということに、私はあのお笑い芸人と同じ位相の何かを感じた。話す方も聞く方も真剣勝負、うまくいくかはわからないがなんとか心に届かせてみせる、という渾身の何かが込められていない、技能と手癖、連想と反射でどうにかしてしまっている今の私の講演には正味で言うと価値がないのだ。



最近、やってくる仕事の多くを、私より若い病理医に振るようになった。依頼を受けた人たちはみな緊張したメールを返してくる。そして、ときに私に、「どうやって講演を作ったらいいか悩んでいます」と正直に内情を吐露し、私が過去に作った講演のプレゼンなどを見せてくれないかと依頼してくることもある。私はそれに応じて、だいたいこのような依頼のときはこういう感じでプレゼンを作るんだということを、具体的に見せて説明をし、いくつかのパワポをこっそり渡してあげたりもする。

しかし、私のプレゼンを参照したところで、「講演の形」をそれらしく整える役には立つだろうが、それ以上の場所にはたどり着けないのではないか、ということをよく考える。

聴衆が聞きたいのは、なんらかの縁あって登壇することになった人間が、依頼内容を自分なりにどう考えて、どこでどう戦って、何を生み出して、それをどうまとめてどう語ろうとしているのかという戦いの過程すべてである。「これで伝わるだろうか、これなら伝わるだろうか、これだと伝わりにくいだろうか、どうやったらみんなが喜んでくれるだろうか」と、頭をひねり、体をよじって、大量の口内炎をつくりながら講演前日の夜中までうんうん唸ってこねくり回した魂のパワポ、それはメイリオと游ゴシックが入り混じったような統一感のないスライドかもしれないし、引用文献のクレジットが間違っているかもしれないし、依頼の一部を読み違えていて見当外れな部分ばかりを解説してしまっているかもしれないし、本当に聴衆が聞きたいことからは1歩、2歩ほどずれているかもしれない、それでも、「確かに演者がそこで激突した」という衝撃が刻まれていさえすれば、講演というのは大成功であり、そうでなければ大失敗なのだ。

私はこの先、かつてほど苦悶して何かを作り上げて人びとの審査を待つような機会を得られるものだろうかということを、不安に思っている。査読論文に投稿することにもどこかルーティン的な「飽き」を感じるようになった今、講演も、解説も、すべてが白々しく思える。自分はもう折り返してしまったのだなということを残念に思う。それでもなお、十年一日の依頼に本気で答え続けることでしか、私自身の閉塞に点穴は開かない。私の没落を受け止めることができるのは私以外にはありえないのである。

脳だけが旅をする

「一人旅とは移動型の引きこもり」というツイートを見てのけぞってしまった。じつに納得できる。となれば、毎日働いているというのもある種の引きこもりだということにならないだろうか。私はなると思った。

職場というのは自分を出しているようで出していない場所だ。社交専用の外骨格をさらけ出していれば自分の内面を隠し続けることができる。そういうことだ。これは引きこもりの一形態だったのだ。


これまで、「仕事ばかりしてないで旅でもしてきたら?」に対して、何も言い返すことができなかった。一年に数度、決まった時期にスマホの電源を切って離島や海外に行くタイプの人びとが、私のようなタイプをどこか「不全な人間」といわんばかりに、「もうちょっと仕事以外のこともしたらいいのに」と口にすることに、私もおそらく内心では同意していた。返す言葉もないと感じていた。しかし、仕事だろうが旅だろうが、引きこもる場所や形態を変えているだけとなれば話は別である。

旅に出たところで、それは私にとっては、職場で引きこもるのをやめて旅先に引きこもることにしたということでしかない。肩の力が抜ける。

日常には転がっていない体験をすることはあなたを必ず変えるんだと言われても、旅と体験に投資をすればきっと将来自分は成長するんだと言われても、結局すべては引きこもりのサブタイプにすぎなかったのだから、そんなに気にすることはなかった。ずっと引け目に感じていた。言い返せないことが、思えばずっとつらかった。こんなに抑圧されていたのか、と驚くくらいに気持ちが楽になった。



言うまでもないことだが、旅が引きこもりの一形態ではぜんぜんないという人も世の中にはいる。しかし、『ぱらのま』の主人公が語っていたように、「旅先で自分が透明になる感覚」こそがリアルである人もいる。このことを、私はおそらく一生出会うこともないし出会いたくもないどこかの引きこもり仲間のために、書いて置いておかないといけない。



出張のときに小さなプロペラ飛行機に乗ることがある。ジャンボジェットとは異なり陸橋で直接飛行機にウォークインできるわけでは必ずしもなく、便によっては空港ビルを出てしばらく外を歩いて飛行機に乗り込まないといけない。屋外では地上職員たちがにこやかに案内をしながら、しかし油断のない目つきで、広げた両手を無意識に誇示しつつ、「もしこの客が発狂して滑走路のほうに走っていったらタックルして止めないといけない」と内心考えていることだろう。彼らの監視の目をかいくぐりながら視線をだだっぴろい滑走路のむこうに移すと青みがかった山が浮かんでいて、途中の市街地がなぜ見えないのか、いつも不思議な気持ちになる。滑走路は少し高床気味になっているのだろうか。そういうときにモンゴルの空港のことを思い出す。

これまで私は都合3回……だったと思う……4回だったかもしれないが……たぶん3回……モンゴルを訪れた。そのすべては仕事であった。基本的にホテルから出ることはない。現地の医師たちがトヨタのランドクルーザーでホテルの前に乗り付けて、モンゴルの伝統的な風景を見せてやると言って片道4時間かけてゲルの点在する草原まで連れて行ってくれたことがあるのと、大阪在住の医師と一緒にやたらと出てくるのが遅い肉料理を食った記憶はあるが、これらは例外的で、私はとにかく屋内にいて仕事をしていた。現地の医師たちの前で講演をし、病理診断に関する疑問に答え、みんなの前で顕微鏡を見て組織所見の解説をした。



私はかつてこれを「旅」だと思っていたが、やっぱりこれも引きこもりの一形態であったと言われれば全くその通りなのだ。



沢木耕太郎の深夜特急をはじめて読んだのは20歳のころである。おもしろいなとは思ったけれど、結局20代の後半までまとまった旅をした記憶はない。せいぜい剣道部で東日本のあちこちに遠征をした程度だ。今振り返ってみれば、この部活の遠征も、エクスキューズ的に観光やら食事やらをクローズアップして「旅をした」とうそぶいてはいたものの、たぶんやっぱり「引きこもる場所が移動しているだけ」だったのではないかと今なら思える。そこには部員がいたのだから一人旅ではなかったわけだが、そんなことは関係なかった。誰と一緒にいても私は常に移動しながら引きこもっていた。

そして私はいつも心のどこかで「旅こそが人生なのだ」と言えるタイプの人間にあこがれと圧迫感とを同時に覚えていた。毎週水曜日の深夜に水曜どうでしょうをおもしろく見ていたけれど、そのグッズの中に大泉洋のセリフである「何が起こるかわからないから旅なんだ」という文言が書かれているのを見て、それはちょっとわからないなと違和感を覚えたことを昨日のように思い出す。

私はずっと引きこもってきた。モンゴルの記憶は今はもうおぼろで、思い出すのはチンギスハーン国際空港のロビーの風景ばかりだ。やはりモンゴルは広く、滑走路の向こうには砂漠しか見えないと、写真すら撮らずにぼうっと見ていたあのときの気持ちが、最近なぜか出張のときにプロペラ機に搭乗するまでの数分に鮮明に思い出されるようになった。そのたび、「丘珠空港もたいして変わらないじゃないか」と、なぜかすごく悲しい気持ちになるのだ。


旅が人を変えると公言している人たちはいつ本当の意味で変わるのだろう。旅なんかしなくても人は変わる。旅によって変わるのは旅先で商売をしている人たちの幸福だ。それはとてもいいことだから、人助けと思ってどんどん旅をすればいい。しかし、「旅によって私は変わるのだ」という自分が昔から何も変わっていないことにも自覚的であったほうがよいのではないかと感じることはある。「旅が好きだと言う自分」に引きこもっているという自覚はないのかと問いただしたくなることは確かにあるのだ。そして私は引きこもりだから人と会話したくないので、目の前で旅の良さをとうとうと語られるときはいつもニコニコそれを聞いているのである。

グロテスクな病理診断と時おくれの病理診断

中井久夫『最終講義 分裂病私見』(みすず書房)138ページより引用。




”微分回路と積分回路の特性を初めて知ったのは一九九七年に物故された佐貫亦男(東大・日大航空工学教授)の航空計器について書かれたものによってであったと記憶する。飛行機の速度を測るピトー管などは微分回路で解析するわけである。

(中略)

私は一読して、分裂病親和者の行動特性と微分回路と、うつ病親和者の行動特性と積分回路とがそれぞれ実に似ているのに強烈な印象を受けた。微分回路の先取り性、きめこまかな変化を認知するが、無理に増幅するとグロテスクになる不安定性など、一つ一つが危機の時の分裂病親和者その人の行動特性をみるような思いである。リアルタイム(t=0)での絶対予測を求めると潰乱するといえのも、発病の直接契機そのものではないかと思った。

