日常に生きる少年

毎日、自分の体の具合が悪いところのことばかり考えている。朝起きたら、昨晩よりも痛い場所や昨晩よりも動きが悪い場所のことに、まず気持ちが持っていかれる。そこからはじまり、そこに尽きる。

差分に着目してしまうのはわれわれの五感の特性だ。変化のない部分は知覚から漏れがちである。部屋の隅でかすかにホコリが動いただけでもピクリと感じ取る同じ目が、通勤ルートの左右に点在する店の看板を一切気にしておらず記憶にも残していないのだから、我々の受信システムはずいぶんと「差分の抽出に特化」させられている。

「便りのないのは良い便り」という格言を、わざわざ作って普及させた昔の人の知恵がしのばれる。我々はいつも、変化しか見ていない。常態に興味が持てないようにできている。




2023年度はいろいろな理由があって仕事をセーブした。オンサイト(現地)での出張は激減し、病理解説などの仕事はほぼすべてZoomやWebexを通じて行った。あれよあれよといううちに脳内万歩計の数字が減っていき、足腰、首、ふしぶしに猛烈な勢いで老化が発生。

ひるがえって2024年度はどうか。ストーカーに追いかけ回されるのがいやだからどこにも書いていないのだけれど、本当に毎週のように出張がある。コロナ禍の前に戻った感じだ。メインの学会に別の出張先からオンラインで参加するといった嘘のような日程もたくさん組んでいる。

今年は独特だ。すなわち前年とくらべて変化した。変化によって認知される。

この4年ほど、私はどこで何をしゃべったのかほとんど覚えていない。職場に提出する業績ファイルを見ても「そんな会に出ただろうか」としか思えない。講演プレゼンを見返しても同様。「空白」の二文字が変化を失った日常にとろけて溶けて消えていく。

今年は去年にくらべて、自分の取り組んだものをもう少し、自覚できるかもしれない。





もうだいぶ前の話。祖母が亡くなったあとに、私が気に病んでいたことがある。この先、時の選択によって、祖母の思い出をやむなく忘れていく過程で、最終的に「祖母の死に顔」という非日常だけが記憶されてしまうのではないかと心配になったのだ。それくらい、祖母の死は私にとって、(急性の痛みではなかったことこそ幸いではあったが)大きな瘢痕を残すできごとであった。

そこで、ことあるごとに、「生前の祖母が私にしてくれたこと」を思い出そうと心に決めた。能動的に思い出を強化し、本当に覚えていたいことをいつまでも忘れないようにしたかったのである。

とはいえ脳を意図的にコントロールすることなどできはしない。残念ながら、生前の祖母の記憶は日に日に薄れていった。

しかし。結果として、私の心配は杞憂だった。

私の中には、あいかわらず、祖母との日常が鮮明に刻印されていた。いったい何が起こっていたのか。




「おやすみなさい、明日もお元気で」。




私が小学校に入る前から、祖母は居間の隣の寝室に入っていく前に、私と弟の手を握って、7文字+9文字のおまじないを一言ずつ唱えながら、握った手を縦に振った。それは日常であった。中年になった今の私ならば、あるいは認知の対象として脳が判定してくれなかったかもしれない、毎日飽きることなく繰り返された儀式であった。

しかしあの頃の私たちにとっては違った。

目に映るものの大半が新規情報であった幼少期。無限に思えるほど長く騒然とした一日の終わりに、「久しぶりに」祖母に会い、歌謡曲や都々逸をほうふつとさせる耳馴染んだリズムにあわせて「まじなう」こと。それは毎日の決まり事である以上に、日々情操に蓄積していくあらたな非日常であったのだ。

祖母は私たちに、呪いのように作用する祝いを毎日ほどこしていた。祖母の死から何年も経ち、末期の病室であれほど悲しそうにしていた祖母の顔を、私は日常と同じようにうっかり忘れ去った。そして毎日繰り返された非日常をまんまと覚えている。




Number Girlはかつて「日常に生きる少女」を歌った。それはエイトビートの決まり事を逸脱した、五里霧中の未来に放り投げられるような独特のアウトロが印象的で、今の私が考える「日常」とは違う何かが確実に歌われた名曲であった。繰り返される無常、蘇る衝動。日常は歌になり、無変化もまた刻印される。

医者、科学者、慎まねばならない。我々は脳のしくみなんていまだに何一つ理解していないのだ。