絶対に許さない

学生からメールの返事が来ない。まあそんなものか。私が考えるビジネスマナーと学生が考える中年への忖度のあいだにだいぶ差がある。しかしまあそんなものか。

自分も20代のころはこれくらいの距離感で大人と付き合っていたのでは、ということを、がんばって思い出そうとする。当時、どれだけの大人に支えてもらっていたのか、記憶をひもといても、なかなか恩人の顔が思い浮かばない。そんなわけはない。絶対にたくさんの人々に助けてもらっていたはずだ。しかし私は自分の20代を陰に日向にささえてくれたはずの大人たちのコミットメントを一切思い出すことができない。当時の私は今の学生よりもはるかに無礼で傲慢で視野狭窄で幸せだったのだろう。中年なんて目に入らないよな。じゃまだしうっとうしいよな。自分がまさにいまそういう存在になっているのだということをひとひらひとひら、かつおぶしを削るように、念入りに言語化していって身が細る。

「はじめてのおつかい」を見ている。4歳くらいの子どもがお使いに行った先で高齢の女性に頭をなでられてほめられている。子どもは仏頂面で、特に喜んだ顔をするわけでも達成感をぶちまけるでもなく淡々と緊張している。それでも女性はとてもうれしそうにして目頭をおさえたりして、子どもにジュースを渡す。途端に子どもの表情がわずかにやわらかくなり、女性から目をはずしてジュースを一気に飲む。笑顔を浮かべるわけでもないのだがその姿からはなぜか「うれしい」という感情がしっかり伝わってくる。子どもは女性に対して最後まで感謝の言葉を述べないのだけれど、私は、自分がこの女性だったとしたら、子どもからどれだけたくさんのものを受け取った気になるだろうと思った。

子どもはおそらく1年もしないうちにこの女性のことを忘れるだろう。あるいは、周りの人と何度か会話する中で、数年くらいは覚えているかもしれないけれど、20年も経てば、自分が子どもだったころに、女性、親、村のひとびとにどれだけたくさん支えられて暮らしていたのかをすっかり忘れてしまうだろう。それの何が悪いのだろう、と、私は瞬間的にこの高齢女性の気持ちになって子どもを一緒に愛でた。

それはそれとしてメールの返事すらまともにできない医学部の学生は空気椅子を6時間くらいやってもらいたいものだと思った。