(中略)

積分回路のほうは、新しいものは過去の厖大な累積の中に消え失せるわけで、テレンバッハのいう「インクルーデンツ」(同一状況の中に包まれてある時安定する)と「レマネンツ」(つねに時おくれ)とをよく表していないであろうか。”




中井久夫(精神科医、元・神戸大学教授)にはこういうエグさがある。彼は精神科医であるが、物理学や応用数学、文化人類学、社会学などにおける思考特性を敷衍して精神領域の診療に取り入れるようなことをするのでゾクリとする。


「分裂病親和者」と「うつ病親和者」がどう違うかというのは、彼に限らず精神科医たちの注目の的であるが、これらの行動特性が「微分的」か「積分的」かという印象で語り分けられるくだりには有無を言わさぬ迫力がある。




中井久夫は、このページに提示された(最終講義の)資料で、微分回路と積分回路とをこのように区別している。




微分回路:


先取り。予測。きめこまかな変化を反映。ゲイン小。無理に拡大するとグロテスク。不安定。t=0における精密な予測を求めるとノイズを意味あるものとして拾って混乱。過去のデータを必要としない。(系統発生的先行性、個体発生的先行性が可能。)出力として使うと急速に衰弱。失調はいわば「アンテナの病い」というべきか。




積分回路:


時遅れ。照合。雑音聴取。ゲイン大。拡大に耐える。おおまか。安定性大。ノイズ吸収力が大で、それ自体がノイズを吸収するフィルターとして使われる。過去のデータの蓄積、依存。強大な出力源を長期にわたって維持。失調は、いわば「コンデンサーの病い」というべきか。




ぼくはこれらの仕分けをみながらぼんやりと、「顕微鏡的な病理診断」と、「肉眼解剖的な病理診断」とがこれらの分類にもあてはまるだろうか、ということを考える。




組織を顕微鏡で拡大するという行為は文字通り微分的である……場合がある。ぜんぶではない。細胞同士がおりなす形態を見ているときにはあまり微分をかけている感覚はない。しかし、細胞の核の形態に着目しているときはやはりこれは微分なのだろうなと感じることが多い。免疫組織化学でKi-67やp53の核内タンパク発現量を半定量的に判断しているときにも言えることだ。患者の中でこの病気がこれからどうなるかという未来予測をするためにやっていることとしてはあまりに繊細であり、ある意味グロテスクでもある。細胞病理学を果たそうとするときの私はおそらくアンテナになっている。何を感じ取るかという世界の話だ。ホルマリン固定によって時間が止められた世界における精密すぎる予測は、ときにノイズを意味あるものと考えすぎてしまい、大きく結果からずれてしまったりもするだろう。




解剖病理学は積分的である。人体各所の正常や異常が、その患者の人生と共に積算した結果そこにあるのが生命の残骸すなわち死体であるし、個体すべてが死んでいなくても、手術によって摘出された臓器の生涯は心血管系から切り離された時点で経験の蓄積を終了しているわけで、そこに見えてくる「マクロ像」はまさに積分的である。マクロは病態を完全に反映するし、分類は比較的容易で安定性があり、かつ、常に「手遅れ」である。




病理学者はいつだって遅すぎると言われたのは解剖病理学全盛時代のことだ。生検診断や遺伝子診断が優勢となった今、病理診断はむしろあらゆる検査を上回る推測能力を持つ。しかしそれはあくまで微分回路的な病理診断によるものであって、積分回路を用いた病理診断は昔も今もかわらずレマネンツでありインクルーデンツである。ポスト・フェストゥム的でもあるかもしれない。




中井久夫の最終講義は、精神医学にくらい私のような人間にもある種の光をもたらす。このように「しくみ」や「回路」を隠喩ゴリゴリで語ることには、現場の事象から遠ざかってしまう危険性を感じないわけではないが、当の中井久夫が抽象の人ではなく事象の人であることをしっかりとわかっていれば、私たちは概念に遊びすぎずにまた臨床の振動の中に身を置き続けることができるだろう。私たちはこの技術と精神をもっていったい何をどのように開こうとしているのか。私はこの先何にどこまで名前を与えてどこにどれほど分け入ってゆくつもりなのか。名づけ、分類に対して常に批評的な距離を保った先人たちの言葉に学ぶことは多い。

時限的鏡

「一度〇〇で食べちゃうとほかでは食えないよ」というフレーズを安易に使ってはならない。だらしないから、とか、恥ずかしいから、とか、大人げないから、ではない。ケンカがはじまるからだ。◯◯には都心の高級店、老舗の懐石、海外のミシュランレストラン、北海道の漁港など、津々浦々の多彩なパターンが当てはまる。決して自分だけがマウントをとって終わることはない。たとえばあなたが「一度ドコソコ本店で北京ダック食べちゃうとほかでは食えないよ」などと言おうものなら、すかさずマウント順番待ち整理券10番台~20番台の方々がむらがってきて、「わかります~私もナンチャラドカンチャラでブッフブルブルブルギニョン食べたら日本のフレンチがバカバカしくってシルブプレ~」とか「わかるどすわかるどす~うちも京以外の豆腐はすっかりご無沙汰でたまには食べ比べてみないとだめおすえなはれ~」とか「わかるべや~オラも知床で海鮮丼食べたときにはやっぱり内地とは鮮度が違うべやって思ったっけしたっけだべや~」のようなご当地マウント大集合になってしまう。無益だ。ところでマウントとマウンテンの違いはなんなのか? 昔、山脈のことを「マウントズ」と言った同級生がいたが元気にしているだろうか。

デスクにアポ無しでやってきた機器メーカーの営業がマウントをとらないと会話ができないタイプであった。聞けば別の用事で札幌くんだりまで来て、せっかくなので市中病院の病理の主任部長にも顔見せしておくか、くらいの気分で地域担当者に連れられてやってきただけだというからモチベが低いのだ。田舎の病院の部長だか医長だか知らないがこれまで会ってきた業界の大物と比べると適当な扱いでいいだろうというムードがすごい。名刺をわたす段階から「まあ一度お目にかかったことはあるかと思うのですが」とか言うのだが覚えていないので申し訳ない気分になる、しかし、その「申し訳ない」という気持ちを配備するところから会話をはじめること自体、マウントを取る気持ちが100%、マウント満点、マウンテンなのである。ぼくはこういう立場に置かれるのが嫌いではないというか、むしろ若干好きなところがあるので、終始ほくほくしながら、願ったり叶ったりの低姿勢で、うちの病院はだめなんですよ、おたくの機器を入れるほどのお金がないんですよ、うちの本部もだめなんですよ、IoT全般に弱くて、北海道厚生農業協同組合全体がだめなんですよ、できればこんな場末の検査室ではなくて、農協本部に直接営業をかけてくださいねえ! と伝えたところ、引きつった顔ではいともいいえとも言わずにけいれんしていた。医師として心配になった。無事に東京まで帰れればいいなと思う。

上下、遠近、都会と地方、高いスーツとユニクロ。相手との関係性の中で自分の輪郭を定めていく作業はひとえに、「人は誰もが自分の顔を直接自分で見ることができない」という眼球の構造的問題にあると思っている。たとえばカニを見ろ。カニの目は飛び出ているから、おそらく自分の姿を自分で観察することができる。だからカニはマウントなんてとらない。カタツムリを見ろ。カタツムリもきっと自分のアゴ(どこ?)とか自分の耳(どこ?)とかを飛び出た目から観察することが……あれ、カタツムリの飛び出たあれって目であってる? ツノ? ともあれ、人の目は飛び出ていないから、自分を見るためには鏡を見なければいけない。そして鏡がないところでは人を鏡として用いるのである。誰かに反射した自分の姿を見ながら外面と内面の身繕いをするのだ。映り方は互いの立ち位置によって変わる。自分が上の方にいて相手を見下していれば、相手はレフ板のようになって自分を照らし、まるで女優ライトをあてられたスタジオの芸能人のように美肌効果が出る。自分をよりよいかたちで見たければ、相手に自分を下から照らしてもらうことで、インスタ映えが近づく。そのためのマウンテンだ。

話はまるで変わるのだがこういうブログとかあるいは日記というのは自分を照らすものをあらかじめ置いておきあとで除きに行く、「時限的鏡」のようなものだなと思うことがある。設置したっきりそこにあることを忘れてはるか遠くで遊んでいたりすることが多いから、たいていのブログなんてものは書いたら書きっぱなしなのだけれど、たまに、ふとしたタイミングで、昔自分が書いたものに再開し、「うわっこのときの俺、こんな文章になんの気持ちをこめてるんだろう、なんの気持ちを隠しているつもりでこう書いているんだろう、なにが滲んでいることにも気づかずに何を書き散らしているんだろう」などと、夜中にひとりで代わり映えのしない鏡の中の自分を見るのとは一段も二段も異なる、独特の後悔と気恥ずかしさと、あとなぜかはわからないのだが、いじらしさのようなものを勝手に受け取ってしまうのである。

