「感慨深い」みたいなことを書こうとしたら、このPCがまず肝外と変換するのを見てお前はまあそれでいいよとなぐさめる。だって論文とか書くから仕方ないよな。でもこのPCはそろそろ買い替えだ。LAVIE, intel core 7だが、メモリがいまいちで、ちょいちょい挙動がスローモーになる。いい買い物だったけれどあまり長く持たなかった。4年くらいか。まだ使えるけれど、次を見据えておくのもいいだろう。
研修医たちはmouseというメーカーのオーダーメードPCをよく使っているようだ。アレンジがしやすく値段も安くていいという。他社のPCとスペックを揃えた状態で見比べてみると、値段がそこまで安いかというとそうでもない気もするのだが、まあ、ちゃんと選べば安くなるのだろう。
ただ、私は元来、こういう場面で細かくお得な道をえらびとるのが苦手だ。ポイントカード、利率、サブスク、セット価格、競合他社とのコンペ、キャベツが10円安いスーパーまで自転車を飛ばして買いに行くムーブ、すべて不得意である。多少高めでも今そのとき視野に入っている既製品をそのまま買うほうが早くストレスから開放されて精神的に安定すると信じており実際にそうやっている。人生を送っていくうえでわりと不利な気質だと感じる。
こういう話をすると、「それは金があるから言えることだ、庶民は何を買うにしてもよく考えて少しでも安いほうを選ぶものだ、お前はぜいたくだ、ごうまんだ」みたいなことを言う人もいる。しかし私は学生時代に金がなくて一日二食オール冷凍うどんで過ごしていたときからこうなので、これはもうそういうめぐり合わせ、こういう星、こういうキャラ設定なのだと考えるべきであろう。
堅実な貯蓄、丁寧な運用、そうやって得た金銭を用いて何かをしたい人は、これからもそうやっていけばいいと思う。しかし私は結局のところ「なんらかの手段で期待値より多く得た金」を使って何かをやりたいと感じる機会が多くないので、「なんらかの手段で期待値より多く金を得ること」に対する頓着がない。一番やりたいことが仕事である以上、一番やりたいことに時間を注ぎ込んでいくと金は減らない(むしろ増えていく)という現実もある。金の使用方法にそこまでリソースを割いて考える気がしない。まさかのために備蓄する、くらいのことはするが、安いほう、お得なほう、もうかるほうを選んで浮いたお金をまさかに備えてとっておく、みたいなことは思考の俎上に載ってこない。
同じ家電でもちょっとでも安いほうを買えばそのぶん次に別のものが買えるんだ、みたいな価値観もピンとこない。そんなに家電を買わない。次が思い浮かばない。たまに買うときくらい気に入ったかどうかでさっと買って、その一瞬の「選択」という挙動に消費する精神的MPを温存し、数年間ずっと「気に入ったから買った」というシンプルな方針を自分で気に入り続けていれば損も得もないように思う。ポイントがたくさん付けば次の買い物でお得だよ、というのも、次の買い物が頻繁に訪れる人には有効だろうが、私にとってはそもそも次の買い物が遠いし同じ店に行くつもりも別にないので響かない。
しまむらで厚手のタオルケットを1枚買った。メルカリで探せばもっと安いのがきっといくらでも転がっているだろう。でもしまむらがあったのでそこで買った。冬、ふとんの上にかけたり、居間で床の上に座ってテレビを見るときに尻の下に敷いたりするタオルケット、使い倒すだけのもの、少しでも安いものにしようとネット中探し回って1日、2日過ごして、その選択の最中に寒い思いをするくらいだったら、即日購入できて今日からすぐに温かい思いを手に入れる、体験をすばやく獲得したほうがよっぽどいい。そんなことだから要らないところでお金が出ていって、稼ぎのわりにお金がたまらず、いまだに安っぽい服とか靴とか上着しか着ていないんだと言われたところで、まあそうですね以外の感想がない。
ゾウが「翼がない自分のことをなんとも思わない」と言うのに近い。ポイ活やネットでの値段の検索というのは私にとって、ゾウにとっての翼、鳥にとってのエラ、魚にとっての長い鼻のようなものだ。そのような便利な機構、適者生存の末に獲得した解剖学的構造があれば、それを有効活用して餌をとったり敵から逃げたりするが、ないのだから惜しいとも思わないし損をしているとも考えない。ゾウは飛ばず泳がず、長い鼻で陸地を歩んで生きていくものだ。鳥に生き方を変えろと言われたところではあそうですね以外の感想がない。