路面の光沢感が増している。前の車のテールランプがしょっちゅう横にずれているのが見えて、車間距離を広く取る。いつもならとっくに家に着いている時間だがまだ半分も来ていない。渋滞は粘り強く、podcastは早くも二つ目の番組に切り替わっていた。
がんがんに炊いたカーヒーターのせいで車内の乾燥が強く鼻がパキパキする。空気が澄んでいるから12個くらい遠くの信号まで見える。横断歩道をわたる人たちが「あぶない! あぶないね!」と注意しあっているのが聞こえる。
冬は車の中にいる時間が長い。スマホを触る時間は短くなり、誰かの語りを聞く時間が増える。手指の先はかさつき、目の周りも黒くなるが、大声でがなりたてる人々から遠ざかり、軽い笑いや薄いささやきによって、心はむしろ乾かない。
縁側で湯呑みを片手に庭を愛でる日々はおそらくこの先もおとずれない。しかし、あるいはこの、長い車中でradikoやspotifyをずっと聴いている時間が、後に振り返ったときに癒やしの記憶として浮かび上がってくるのかもしれないと思う。
縁遠いところから仕事の依頼が来た。
CPCに参加してくれという。
そんなことがあるのかと耳を疑った。手帳を見て提示された日程の中に空きを見つけてロックする。
私は他院のCPCに出ることになった。
CPC、クリニコパソロジカルカンファレンス。
主治医と病理医、そして関連各科の医療従事者や研修生などが参加する、「症例振り返り」の会。
主治医は、ひとりの患者について、経過や診察時のあれこれ、検査の内容、どのように対処したか、そしてその患者がどのような転帰をとったかなどを、参加者たちに丁寧にプレゼンしていく。
みんながそれを聞く。
ここで、患者は良くなり家に帰れました、よかったね、という、喜ばしいほうの症例が選ばれることはまずない。
CPCで扱われる症例の転帰、すなわち結末は、「死亡」である。
それも、「医者が納得しきれていない死亡例」だ。
医者、患者、家族の予想を越えて、謎を残したまま、患者が死亡したあと、病理解剖が行われることがある。
病理医は、「腹を開けて患者に何が起こったかを直接見るという奥の手」を通じて、主治医の見立てがどれほど妥当だったかを病理学的に振り返る。そして、現場で生じた数々の疑問にコメントを挟んでゆく。
答えを出す、とまでは言わない。そうではない。
一部の医療従事者は、CPCのことを、「わからなかった症例に病理医が答えを出す会」だと把握している。しかし微妙に違う。
「病理医の目線という追加情報を得てもなおわからない症例」というのはある。また、「病理医はよくわからないままに解剖をしたのだけれど、その結果を聞いた主治医が『あっ、なるほど!』と理解してくれる」ということもある。
わかるとは限らない。しかしとにかく振り返ることが大事なのだと思う。
病理解剖やCPCはしばしば「手遅れの医療」と呼ばれる。実際、手の施しようがなかった患者のことを後から振り返るというのはやるせない気持ちになるものでもある。
でも「不思議」や「理不尽」や「ブラックボックス」を解き明かそうとする試みは、無駄でもなければ無力でもない。
失った患者を振り返ったことのある医者は、目の前でまだ元気でいる患者をみながら、「もし、将来、この患者が失われてしまうとして」という、わりと縁起でもない想像をふくらませる。
くやしい未来、ありえる将来に心を先回りさせて、ゆくすえを振り返る。
これがCPCの効能だ。すぐには効かない。長期にわたってじっくり服用しているとじんわりと効いてくる。
ゆくすえ(未来)を推し量り、来し方(過去)を振り返ることは、誰もがする。
けれども、「これから起こる未来を振り返る」には訓練が必要だ。技術が要る。
その技術とは、過去にありえたであろう「if」に思いをめぐらせること、すなわち「来し方を推し量る」ことで磨かれていくのではないかと思う。
CPCは、過去に思いを飛ばして「ありえた別の道」を推し量っていく行為である。
それがたぶん、ゆくすえを振り返るための力にもなる。
時間軸の上で自由になる。