虎徹の魂

先日とあるチェーンのラーメン屋にはじめておとずれた。味噌ラーメンはぼくの好きなちょっとだけちぢれたタイプの細麺で歯ごたえがあるが粉っぽさが一切なくて噛み締めた感じも喉越しも最高である。ネギやもやしなどをきざんだのがたくさん入っていて、見た目にも楽しいし、実際隣の席の大学生は食べる前にきちんと丼正面視(どんぶりしょうめんし)の写真を撮ってインスタにアップしている。チャーシューの上にはすりおろしたしょうがが乗っていて途中で味変に使えるし顔をどんぶりに近づけた時の風味のアクセントにもなっていてじつにすばらしい。スープはしっかり濃厚だがしつこいとかべたつくといった印象はなく、上手に油を使っているからいつまでもあったかいし舌触りは複雑だ。味噌ベースのスパイスの香りも鮮やか、歯ごたえ、舌触り、次から次へと箸を進めるたびに違う具と出会える喜び、何をとってもいい感じでとってもおいしかった。

ちなみにその店はラーメンはもちろんだがじつはザンギが名物で、道端の看板には「むしろザンギ。」と書いてあるくらいであり、看板だけを見るとむしろちょっと鼻につくなあ、なんてひそかに思っていたけれども、実際このザンギを頼んでみるとサイズがとてもでかくて普通のザンギの3倍くらいあって笑ってしまったし、一口噛んでみるとクリスピーさといい味の奥行きといい「ケンタッキーの作った新作の限定ザンギ」と言いふらしても誰も疑わないだろうというレベルでこれがまたラーメンに輪をかけてすばらしかったのである。飲食店を褒めるのにほかの飲食店を引き合いに出すのはルール違反かもしれないけれど、揚げ物に対して「ケンタッキーで新商品にしててもおかしくない」というのはかなり上級の褒め言葉だと思うので許してほしい。

ごちそうさま。いい体験だった。ぼくは結局こういうのが好きなんだ。焼き鳥とかさ。

この店には今もなんの不満もない。駐車場もでかめで中は広く、家族連れで賑わっておりトラックの若い運ちゃんなども足繁く通うし近所のじいさんばあさんも楽しそうに飯を食っている。壁際にはエイトアイズや今日から俺は!などのなつかしいマンガがGTOとかNARUTOのようななつかしいマンガと一緒に並んでいてポイント高い。今後も通うだろう。今まで行かなかったのがもったいないと思った。北海道内には18店舗もあるらしい。人気なわけもうなずける。

しかし、今日の話は残念ながら、もっぱらぼくの都合で悲しい展開を見せる。

ぼくはもはや油ものを受け付けない体になっていたのである。


夜中に腹痛で目が覚めた。子供だったら慌ててトイレに駆け込むところだが、ぼくはもういい年なので、冷静に自分の体調を判断しながらしばらくふとんの上でじっとしていてすんでのところでトイレにヨガテレポートした。しかし出そうと思っても何も出ない、これは純粋な腹痛なのである。このあたりで思い出したがよく考えるとぼくは運転免許のほかに医師免許も持っているではないか。今こうして痛みをまきおこしているのがどの部位か、超音波装置など使わずともみずから推測することができる国家資格なのだ。普段ぜんぜん使わないけどここぞとばかりに発動である。瞬時の診断――小腸ならびに大腸全域のけいれん。お美事。医学部6年+大学院4年+臨床生活17年の末に、ぼくは自分の腹痛を正しく診断できたのだ。感無量である。しかしまあわかったところで対処法はないのだ。我が腸はなにかにやられている。寝ぼけまなこをこすりつつ思い出したのはもちろん昼間のラーメンだ。ただし、感染性腸炎、すなわち食あたりではないなとすぐに判断した。これはなんというか、専門的な知識を使わないと解説できないというか、いちブログに書ききれる分量の情報ではないものを使ってそう判断したわけだが、今日は特別にがんばって説明してみよう。

”勘”

つまり別に根拠はないのだがノロウイルスであるとかロタウイルスであるとかノートンアンチウイルスなどといったたぐいのものではなくてなんか刺激物でけいれんしているだけなんだな、ってことをしみじみと考えた。完全に経験則であり医学の知識は1ページも使っていないが結果的にたぶん合っていた。医師免許なんていらないんですよ。

ぼくの腸は語りかけてくる。「お前もうその年でスープ全部飲んだらだめなんだよ」。うるせえな全部飲んでないだろ。半分くらいだ。しかしぼくは夜中にけいれんする腸を落ち着かせるために子守唄を歌いながら思った。間違いない、これは中年あるあるのやつだ、油に弱くなっている――



高齢者がケガなどで長期の寝たきりを余儀なくされると、たとえそれまで歩けていた人であっても急速に足の筋肉が弱って歩けなくなってしまう、という話を聞く。これは年をとった人に限った話ではない。人間というのは多かれ少なかれ、「毎日の反復」によって維持している筋肉やら体のバランスやらがある。折に触れて実感する。「半年くらいにわたりがっつりとした油ものを食べる機会がなかったばっかりに、それまでは食べられていた分量であっても腸が堪えきれなかった」のだろう。老化というのはなだらかに訪れるのではなく、ときにこのように、「うっかり継続を途絶えさせたために、気づいたら階段を転げ落ちるように弱っている」ということがあると思う。同じようなことはいろいろな領域にあてはめることができるだろう。きっと今のぼくは竹刀を振れないだろうし、カラオケでも声が裏返るだろうし、自転車に乗るのも危険なのではないかという予感がある。毎日バカスカキータッチをしているから今はPC作業が苦にならないけれど、たとえば新しいデバイスを手に入れてうっかりそれにひたって、半年くらいPCを触らなかったりしたらたぶんその先のぼくはブラインドタッチができなくなっているのではないかと思うのだ。


雀百まで踊り忘れず、という。普段から踊りまくっていればきっとそうなのだろう。三つ子の魂百までとも言うが、虎徹のラーメン四十五までであったから慣用句もあてにならない。あるいはこれから毎週ラーメン食えば腸は慣れてくるかもしれないが、それやったらきっと太るしコレステロール上がるし血圧も心配なんだよな。

柔軟でありながら堅固でもある

職場のデュアルモニタをPCに向かって右側に装着したのは単なる偶然、というかデスクの配置の都合であった。しかし、これがよかった。

ぼくの頸椎症は、今、花盛りだ。左上を向けばびりびり、背中をまるめて前を向けばびりびり、ふとんの中で左を向いて寝てもびりびり、右を向いても運が悪いとびりびり、美容室で髪を洗ってもらうときに仰向けになってシートが倒れるとびりびり、とにかく、ちょっとした首の角度の違いで左手の橈骨神経領域がしびれまくる。しかし右前方のデュアルモニタにZoom画面を投影してメインモニタにメールソフトを開いて会議中に両者をちらちら交互に眺めてもまったくしびれない。ぼくが今、安心して首を動かすことができる条件が、偶然のデュアルモニタによってはからずも明らかになった。

1.背筋を真っ直ぐにのばす。

2.あごを突き出さずに右を見る。

このムーブセットでは絶対にしびれない。いくら働いても大丈夫だということだ。仕事のせいで頸椎症になったという言い訳は通用しない。うまくできている。むしろうまくできていないのでは、とちらっと思ったけれど、こういうのはポジティブに考えたほうがいい。

似たようなエピソードを持っている人ってどれくらいいるのかな。

偶然に規定された角度のおかげで命拾いした、みたいな話。

ちんちんが右曲がりだったおかげで股間を何かで強打しても偶然タマに当たらなくて済んだ、みたいなこと。

違うだろうか。

いや、違わない。

ぼくはたまたま頸髄と頸椎との位置関係が左右で微妙にずれていた、だからこそ、前と右を向いてたまたま仕事を続けることができた、という話と論理構造はいっしょであろう。たまたま。


急に下ネタが入ったからびっくりした、と知らない人には言われそうだが、構造の話をするにあたって解剖学的に可動域の自由性が大きな部位を(首のほかに)選ぶとしたらそりゃあ陰茎がしっくりくるに決まっている。書いてみるとふざけているように感じられるかもしれないけれどこちらはおおまじめだ。「おおまじめ」と言いながら人を笑わせるようなバカリズム的やり方ではなく本当にまじめに人体の構造がもたらす「偶然の生き残り」に関して今は考えている。

