生涯で48時間以上入ると扉が消える

釧路にいる。これから空港に向かうところだ。勤め先の病院の車が出払っているとのことでタクシーに乗った。外を見て過ごすと少し飽きるくらいの時間がかかる。スマホでKindleでも読んでいればすぐだが、飛行機や電車よりもタクシーは少しだけ酔いやすいようで、特に仕事の後は疲労も溜まっているし、あまりスマホをみないようにしている……が今日は珍しくこうしてブログを書いている。

道すがら運転手さんと会話することが少なくなったなあと思う。自分が30代のころのほうが、今より会話は噛み合わなかったけれどそれでもまだたくさんしゃべっていた。40代も折り返した今なら、野球も過疎化も税金への愚痴ももう少し共感できるはずだが、今日も運転手さんは一言もしゃべらない。行く先を復唱したきり黙っている。

ほんの5年ほど前は、こちらがスマホを見ていても、あるいは少し仮眠しようと思っても、おかまいなしに話しかけてくる運転手さんがたくさんいた。みんな少し無口になった。感染症禍のせいかもしれない。それだけではないのかもしれない。

そういえば、駅や空港のタクシーレーンで車を降りてタバコを吸う運転手も見なくなった。車内禁煙にしていても運転手が臭うから意味ない、みたいなこと、前はもう少し経験したけれど最近はとんと起こらない。病院やホテルのエレベーターなどで近くの人から強いタバコの臭いがするなんてことも珍しくなった。

他人の臭いも音もしなくなっていく。他人の顔を最後に直視したのはいつだろう。







四月から当院で初期研修を開始する医学生からメールが来た。無事国家試験に合格した、直前まで病理学教室に出入りして研究したり飲み会に出たりしていたから、これで落ちてたらやばいなと思っていたが無事医師になれてよかった、ローテの最中に病理を選択することにしたのでとても楽しみにしている、あと、他科の研修の合間にも病理に勉強しにいってよいか、といったことが丁寧な語調で、わずかに興奮をまとって書かれており、私は思わずスマホのカバーをいったん閉じて外を眺めた。

少し考えてすぐにGmailで返信をする。

おめでとうございます、とうとう同僚ですね。

先生の輝かしいMD lifeの一歩目を当院にてご一緒できることが光栄です。

まずはおいしいワインでも飲んで疲れを癒やしてください、四月からも――

と、ここまで書いて、考えて、「まずは」以降を消した。近未来の勤め先の主任部長からのメールにお酒の話が書いてあるというのは距離を詰め過ぎかもしれない。

「これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。いやー楽しみですね。」

あらゆるハラスメントを回避しようとすれば最終的にはぜんぶタモリの口調になる。





若者たちの顔や名前を覚えるのに苦労する。なにせ、顔を見ないし、声も聞かないのだ。そういう世の中のほうが気楽で過ごしやすいと、当の私もずっと内心願っていたのだけれど、いざたどり着いてみるとそこはまるで自意識以外の入力が途絶えた精神と時の部屋のような場所だった。