吃逆の擬音ではないということにもちょっとびびる

こ、こ、これは……ってくらいの頻度で出張がある。つまりそれだけ自分のデスクをカラにしているわけであって、あまりほめられた話ではない。毎日目の前にある仕事をじゃんじゃん片付けていって、仕事がなくなれば終わる、というのが私のつとめであれば、べつにどれだけ出張しようが、早くこなせさえすれば/時間外などで埋め合わせをすればよい。でも、たぶん、そうではない。「窓口としてそこに存在する」ことが給料のうちに求められている。仕事があってもなくてもある程度の時間はここにいなくては。いなければ。そういうタイプの仕事。警備員とか案内員などと似た勤務体系が病理診断科にもある。それはたとえば、通りすがりの臨床医がふと感じた疑問をたまたま顔が見えた私にぶつけるという形で顕現するし、あるいはモンゴルの病理医がふと感じた懸念をメールでちろっと送ったら15分くらいで私から返事が来てなんかちょっと解決したみたいな形で実益となる。「フレックスではたらけるから家庭と仕事との両立にべんりですよ」みたいなことをいう病理医はたいてい30代くらいだ。彼らはまだ実力が伴っておらず「そこにいるだけで仕事になる」レベルには達していないので、たぶん、「いないと困るタイプの病理医」という存在にはまだ気づいていない。おろかなことだ。未熟であるな。フレックスではたらくような病理医ばかりでは困る。定時にきちんといるからこそ頼られるのだ! 私はそのことを十分に承知している! なぜなら、病理医としての経験も実力も十分に育ってきているからだ! すなわち私は職場にしっかりいなければいけないことを十二分に理解しているにもかかわらず最近出張ばかりしているという悪逆非道の輩である。未必の故意ではすまされない。情状酌量のない有罪である。原罪を引き受けてなお実直に日々をつむいでいく覚悟がある。いやそこまではない。すみませんなにからなにまで。

気が散りながらも集中している。したいと思っている。あちこち気になることはあるし手帳の予定はしっちゃかめっちゃかでWorkFlowyは際限なく伸びていき私は世界のアソビ大全51で息子と花札などして正月を過ごした。今この瞬間にもデスクにいれば誰かは救われるのではないかという懸念はもちろんあった。しかしほっぽらかしてバックギャモンなどして新年をとろかせた。ここでプレゼンを作っておけば1月の中旬から下旬にかけてもっとゆったりと仕事ができるだろうという推測は容易だった。しかしうっちゃらかして「ラストカード? ウノやん笑 これまんまウノやん笑」などと言いながら9連休をほろぼした。陪審員制度で全員一致の有罪である。人の業の悲しさを背負ってそれでもすったんばったんやっていくしかないということなのさ。からくりサーカス履修済みだからそれっぽいセリフは出るけれど行動にはつながらない。ごめんなさい一から十まで。



年が明けてさっそく猛烈な勢いで学会発表の準備依頼が来ている。臨床医のいう「学会シーズン」というやつはまだ先だと思うが複数の科の医療従事者から相談をうける当科にとっては学会シーズンも忙しいし学会シーズンと学会シーズンの間にはさまる「学会準備シーズン」も忙しい。今日、私がこの電話に出なければ、主治医たちは学会発表の準備が数日遅れたけれどまあさほど問題はないのでふつうに学会に間に合いました、となるだろうし、今日、たまたま私がこの電話に出たおかげで、主治医たちは学会発表の準備が数日早く進んで、でもほかにもやることはあるので学会だけのために日々を過ごしているわけではないからもろもろの事情にかかりきりになって結局さほど変わらず学会までにはなんとか間に合いました、となるだろう。私、別に、常時いなくてもいいのでは、と思わなくもない。だからつい出張にでかけてしまう。なお先程から出張出張と書いたが、別にお金をいただけるタイプの出張ではなくて自分で金を払い有給休暇を消費して学会やら研究会やらに出かけていくだけなのだから本当は出張ではなくて旅行と書いたほうがしっくりくる。しっくりっていうオノマトペすごいよな。鎌みたいだ。それはシックル。