そもそも人間の体が発生の間に片方にねじまがっていること、それがほとんどの人でおなじようにねじまがっていることを考えてみる。心臓の軸は微妙に右に倒れており、大腸は右から左へと食べ物を輸送し、肝臓も脾臓も左右非対称に配置されていて、これらの位置関係がほとんどの人で一緒だというのだからふしぎだ。なぜある人は肝臓がやや右前気味にあり、また他の人は肝臓が左下にある、みたいな差が生じないのか。どうして単なる受精卵の分割からいつのまにか臓器の左右差が再現されるのか。よく考えると腎臓も副腎も精巣も左右で微妙に高さが違うし、肺は左右で分割の度合いが違うのに、骨と皮がくっついて筋肉をまとうと誰もがそれなりにきれいに左右対称になって見える人体のふしぎ。そんな中でなぜか陰茎だけはたいていの人が右に左に微弱にねじまがっていて、ぼくの頸髄はなぜか左右差をもって痛めつけられている。左右差があっていい部分とあっては困る部分、イチ、ニ、イチ、ニ、左右均等に足を出さなければ人間はまっすぐ歩けないし、両方の目の高さがちょっとでも違ったら立体視に支障をきたすだろうし、口の中の均等性がやぶれたらきっとほっぺたの裏側を噛んでしまうだろう。こういうところものすごくちゃんとコントロールされている。なのにつむじは適当だし分け目も好き勝手、そしてちんちんはねじまがっていてぼくの頸椎は偏って出っ張っていて左手だけをしびれさせるのだ。

人間の体の中には、ものすごくストリクトに、あそびのない状態でしっかりきっちりと設計されている部分と、逆に自由度を高く設定しておいて後天的にどうにでもなるように設計されている部分がある。すべてが進化の為せる技と言ってしまうと味気ない。これだけの幅の狭さと広さが両方とも進化の過程でうまく落ち着くくらいにはDNAシステムがフレキシブルでありロバストであったという事実に感服する。しかしまあこんな感想もまた味気ないというかありきたりであろう。乳首が男性にもあるのは人体の基本形が女性だからで、Y染色体由来のタンパク質を用いて大陰唇を陰嚢に、陰核を陰茎に変え、ウォルフ管とミュラー管のどちらかを育てればどちらかが消退するようなシステムをきちんと用意した結果が今の「ゆらぎあり、確固たる、人類」なのだと思うと恐れ入るけれどこれは散々言われてきたことだしぼくもかつて書いたことがある。射精管を常時硬度の高い状態にしなかった理由だってきっと選択圧との相性的に何かいいことがあったはずなのだ、それはきっと、ぼくがタマタマ、デュアルモニタの右を見て仕事をし続けられるような体で生まれたおかげでいまこうして無限に仕事をさせられてしまっていることと、無関係ではないはずなのである。

ジャングルの本にも編集方針がある

メールがオオカミ少年だよ、と言ったらモーグリ? と言われたが、ファイナルファンタジーとは無関係のモーグリを知っている人が今世紀にどれだけ生き残っているのかさだかではない。

「メールがオオカミ少年」というのは、メールがじゃんじゃんぼくを呼びつけにくるが、その9割以上が「スカ」である状態をさす。

いま、ぼくのもとにメールの多くがMDPI社の論文投稿斡旋クソメールである。タイトルを見て捨てることが日課になっているからそういう感想にもなる。でも、たまに本物の「あなたの投稿論文を査読しました」みたいなメールが紛れ込んでいて、英語のメール全部をむげにもできないから困る。実際にオオカミがやってきたときにも相手にしないとあとで痛い目に遭う。

クソメール。「今度、われわれの雑誌では特集号を組んだんだ! 今なら掲載料は格安だよ! さあ、あなたの見識をレビューにして投稿してくれよ! 急いで!」みたいなメール。本当にじゃんじゃんくる。毎日すごい量だ。ブロックしてもきりがない。

これは別にぼくが優秀な研究者として認められたから来るわけではないというのがまた残念なところだ。

要は、「当選しました!系サギ」と五十歩百歩のことをやられている。ラッキーだね、と書いてあるが、なんのことはない、過去にかかわったことがある人全員にラッキーをばらまいている。

MDPI社をはじめとする一部の生命科学系出版社は、特集号という名前でオンライン限定の雑誌を増産し、レビュー、すなわちたとえるならば「まとめサイト」みたいな論文を多数掲載する。レビューはアクセスが稼げるので、インパクトファクターという、その雑誌がどれだけ他の人に参照されたかという値も高くなりがちだ。インパクトファクターが高くなれば雑誌の格は上がる。

しかし、レビュー=まとめサイトばかり増えても科学は前に進まない。新規性のある学術研究を発表する「アーティクル(記事)」が増えなければ科学は発展しない。MDPIはアーティクルを載せる雑誌をあまり真剣に作らないでレビューの特集号ばかり乱発している。そこが気に食わない。商売っ気が強すぎると感じる。

グレーなことをやっている、だめというわけではないがいまいちな会社、それが今のぼくの立場から見るMDPI社の姿だ。

ぼくが昔、ある病理AI関連企業といっしょに論文を作ったときに、うっかりMDPIの雑誌に投稿され(そういうのはやめてくれと言ったことがきっかけでぼくとその企業とは疎遠になった)、それ以来、MDPIの投稿しろしろメールが来るようになったのである。まったく迷惑なことだ。

ただし、医師・医療系研究者にとってMDPIはハゲタカぎりぎりの版元だけれど、一部の数学系・理工系エンジニアにとって、MDPIというのはいい版元なのだろうということを今ではちょっとは理解できる。AIの研究では学術的な新規性をきっちり時間をかけて査読するような旧来の科学雑誌ではスピード感が合わない。ちょっとでもプログラマーの仕事が前にすすんだらすぐに自分たちの優位性を世界に向かって発信する必要があり、それはもう特許取得合戦のような気持ちで、arΧiv(プレプリントサーバー)にPDFを瞬間的に載せつつ、MDPIのゆるゆる査読システムでかたちだけでも論文にしておくという流れは一定の意味を持っている。郷に入っては郷に従え、AI研究をするならMDPIも駆使すべきだったのだろうと今ならわかる。わかるがぼくは感覚的にそれが許せなくてたもとを分かってしまった。結果的にぼくの手元に残ったのは一度の過ちによるMDPIからの膨大な量のクソメールのみだ。

毎日メールを削除するたびに、きっとあのAI企業はいずれ大きくなるのだろうなという予感が脳裏をよぎる。ぼくはかつてその企業に、ある待遇でお金を払われる可能性があったのだが、ぼくのほうから「そういうのはやめてくれ、あくまで共同研究の立場で、金銭のやりとりがない状態で、ぼくの研究に対する興味が続く限りで付き合いをつづけてくれ」と言ったら快く応じてくれた。ああいう分かれ道で「一緒にはたらくなら社外取締役にしてもらっていくばくかの研究資金をこちらにも回してもらえれば私も全力で御社の力になりますよ」と、鼻毛を全部吹き飛ばすくらいに鼻息荒く言い切っていれば今のぼくは何か違ったものになっていた可能性はある。そんなぼくこそくそくらえである。

はーんそういうことね完全に理解した

「みんなタイムラインの流れにあわせてリアクションするばかりだ、自分の中から湧き出たものをアクションする人がいないとSNSはつまんないよ」という話をしたら、「今のその話だって、どうせSNSを見て思いついたことなんでしょ?」と返されてぐうの音も出なかった。まあそうだ。我々の行動の9割9分は応答である。環世界によって能力も欲動も規定される。それでもぼくは、言い訳含みでいいから、「自発」する人の姿を見ていたかった。「本当のところを言うとあれとこれとに思い切り影響を受けていますが、それには目をつぶっていただくとして、ぼくの中で長いことコトコト煮込んだ話を提供しますのでおいしく召し上がってください」というたぐいの話を、毎日飽きるほど読みたかった。人びとの内側から出てくるとびきりのエキスが惜しみなく注がれる極上のスープ的なSNSを、もっと見ていたかった。

そしてそんなものはたぶん、実はこれまでもなかったし、これからもない。昔はよかったとも思わないし今後よくなるとも思わない。掃き溜めに鶴はいないし枯れ木で山は賑わわない。すでに滅びた世界でブーブーぐちを言いながらすったんばったんがんばり続けていく姿でしか世間は構成されず、SNSは昔からずっとそういう場所だったのだと思う。

かつて、「新しいものはきっとどんどん良くなっていくはずだ」という、根拠の薄い興奮、わくわくとする高まり、状態がプラトーに達するまでの不安定さ、舗装されていない坂道を駆け上がっていくときに足裏から感じる振動、けもの道を突き抜けていくときの擦り傷、摩擦熱、倦怠感を両肩にかついだままそれでも心拍が高まっていくようなあの、「浮かされていた」感覚を、たしかにぼくらは味わっていた。目をつぶって楽しそうにジャンプを繰り返していたあのころ、SNSに夢を見ていた。

世の1割くらいの人しか夢は見ていなかったと揶揄ぎみに言われることもある。1割も同じ夢を見ていたのか。そんなことが今後ありえるのだろうか。


どうせ人びとがリアクションしかできないのならば、「いいリアクション」を増やそうぜ、というムーブメントが一時期流行ったことを思い出す。今も流行っている、と見ることもできるが、一時期に比べると少し勢いが落ちてきただろう。何の話かというとこれは「推し」の話である。

