せなかのあばた

前を歩く中年からたばこのにおいがした。見ると彼の右手の中にはちびれたたばこが火のついたのであるのだ。私はすかさず彼の右肘のところを左側に向かって薙ぎ払うように蹴り飛ばす。彼は肘を支点としてくの字に折り曲がりオレンジ色に発光して融解して爆散しながら左後方にすっとんでいくのである。そういう想像をしながら歩みの遅い中年を追い越していくと目の前に駅舎があって私はその中に吸い込まれていった。


自分のため? 人のため? 名誉のため? 金のため? なんだかもうよくわからないのだがとにかく私は私の世界でさらにいろいろと詳しくなったほうがいいのではないかという思いだけがある。このままここで働き続けてもこれ以上なにかに詳しくなることは、ない気もする、が、長く働くことでしか、詳しくなれないことも、たくさんある気はする。しかしひとつ明らかなのは、今の私でとどまってしまってよいことはひとつもないということだ。


麦茶しか飲まなくなった。カフェインに耐えられないからだ。


真夏のピークが去ったことを歌詞にできたのは志村が関東に住んでいたからだ。長い冬がはじまった。出張先の釧路や旭川は札幌よりも鋭く冷え込み、だから札幌に帰ってくると、そんな程度でなにをしっちゃかめっちゃか文句を言っているのだと、怒られているような気になる。今年も私はダウンを買わなかった。カナダグースとかタトラスとかみんなが着ているダウンのなにがわくわくするのかちっともわからない。自分のため? 人のため? 名誉のため? 金のため? 自尊心? 克己心? 執着? 嫉妬? なんだかよくわからないのだがとにかく私は私の世界でさらにいろいろと詳しくなったほうがいいのではないかという思いだけがある。


しかし私の世界がなんだというのだ。


会員制のスナックに連れて行かれた。店主は前髪をきっちりと揃えていたし胸元のあまり開かないようなクリーム色の清楚な肌触りのよさそうなトップスを着ていた。私だけ終電が迫っているというと他の客に「この方はもうあと何分もいないのだから少しそっちのお相手をしますよ」というアピールをしっかりとした。私は知らない常連のウイスキーをソーダで割ったものを一杯飲んで店を後にした。店主が酒を作りながらふと後ろを振り向いた一瞬にぱっくりと背中が大きく開いたその服の意匠に私はなるほどと納得しながら店のセキュリティのボタンを押すと外からは開かないつくりのそのドアはあっさりとキイイと音を立てて鍵を全開にした。私はまだ、私の世界すら何も知らないでいる。