meta社がファクトチェックやめるんだってさ。ゲラゲラ。あれでファクトチェックしてたのそもそも。へんな動画しか流れてこないじゃん。うける。へんな動画を選んで私に流し込んでくれてたのチェック付きで。どういうこと。うける。うけない。どっちなんだい。
ちかごろ、よくわからない政治団体とか宗教団体にのせられて幸せそうにしている人たちを見る。のせられるが早いか次の広告塔となって世間をまどわす流言飛語の担い手になっていたりすると当然がっかりするのだけれど、中には、特に人を巻き込んだりせずに自分たちの金だけを注ぎ込んで生活がボロボロになって、でも精神だけはちょっと豊かさを取り戻していたりする。まあ、この程度の騙され方なら、むしろ薬の苦さみたいなものなのかもなと、ちょっとあぶないことを考えるようになった。私はたぶん疲れている。どぐされ政治団体も巨悪宗教団体も、毛穴という毛穴のすべてにマチ針を叩き込んでやりたい気持ちはやまやまだ。しかしよくよく顕微鏡観察してある一側面だけをクローズアップすると「一部の独特な人々の孤独やいらだちをケアできている」ということもまたおそらく事実であり、それに対しては同じ人間としてちょっとだけ感謝してもいいのかもしれない、とまで思う。私はたぶん弱くなっている。
それにしても。
正論と科学とマジョリティの圧でただしいことだけ言っていれば、世界がどんどんよくなっていくというなら、どれだけ簡単だったろう。
ただしさの光を当てれば必ず影ができて、「絶対に救われようがない人」が絶対に置き去りにされる。そういう人たちのほうを向く人間が世の中には必要だ。そしてそれは本質的に善意のボランティアではありえなくて、平均的な善人の思考が理解できずむしろ傷つく人間というのもいるのであって、往々にして、詐欺師、守銭奴、遅効性の毒をばらまく集団殺人者たちが、代わりに彼らの受け皿となっている。それが世界の真の多様性。天国が気に食わない人間たちを拾ってケアする地獄。その存在を確信し始めた私は血の涙でシャンディガフを作って酔っ払う。ちゃっかりビール持ち込んでんじゃねぇよ。
笑いで行けるか。コミュニケーションで行けるか。そういったネアカな取り組みだけなら学生サークルのほうが得意だ。世界にはすでにやさしさが満ち溢れている。そういうやさしさに傷ついてしまう人のために、かつて社会がいやいやながらに許容したのが、ヤクザやら暴走族やらという犯罪集団であった。今はそれがより一部の人間の私欲を満たすために特化してモンスター化して、だれも支持していないような政治団体、誰も信者がいなそうな宗教団体、あきらかに世の敵である特殊詐欺グループ、そういった、通り一遍の「普通」の価値観からすればどうしてそんなところにだまされるんだとしか思えない場所へとメガシンカしている。そんな属性:あくのEXポケモンみたいな振り切った場所「だけ」に受け入れられて、はじめて瞬間的なケアを受けて命をつないでいる人間というのが、間違いなくいる。
だから私がそっちの場所を担当するかと思ったら大間違いだ。私は私と同じように世をはかなみ、ただしいだけの科学者をぶんなぐることも、虚構の二枚舌をひっこぬくこともできずにどこかでひとり泣きながらブラッディ・メアリで酔っ払う孤独な同志のために、ただしくもまちがってもいないダジャレ中年という居場所を続ける。ウオツカ持ち込んでんじゃねぇよ。