推しの活動というのはリアクションだ。二次創作も含めてあくまで「受け止めて、何かを返す」というものである。自発的なアクションとはちょっと違う。でもまあ、推しの話がTLに増えていくことはいいことなんじゃないか、と今のぼくも相変わらず感じる。どうしたってみんなリアクションしかできないというならば、せめて、自分の気持ちが確かにポジティブになったよという証を応答すればよい。そのような考え方が「推し活を推す」という流れに繋がったのだ。

今にして思うと、「TLを推しで満たそう」と叫んでいた人たちもまた、みんなSNSに疲れて泣き始めていた人たちばかりだったのではないか。

「推し活」がTLで存在感を出し始めるにつれて、J-POPの新曲はとにかくアニメの主題歌にしておくというムーブメントが急速に広がった。「推し」だけがTLでポジティブな求心力を持つならば商品を売るにあたってそこに絡まない手はない。アニメに関連のあるキーワードが一文字でも入っていればオタクはまるで「推しのパーソナルカラーを身に着けたひそやかな同志」のように感じてその歌をもろとも推しはじめる。結果として、全体的に、「白け」が広がりはじめていると思う。今のJ-POPの売り方はトレンドワードをランダムにちりばめたスパムアカウントと同じ、とまで言うと乱暴だけど、京急と都営浅草線くらいには路線が共通している。






ラフカディオ・ハーン/小泉八雲について、その大きな日本愛にとどまらず、生い立ちからアメリカでの記者時代、メンフィスでのクレオール語との出会い、エキゾティズムへの関心などをつぶさに描いた、宇野邦一『ハーンと八雲』という本を読んだ。この中に、ハーンのニューオリンズへの視線をこのように記した場所がある。少し長いが引用する。

“湿地帯のうえにあり、ゼロメートル以下の地域が拡がるニューオリンズでは、死者を地下に葬ることは不可能で、地上に立てた「乾いた墓」に葬るしかない。いわば、生者は地上に、死者は地下にという分割がなりたたないのである。すでに廃墟となった数々の古い館と、この墓所の構造は、ますますゴーストタウンの印象を強める。街全体に刻まれた古代世界を思わせる壮麗な装飾さえも、ハーンにはとりわけ死の記号に見えるのである。「富と不思議な異国風の美は、復活もおぼつかないほど壊滅してしまった貴族の手によって作られ、いまや死に絶えて過去のものとなってしまった社会体制によって育まれてきた。その富が消え去ったように、その美すら消えていく運命にある。年月が経つにつれて、かつてのおおらかな生命は狭い血管へと凝縮してしまい、ついにはその商業の大動脈を除いて鼓動を止めてしまうに違いない。すでにその美は薄れ、崩壊しつつある。」こういうハーンの文章は、じつは大きな問題を内包している。死につつあるニューオリンズの栄華と美は、いまや廃棄されてしまいつつある「社会体制」とともにあった。その美を讃えることは、その「社会体制」を讃えることにつながる。ハーンの周囲で、いまそこで生きている民衆たちは、そのような「社会体制」の持続をのぞまなかったのだ。もちろんハーン自身は、貴族主義者でもなければ封建主義者でもない。しかし、貴族が存在し、奴隷もまた存在したアメリカとカリブ海の島を「失われた楽園」のように改装し、物語るハーンが確かにいる。ハーンは同じ問題と同じ状況に、やがて日本でも遭遇することになるだろう。”


SNSから、ハーンがニューオリンズから感じたであろうそれと同じにおいがする。陽と陰、生と死が混沌として、本来分節されるはずのものたちが、誤解と恣意のもとに誤命名されつづける場所。過去の差別的構造がさまざまな問題を含みながら構築した「今は建てるべきではない伽藍」のおもかげ、栄華のよすがを懐かしみながら、大義としてそこから出ていこうと試みる、しかしいつまでも敷地を出られずにさまよっている、戸籍を失った住人たちの独白。魂が痩せ、目だけがしたたかに生の充実を追い求めるぼくらはポストアポカリプス的SNSの生霊的住人なのである。

もう誰もノマドって言わなくなった

病理医は在宅だと仕事がしづらいな、ということを最近よく考えている。

仮にこの先、5Gどころか6G、7G、20Gくらいになって回線速度が爆速になったとして、あらゆるプレパラートがバーチャルスライドになってクラウドに取り込まれたとして、それで診療がオンラインだけで完結すると思ったら大間違いだ。

50万人に1人しか出会わないような珍しい病気を調べるのに紙の教科書を紐解こうと思うとき、職場にいなければ資料の9割が閲覧できない。それが不便だ。「うちの病理では資料はすべてオンラインで手に入るので問題ありません」。それはあなたの部門だからだ。専門としての臓器を2,3個しか相手にしていない特化型の病理学教室ならば可能かもしれない。オンラインで最新の診断基準や典型画像がぜんぶ学べる科だけを相手にしていることをラッキーに思えばいい。

しかし市中病院で雑多な臓器を相手にするとオンライン礼賛ばかりもしていられない。消化管の非腫瘍性疾患のあれこれがオンラインでカヴァーできると思ったら大間違いだ。紙の教科書を複数同時にひっくり返して視界におさめ、目線をうろちょろさせながらひらめきが降りてくるのを待つ作業をたかだか3個の外付けモニタでやろうと思っても狭っ苦しくてしょうがない。

「A病か否か」はインターネットで検索できる。「A病の特徴」だってたくさん手に入る。しかしA病かB病かという選択肢がそもそも思い浮かばない「無」から診断を構築するにあたって、検索で道を選び取ることはむずかしい。

AI? 病理医ほどプログラマーに近い職業もないはずだが? 病理AI事業が絵合わせ以上のことを一切出してこないんだけど? あれ、いつまで待ってればいいの? ドラえもんの話してる?


「紙の教科書なんてすべて断裁してクラウドにぶちこめば家でも読めるでしょ」という人がいるので驚く。神田の古本屋をぜんぶデジタルアーカイブにする、というのと発想がいっしょ。いずれはやるでしょ、だって人類の叡智を大切に保存しなきゃ、みたいな話はいったん脇においてほしい。たぶんそういうこと、人類はずっとやらないと思う。国立国会図書館がやってるでしょ、という話ではない。公費で購入した教科書を職員全員が供覧できるような権利システムを構築しないといけない。骨董品じゃなくて実用品なのであり、使えなければ意味がない。ちなみにWHOの初版本のような今では手に入らない希少本の背表紙を切らずに電子化するスキャナ、あったら便利だろうけど、いくらくらいするの? サーバーの保守管理料金は? 追加で病理医ふたり雇えるほどの金がかかるだろう。

出勤する手間は、「いざ出勤してしまうだけで、あとは膨大な手間がかからなくなる」ということと天秤にかける必要がある。出勤しなくて便利だねー、家でたいていのことができるから便利だねー、じゃないのだ。「あっ、今日職場にいれば、あの本が読めたのに」を逸失することがおそろしい。IoachimのLymph node pathologyになんて書いてたっけ、Katzensteinのnon-neoplastic lung diseaseの言い回しを一応見ておくか、成書に数秒視線をやる仕草、今まさにまなざそうと感じる刹那、「あー家にいるから無理だ、でも、まあいいかー」が起こることで失われる摩擦熱エネルギー。

「たくさんの本を同時に並べながら診断を考える」という作業は、1年に1度あるかないかだ。1冊の本だけをじっくり読み込んで診断を考えるにしても、1ヶ月に1度くらいだろうか。その程度の頻度でしか起こらないイベントのために、毎日出勤する必要があるか、と言われると、ない、と言ってしまいたくもなる。でもそこで、「まあいいか」で失ってしまうものがある。「まあいいか」が月に1度だったとして、20年続けば240回だ。その240回、もし出勤していたら、はぐれメタルとまでは言わないが、メタルスライムを一匹倒したくらいの経験値が手に入ったはずなのだ。それを取り逃すということ。ドラクエIIIでは、メタルスライムを一度も倒さずにバラモス戦に挑むと推奨レベルより2,3くらい低い状態になる。「あれー? なんかレベル足りないなー」。冒険の最中で、ある程度の「メタルスライム狩り」が望ましい。それがスムースな攻略の鍵なのだ。結構いい年の病理医なのにわりとポピュラーな診断の落とし穴にずっぽりはまっている話を(それこそネットで)目にすると、あー、メタルスライム狩りをやってこなかったタイプの人なんだろうな、とわりとマジで思う。


というわけで病理医は在宅だと仕事がしづらい。ただこの論を書き記すにあたっての誤算がひとつあった。「在宅だと仕事がしづらいという困難状況」にほくそ笑みながら立ち向かっていく自分のイメージが湧いてしまった。「だったらなんとか工夫して、どうにかして家で仕事をしてやる!」という克己心がふくれあがってしまった。そういう気持ちになりたかったわけじゃないのに。あー家でコーヒー飲みながら仕事してぇなー! 患者と合わない科なんだからできるはずなのになー! 切り出しあるから無理なんだけど。