そういう医療従事者を育てる。
そういう病理医になる。
CPCにはたくさんの後悔とほんのすこしの希望が渦巻く。主治医はみずからの見立てと共に当時の感情を思い出す。共に患者を担当したメディカルスタッフたちも、CPCに参加しながら、在りし日の患者のようすや会話などを思い出したりする。
それはある種のグリーフケアになっているようにも思う。
CPCはときおり、学会や学生勧誘の会などで、イベント的に扱われる。まるで医学雑誌の症例報告論文のように、「病」を、医学的にふりかえっていく。解剖までなされている症例であれば(※解剖はしておらず手術臓器だけを相手にするCPCというのもある)、扱う臓器の数も多いし、システマティックに病態を見直していく過程は極めて教育的だ。
ただし、院外の医療従事者に情報を共有する以上、病気以外の「患者のアイデンティティの部分」は個人情報として消去する。
そのためか多施設参加で行うCPCはどこか演劇めいていると感じる。フィクションのように思える。ほんとうはその裏にひとりの患者が亡くなっているのだけれど。
学問に邁進する上でときには必要な、「人ではなく病を見る」ことを、どちらかというと積極的にやっていく。
そして、だからこそ、私はCPCの本領は「院内CPC」にあると思っている。
「病理・夏の学校」で行われているCPCは学ぶことが多くて楽しい。しかし、院内で行われるCPCほどに感じることは多くない。
身内同士でやるCPCには独特の「感じ」がある。
病を振り返っているはずがいつしか人のことを考える時間にすりかわっている。
患者を担当した主治医や、患者に近しい人たちの、錯綜する思いが再現されて展開されて増幅されていく。
CPCの本領である。医療の本丸かもしれないとすら思う。
そのような場でなお、少なくとも一人、病理学に徹する。そのバランスブレイカー的、「空気を読まない感じ」が必要なのかなと。
このたび「他院のCPC」に招かれたことをプレッシャーに感じる。
やることはいつもと一緒だ。臨床医ほどの当事者感覚をもっているわけではない。そこから一歩引くのが役割である。第三者目線というやつだ。
しかし、それでもはじめて訪れる病院のCPCほど「完全に他人」だと、緊張する。
かつて、大学院にいたころ、関連病院のCPCに出かけて、症例の解説をさせられた。
病理医としてコメントを発すると、当地の医者たちが、「実際に患者を見ていない病理医がえらそうによく言うよ」という表情を浮かべることがあった。「細胞はそうかもしれないけれど実際のニュアンスはもっと複雑なんだよ」という非難の圧を感じることがあった。
そういうCPCは盛り上がらなかった。
大学院を出て、市中病院で働き、17年が過ぎた。
日常的に対話のある臨床医たちとやるCPCは、あのころとは段違いに盛り上がる。
私は、生前の患者と直接接することはないが、死にゆく患者を診ている最中の主治医をよく見るようになった。そして彼らと対話するようになった。
それが昔との一番の違いだ。
しかしこのたび、呼ばれた先で、カンファレンスを行う相手は、私と一度も一緒に働いたことがない医者たちだ。
「その患者を診ていたときの主治医」と私は会話をしていない。
車のセンサーが反応した。気づくと前方の信号は青になっていた。いつしか対向車は減り、後続車もなく、黒光りする凍結路面の上で私はアクセルを踏み込むがタイヤがキュルキュルと滑って車のテールが少し横に流れる。いったんアクセルを戻してゆっくりと踏み直す。路面をスタッドレスタイヤのゴムがしっかり噛むように、ほとんど動いていないのではないかというくらいのスピードでじんわりとアクセルを入れると、車の重量が回転摩擦と噛み合って、そろそろと車が前に進んでいく。
やり直すならばアクセルは緩めに踏む。テクスチャを感じてすべりを避ける。考え込んでいるときほど意図して視界を広めに確保する。Podcastは知らないお笑いコンビの聴いたことのない番組に切り替わっていて私は家についたら彼らの名前を検索してみようと思った。