ああそうかの福音

病理診断科には毎月のように初期研修医がやってくる。当院には2学年あわせて14名しか初期研修医がいないが(もともと救急車が少なめの病院だった影響がある)、その半分以上が病理を選択するので、2ヶ月に1ぺんは研修医がいる計算になるし、実際、なんかしょっちゅういる。

彼女/彼らの将来の目標はさまざまだ。消化器内科医を目指す者、血液内科医を目指す者、皮膚科医を目指す者。

これらは一見、まったく違う仕事のように思えるが、顕微鏡の上で共通点が交差する。

共通点とは、「病理組織学を知っておいたほうがよい仕事ができる」ということ。細胞を採取して病理に依頼する頻度が高い科という意味でもあるし、細胞がどのような挙動を示しているかという情報が治療に直結する科という意味でもある。


手技や処置をがんばって身に付けなければいけない時期にあえて、患者と相対せず座学がかなり多い病理診断科での研修を選ぶやつらは、だいぶ熱量が高い。

顕微鏡を見ながら疑問が出てきたらすぐにぼくを呼ぶように言っている。すると本当にめちゃくちゃ呼ばれる。

これは、ほんとうに、仕事のジャマであるが、仕事の役に立つ。

この二律のどちらが優位か。


仕事のジャマ: 研修医といっしょに顕微鏡を見ている間は自分の診断ができない。

仕事の役に立つ: 顕微鏡を見始めたばかりの医師、病理の知識がまだあまりない医師が、細胞をどのように見て何をふしぎに思うのかの「サンプル」が大量に取れる。


はっきり言って「役に立つ」のほうが「ジャマ」の5倍くらいでかい。自分の仕事が多少遅れそうになっても、そのぶんほかでがんばって取り返しておけばよいし、研修医によっておそらくぼくの病理診断や細胞所見の解説手法はめちゃくちゃレベルアップしている。


研修医「先生、なぜここにはCD20が染まらないんですか? 異型を有する細胞があるのに。」

ぼく「なぜってここは……ああそうか! ここは潰瘍によって血管が増えているのです。血管の内皮は、慣れてくるとほかの細胞と見分けられるようになるけど、最初はコツがいるよね」


研修医「先生、どうして今回の病変は細胞がひしゃげているのですか? H&E染色だと特に……」

ぼく「ひしゃげているって? どれどれ? ああそうか! これはアゾパルディ・エフェクトと言って、検体の物理的な圧挫によって核質が漏れ出てしまうアーチファクトなんですよ」


偉い人が書いた教科書や、講演会などでいくら勉強しても、研修医との会話の中で出てくる「ああそうか」は出てこない。ふしぎなものだ。初学者であろうと上級者であろうと、各自の立ち位置から「なぜこう見えるのか」とたずねてくる臨床医の話はとにかく病理医の役に立つ。


ぼくは研修医たちがしょっちゅうやってくる病理検査室にいるおかげで、おそらく、たくさんの「師」を得ているのだ。寓話とか皮肉とかで言っているのではない。

仮に、病理診断という仕事が、「細胞を見て考えるだけで完遂する」ならば、あるいは研修医の存在は「考える時間を奪う存在」として、ジャマに思ったかもしれない。

しかし、病理診断という仕事は、「細胞を見て考えて、それを言葉にして伝達する仕事」なのだ。「伝達」が編み込まれている仕事は、異なる視座の人間とのコミュニケーションを重ねれば重ねるほど、スキルアップできるのだと思う。

音のほうを守る

「待ちに待った」みたいな表現って、ほかに何かあるかな。

ぜんぜん思いつかなくてひとまずぐぐる。「待ちに待ったみたいな表現」。我ながら雑な検索ワードだ。今の時代、プロンプトが甘いと「IT宝」を持ち腐れる。生成AIブームによって、世間は「使う人のレベルによってIoTの出してくるもののレベルがかわる」というつらい事実に直面した。ぼくなんか典型的な持ち腐れタイプである。持っててもむだ。断捨離。

しかしこの雑な検索によって、ロシアではたらく日本語教師のブログが出てきて、結果的に疑問はうまく解決した。重複によって強調する表現はほかに;

・食べに食べた

・泣きに泣いた

などがある。言われてみればたしかになあ。


「食べに食べた」も「泣きに泣いた」も普段はあまり使わない。その点、「待ちに待った」は、一段深くぼくの生活に浸透していると思う。「マチニマッタ」みたいなひとつながりの音として認識されているくらいだ。食べるよりも、泣くよりも、ぼくは待つことを重ねることが多いのだろうか。「待ちがち」なのだろうか。だから「待ちに待った」がこころにしみ込んでいるのだろうか。


言葉や概念をとりあげる頻度が多いと、それらの用法が、ほんらいの字義や成立過程などから離れて浮き上がってくるように思う。たとえばこのブログの冒頭で、ぼくは「ぐぐる」と書いたが、元がグーグルなのだから、略したとは言え「ググる」と表記すべきだろう。しかし、日常で数えきれないほど検索してきて、「ググる」ことがぼくのこころに浸潤し、あちこちの隙間をうめてがっちり食い込んで安定した今、心の中では「ぐぐる」と書いたほうがしっくりくるようになっている。元の意味とか由来とか関係ないのだ。「ぐぐる」ほうがニュアンスに合っているとすら歪んで思う。だってぐるぐるかき回すじゃないか。


粘稠、という言葉がある。なんと読むかご存知だろうか。ぼくは長年「ねんちょう」と読んでいた。……こうやって書くということはつまり、この読み方が間違っているということである。試しに当ててみてほしい。「ねばっこい」を意味する、少し硬い言葉。どういうときに使うかというと、病理診断で、細胞の背景基質に「間質性粘液」があると見て取ったときに使う。こんな感じだ。

粘稠な基質を背景に、紡錘形や多角形状を示す筋上皮細胞が索状~孤立散在性に増殖しています。」

この「粘稠」をずっと「ねんちょう」だと思っていたわけだが、じつは間違いなので、PCでねんちょうと入力しても出てこない。年長、年帳などが出るばかりだ。ああそうか、医学用語だから普通の変換ソフトには対応していないんだと思って、変換ソフトの手書き単漢字表示機能を使って「稠」を呼び出し、粘液の粘とくみあわせて、「ねんちょう」という音をむりやり単語登録して使っていた。

ある日、粘稠という言葉を論文で使うにあたって、いちおう本来の意味も調べておこうと思ってぐぐって見てびっくり。この言葉はねんちゅうと読むのである。

PCはもちうろんスマホであっても、ねんちゅうと入れればただちに粘稠が表示される。これで「ちゅう」と読むとはなあ。

稠という字は「濃い」「びっしり詰まっている」という意味。のぎへんがついているように、「穀物がみっしりと生い茂る」のイメージだ。読みは、つくりの周「しゅう」から「ちゅう」に通じたのだろう。


それでだ。


ぼくは今でも顕微鏡を覗いて粘稠な基質を目にすると、「ああ、ねんちょうだなあ」と瞬間的に感じてしまう。粘稠をねんちゅうと読むことがわかった今でも、リクツが思念をコントロールする前に情感が「ねんちょう」を引き連れて思索の荒野に躍り出る。Alcian-blue染色の神経質な青色と「ねんちょう」という音は、脳の中で勝手に結びついてしまって剥がすことができない。アスファルトのひび割れにしっかりと根を伸ばしてもはや剥がすことのできないセイヨウタンポポ。心のすきまにがっちりと食い込んで取り外しようがなくなったねんちょう。

一時期、病理診断を書くときに、どうしても「ねんちょう」という音を使いたかった。なにがねんちゅうだよ、新参者は認めねぇからな! と鼻息を荒くした。結果、「粘調」という言葉を編み出した。発赤調(ほっせきちょう)だねえ、単調(たんちょう)だなあ、C調ってやつだね、みたいなニュアンスで、「粘調(ねんちょう)な病変です」と書いていたのである。

意味を正しく伝えるために言葉を選ぶべきなのに、脳にこびりついた音を守るために、その音にあった新語を作り出した。でもまあ、この言葉、見るほうにとってはわかりやすいらしく、特にお叱りを受けることもなかった。調子に乗ったぼくはある日、「じつは粘調って言葉もあっていいんじゃないだろうか……」と思って、粘調でぐぐってみた。結果、出てきた記事がこれであった。



https://www.kango-roo.com/work/7389/


よくないそうです。


協和音

猛烈ないきおいで働いて、最後に浮いた30分を呆然として無為にすごした。心の中にいる小さいぼく(しかし居丈高で後出しジャンケン的な指摘が大好きなぼく)が、「ならしなさい……もうちょっと……ならしなさい……」という。

最後30分余ったということは、たしかにちょっと、がんばりすぎたということだ。しかしだ。

100%の力で4時間半(270分)働いて、0%の状態で30分過ごしたのを、均等にならすとどうなる? 270分ぶんの仕事を300分に拡張するわけだから、270/300で、90%の力で5時間働くってことだよ? 十分きついよ? しかもその後やすみなしだよ? 別に楽にはなってないよ? だったら30分ぼうーっと休んだほうがいいんじゃないか? ブログだって書けるし。

すると心の中のぼくがいう。「無為の真っ最中にメールが届いて新しい仕事が増えて、それをさっさと片付けようっていうんで結局残り時間も100%で働いてたじゃないか。捏造するなよ。休んでないだろ」

しかしぼくは反論する。「いやいやそれを言ったら、最後の30分を残しておいたから急な仕事に対応できたわけだよ。これ、90%の力で5時間働こうと思ってたら、メールのあとは120%くらいの出力を出さないと仕事終わんなかったぞ」

心の中のぼくはひるまない。「新しい仕事、飛び込んでくる仕事を、そうやって、できるできるとさばいていくから、いつまで経っても仕事が減らないんだ。『もうできません、今いっぱい働いているので』と言わない限り、負荷は右肩上がりなんだ」

ぼくは若干旗色の悪さを感じる。「うるさいな。やれるときにやれるだけやって何が悪いんだ」

心の中のぼくは手を緩めない。「いつかパタンと抜け殻になって5%くらいでしか働けなくなったらみんなに迷惑かけるんだぞ」

ぼくは反撃の糸口を掴む。「そんなこと言ったら世の退職者はみんなうしろめたい思いをしなきゃいけないじゃないか」

心の中のぼくはぼそりという。「ふつうの退職者はぎりぎりまで100%で働いてないんだよ」

ぼくは隙を逃さない。「ふつうがいいのかよ」

心の中のぼくが盛り返す。「ふつうでいいんだよ」

ぼくらはハモる。「そうかふつうでいいのか」




以上を人に見せて感想をもとめた。「ふつうの人は、自分の100%がどれくらいかとかあんまり気にしないし、やれる範囲でやるしやれないときはやれません」

ぼくらはハモる。「はい」

シュモクザメは人を襲わないと書いてあった

飴を噛んで食べる人のうち、一生の間に一度も周りから「飴、噛んじゃうんだね」と言われずに過ごしたことのある人はどれくらいいるのだろうか。たいていの人は中年くらいになるともはやうんざりしているのではないかと思う。飴を噛む人が誰かといっしょにいると、十中八九、「あっ噛むんだ」とか「噛んじゃうんですね」とか言われているからなんかかわいそうだなと思う。ほうっておいてあげればいいのに。SDGsがこれだけ叫ばれているのだから、今後は少しずつ気遣われて、言及されずに過ごすこともできると思う。ひそかに応援しているのでがんばってほしい。


ここまで書いて思うところがあり、飴を噛むタイプの知人に読んでもらったら「うーんそうじゃないね。本質じゃないね」と言われた。出、出~~~~~~頻繁本質指摘奴~~~~~~~


「私たちは……飴を噛むんだねと言われるのがうれしくて噛んでいる……しかしその気持ちに自分でもわりと無自覚だったりする……つまり……じつは飴を噛むんだねと言われたい……そうやって誰かにつっこまれるために噛んでるフシすらある……けど自覚と責任を伴う行動として噛んでるわけじゃない……無意識……! いつもじゃない……たまにだ……たまにだけど欲している……欲してある……欲する存在として在る……! 私たちは飴を噛む存在であることを誰かにツッコまれたいという欲望を発出する存在である……! そういう淡くて原始的な欲望……飴を噛み……ツッコまれ……一連のささやかな、しかし質量のある欲求……! 自分でこれに気づくか気づかないか……気づけない……たぶん気づけない……私はあるとき気づいたが……たいていの人は気づけない……もうちょっとのところまでたどり着いているんだけど気づけない……! ぎりぎり……それはほんとうにぎりぎり……水面にあとちょっとで鼻先を出すイルカの陰影……それくらいぎりぎり……それくらい自意識……それくらいの露出欲……! だから誰からも飴を噛むんだねと言われなくなったら……そのときイルカは……勢いよく海面にジャンプして……! うう……! 噛んでるよほら噛んでるよ噛んでる見て見て噛んでるから……と!!! アピールする!!!!」

だそうです。イルカっていうよりハンマーヘッドシャークみたいな人です。

しょしゅーる

ソシュールを勉強したらいいんじゃない? うん、そーしゅる! とはいかなかった。記号学に興味はあるのだがソシュールを念入りにとりあげる人の物言いがあまり頭に入ってこない。

ぼくの前提知識が足りないというのもあるかもしれない。いや違うか。先にソシュールそのものではなく、ソシュールを引き取りながら何事かを言った人の話をぽつぽつ読んでしまって、前提ならぬ後提知識がぶかっこうに大きくなってしまったために、ソシュール本体にたどり着く気分が削がれてしまっている。

孫文献ばかり読んで元文献にあたらずに論文を書く後期研修医みたいな偏った理解だ。虚心坦懐にふるいほうから読めばよかったなと思わなくもない。けどそれは今だから言えることだ。読みたい本の順番をうまくコントロールして思索の順路を正しく辿れた自分が過去のどこかにあり得たとはまったく思わない。

そのうちどこかのタイミングでポカンと読むだろう。そのときはもっといろいろ目配せできる自分であるといいなと思う。


言語の役割についてあいかわらず毎日考えている。といっても、言語学というおおわくに惹かれているわけではなく、「病理診断という名づけが医療を揺さぶるとしたらそれはどういう揺さぶりなのか」という疑問にとりくむにあたり、名づけの仕草にまつわる語彙を増やしたい、というモチベーションで言語ならびにその縁辺のことを考えている。


先日萩野先生に教えてもらった本、『現代作家100人の字』(石川九楊)がとてもいい。新潮文庫は再販しないのだろうか。古本でホイホイ買える。書家である石川九楊は、ほぼ日のサイトで「おちつけ」の掛け軸やグッズを売っていたことがあり名前を覚えていた。

https://www.1101.com/store/ochitsuke/goods/index.html

谷崎潤一郎、吉川英治、深沢七郎、司馬遼太郎、吉行淳之介、三島由紀夫……。書家ではなく作家たちが揮毫した色紙や碑文、篆刻などを小さい写真で紹介しながら、その字体(文面というよりももっぱら字体……なのだがときに文面とマッチしたりずれたりする)について短く語っていくというもの。萩野先生が枕頭の書と述べた理由が大変よくわかる。ひとつひとつ、喫煙のように印象と抵抗と不整脈と安堵を残していく感覚が美しい。その中にこのような文章が出てきた。

”一般に造形に過ぎないと考えられている文字の書きぶりには何らかの形で言葉が比喩として定着している。この言葉からくる力、言葉の形象喩を〈言語形象〉と命名すると、書は〈言語形象〉を核に、その周囲を〈純粋形象〉によって包まれた表現であると定義できる。”(62ページ)

あっと思って心の中でさらに黙り込んだ。石川九楊は、島尾敏雄の色紙を前に、このようなことをいう。

”書の構造はこの地球の構造に似通っている。中心に超高温、超高圧の核(意識)があり、その周囲をマントルのように言葉が形に化成した〈言語形象〉が、さらにその外側の外殻、表面を〈純粋形象〉層が取り巻いている”

すなわち漢字やかなからなる書においては、象形文字をほうふつとさせる「意味から生み出されたかたち」と、字形・空間・バランス・筆運びなどが醸し出す「絵画的造形」とが内外の構造として存在するというのだ。活字ばかり扱っていると思い至らない思考かとも思ったが、吉行淳之介は活字になった紙面をイメージしながら原稿を書いたというから文字と目との距離が密接な人間たちの思考というべきなのだろう。

書をたのしむためには西洋絵画のような見方だけでは足りない、というかそれとは別様の味わい方があるようだということも腑に落ちる。そしてぼくは、最終的に俵万智、ビートたけし、花森安治、そして糸井重里までをもとりあげるこの本をねっとりゆっくり読みながら、人がなにかに名前をあてて、それを書くという営為の、「書く」の部分をこれまであまりきちんと考えてこなかったな、と思ってほくそえんだのである。病理診断だって書く/描くものだからな。なるほどな。ああそうかなるほどなあ。

ゆくすえを振り返る

月が変わるタイミングではいつも、めくったカレンダーにスケジュールを書き写す。デスクの前にカレンダーを3つ貼っていて、これに向こう3か月分の予定を書く。一番古くなったやつだけを3枚めくって2ヶ月先の予定を書き込めばよいのだが、これだとカレンダーの風景写真がもったいない(3ヶ月に一度、まとめてごっそりめくられてしまう)ので、ちょっと面倒だが3組のカレンダーを1枚ずつめくって、3か月分の予定をあらためてすべて書き込むようにしている。それなりの手間だ。しかし学会の準備や原稿の締切などをだいぶ先までリマインドできる。なにより手書きで予定ににじりよって確認していく作業が嫌いではないのである。

先々に予定が詰まっているところが何箇所かある。そのころどういう感じで自分が動いているのかを予想し、さきどりする形で一通りの心配をする。心配し終えてしまう。今から約2か月後に、これくらいの熱量で、心にこれくらいの負荷が加わることになるんだろうなと、まだ始まってもいないのに取り組んでいる最中のことから終わった時のことまで順繰りに想像する。良いことも悪いこともあったけど終わってみると結局ほとんど忘れてしまったな、という締めの感想までたどりつく。


中年も半ばを過ぎて、近ごろの私は、未達の焦燥感におそわれることがずいぶん減った。肋骨まわりの神経に差し込むような痛みを感じる系のストレスとはご無沙汰だ。公園のベンチで上から降りてきた黒雲に知らないおじさんと一緒に飲み込まれる夢も、ダイバースーツを着てプランクトンの死骸が浮き上がってくる海溝をのぞきこむ夢も見なくなった。これらはすべて、「先を見通せないこと」という同じ根から生えてきた枝葉であった。かわりに近頃は、真綿でトライツ靭帯を締められているような腹満感が持続している。健康を害しているというのではなく、ずっとなにかを背負っているけれどまあそれで歩き続けることはできる、くらいの精神状態だ。そういえばこないだ、二宮金次郎の銅像のモデルとなったであろう少年(薪をかついでいる)と登山をする夢を見た。大変そうだったし大変そうですねと声をかけた。


4月以降の予定はわりとさみしい。出張に至っては皆無。昨年の1/3もない。でもカレンダー上の予定がないだけで、来年度は病理学会北海道地方会(全4回)の運営をやるし、日本超音波医学会の広報委員会の仕事がいよいよ本格化するし(ホームページをリニューアルする)、できれば研修医や専攻医や他院の医療者たちといっしょに論文を書きたいので、業務量としては不変ないしやや増えるだろう。ただ、しんどくなるわけではたぶんない。飛行機移動がなくなる分、使える時間は増えるはずだ。マイルもたまらなくなるけどそもそもぼくはポイントを貯めることへのストレスのほうが、あとでたまったポイントを使う快感よりも大きい。気になるのは読書の時間が減るであろうことだ。飛行機という環境は電話がかかってこないから読書にもってこいだ。あのような時間をどこかにねじこんでいきたい。ラジオやポッドキャストは冬の間は雪かき中にたっぷり聴くことができてよかった。夏はどうしたものか。

さっき念校を送ってよこした編集者が、将来は南のほうに移住してそこで好きな本だけを作っていたいと書いていた。私はそれに「南はすごくいいだろうけれど台風が怖いです」と答えた。どこに住んでも私たちは追い立てられる。しかし焦燥感に後をつけられるくらいのほうが、もしかすると、性に合っているのかもしれないと、ゆくすえばかり振り返っている今日このごろ、しょっちゅう、ないものねだりをしている。

アオのハコのネタバレを含みます

爆裂に忙しい。自分ひとりで何かを作ったり整えたりするだけならこうも忙しくはならない。「人の仕事を待つ時間」にもっと慣れないといけない。特に医療業界外の人との仕事がしんどい! 

人間って

関係の中に

暮らしてたんだな


悟った


こ、こ、この年で、遅! なおこういう改行頻発させるタイプのアメブロ読むと土踏まずが痒くなる。



人を待つ空き時間にちまちま文庫本などを読んだりポッドキャストを聞きながらパワポを直したり査読に答えたり査読したり原稿を書いたり。診断は聖域なので集中する時間に手を加えないようにしているが、最近はもう診断と診断の合間のツイッターの時間すら惜しんで別の仕事の思考を紛れ込ませている。

職場にいる間中ずっと緊張しており、帰宅しようと思って車に乗ると腸が動き出して、家につくまで我慢できなくなって途中コンビニに寄るなどの現象が頻発している。これに慣れるでもなくすり抜ける感じで適応できたらいい。半年くらいで慣れたい。

ドドリアやザーボンだけでなくキュイとかもちゃんと使うフリーザを心から尊敬する。あいつ自分ひとりでやったほうが絶対に早いのにほんと偉い。魚人のアーロンとかも偉かった。同胞たちよ! とかちゃんと敬ってるあたりもポイント高い。その点でいうとアオのハコの「私のせいで負けちゃったっ」とかは結果的に自分で背負いすぎてしまっているわけでやっぱりあれは「若さ」の描写なんだよな。自分の努力と向上だけに全力を振り分けられるのは成長途上の人間だけに与えられた特権である。とりかえ可能な体制をいかに持続するかを毎日考える、大人とはそういうものだ。こどなバンザーイッ(海上家の一族で昔読んだフレーズ)。

わからないことにおめでとう

「とてもむずかしい言葉をたくさん使いながら、いかにも口が脳に追いついていないのだというそぶりで、ものすごい早口で、日本語と英語とドイツ語をごっちゃにしながら、肝臓の小葉構造について、15分という持ち時間なのに32分も使ってねっとりとしゃべりきったあとに、まだ語り足りないとばかりにぶぜんと引き下がる元大学教授の現役病理医」のミニレクチャーを笑いながら聞いた。いいよねーこういうの。

この研究会、かつてオンサイト(現地)で開催していたときには、400人とか500人とかいうレベルの出席者がいたはずだが、今こうしてZoomでやってるのに150人程度しか参加していない。マニアックすぎるからか。勉強する人の数が減っているわけではなく、勉強する場所が多すぎて互いに客を奪い合っているのだろう。それでもがんばって見に来た人たちは今の病理のレクチャーをどう聞いたかな。笑ったかな。寝たかな。



50年以上前から解剖学や生理学を基礎研究としてごりごりやってきた人たちの話は、哲学の本を読んでいるときのようにわかりづらい。言葉を受け取るために必要な前提知識が多すぎる。通り抜けてきた努力の質も違う。これが哲学書であれば学徒たちは、むずかしい一文を何度も繰り返し読み返すことで伝達に挑み続けるであろう。しかし、症例1例にかんする解説やミニレクチャーの内容を、繰り返し聞き直すことはむずかしい。

病理学者も最後には哲学者のようなしゃべり方になるのだが、哲学のふるまいでやっているわけではないから、あるいは、哲学とは別の意味でむずかしい。

それでも必死で「聞きにいく」ほどのモチベーションを保てるかどうか。

もう少し「我々の普段の文脈でわかる」ものを追いかけたほうがよいのではないか。

現代の科学は必ずしも、かつての英雄たちの言葉を必要としないだろう……なんて、逃げ出したくもなる。




そもそも、日頃の診療において暫定的に納得し、あるいは混乱したまま放置している解剖・生理・病理学的な疑問は、現代の科学の文脈の中に立ち上がったものである。いまさら古い手法によって解析される余地があるとは思い難い。最新の画像や免疫組織化学、遺伝子検索によって、執拗に撃破されたクリニカル・クエスチョンのなれのはて。焼け野原に立ち枯れる木の残骸のようにずたぼろの形で残った燃え殻。それらを令和も6年目になろうという今、連続薄切や樹脂による鋳型標本作成、実体顕微鏡とトレーシングペーパーによる細工仕事のようなかつての形態学で解説できるとは誰も思っていないだろう。

実際、そんなに甘くはなくて、老練の方々の言葉をすべて書きとって何度も読み返しても、当座悩んでいることがそのまま解決するということはまずない。



しかし、古くてむずかしいことを古くむずかしいままに受け止めることは、想像以上に思考を明るくしてくれる。

より見えづらい暗がりに気づくための強い光のようだ。

あるいは、自分の思索の道のりの、けもの道を執拗に踏み固めたつもりだったところを、さらにきれいにならしてくれるような強い圧でもある。

それらを受けていると、あるとき急に、「ああそれで! 肝硬変のときにはああいう線維化が生じるのか!」とか、「なるほどそれで! 肺と肝臓では小葉構造の考え方が異なるのか!」みたいに、現代の科学が解明しきっていないはずの四次元の人体病理学に「言葉にするのが難しい深部での洞察」が得られたりする。




この世のどこかに真実やら真意やらがあって、言葉はそれを単に伝達するものである、というありふれた考え方から距離をとったのがベンヤミンだそうだ。

言葉はなにかを伝達する記号なのではなく、言葉自身を伝えるものであり、言葉自身をすべて伝えるものである。誰かの言葉がむずかしいと感じるとき、「真実はもっと簡単に言い表せるはずだ」と言って逃げ出すのではなく、「なるほどむずかしい言葉が選ばれたことを寿ごう」と立ち向かうこともときには必要なのだろう。ベンヤミンの言葉はむずかしい。ベンヤミンを参照して何かを語る人たちの本を立て続けに読んだがそれらもむずかしかった。それが今のぼくにとってはなにかの祝福であるかのように感じる。